基本的に“夜行性”
3年近い交際期間を経て2018年3月に結婚式を挙げたが、日本では一夫多妻制が認められていないため事実婚という形を選んだ。それでも、比翼連理の契りを交わしたふたりは、法的な枠組みを超えた強い絆で結ばれているという。
「日本に来て50年以上が経つけど、ぼくはいまでも字が読めない。そのせいでいろんな人にだまされて、事務所の人に1億円以上使い込まれたこともある。でも、みつきさんは決してお金目的なんかじゃないんだ。ギニアのことも真剣に考えてくれているし、何より美人なところがぼくにとっては最高だよね(笑い)」(サンコン)
ニヤリと口角を上げるサンコン。彼には、北山のほかにギニア人の2人の妻と10人の子供がいるが、現在も全員と平等に接し、ギニアの家族には仕送りを続けている。北山はそんなサンコンの生き方をありのままに受け入れているという。
「もともと彼に養ってもらうつもりはなかったし、私にとっては籍を入れることより、一緒にいることの方が大事なんです。離れて過ごすときも1日に10回以上は連絡して“いまお風呂入ってるよ”って、自撮りの写真を送ることもあります。彼からあまり返事はきませんが、やきもち焼きで電話に出ないと、すぐに“どこに行ってたの?”って言ってくるんですよ(笑い)」(北山)
幸せを噛み締める一方で、北山には心配事もある。最近、サンコンの食が細くなり、以前より量を食べられなくなってきたことだ。
「本人はうなぎが好きだって言うんですけど、いざ用意してもちょっとしか食べられない。好きなお酒も前ほどには飲めなくなってしまったし、体重も少しずつ落ちてきました。物忘れが多くなってきたことも心配ですね」(北山)

サンコンが続ける。
「大丈夫。ギニアに認知症という病気はないですから。平均寿命が短いせいかもしれないけど、長く生きていればいろいろあるでしょう。ぼくもギニアにいるときは視力が6.0あって、1km先にいる人の顔が見えたのに、銀座や六本木のネオンを見続けてきたせいで0.6まで落ちちゃった(笑い)。
昔はタモリさんやたけちゃん(ビートたけし)たちと一緒によく飲みに行ったし、朝7時頃まで飲んで、寝ないで仕事してたんだから、エネルギッシュだったよね。いまも基本的には“夜行性”。夜遅くまで晩酌して次の日の昼までずっと寝てるの。起きてすぐ、みつきさんが握ってくれる鮭や昆布のおにぎりがいちばんのごちそうです」
今年3月、都内のホテルで開催された喜寿祝いのバースデーパーティーで舞台に立ったサンコンは、北山と息の合った歌やダンスを披露した。会場には大勢の友人が駆け付け、特別ゲストにはサンコンが“ブラザー”と呼ぶ盟友のアントン・ウィッキー(89才)が招かれたという。
「ウィッキーさんはひと回り年上の兄さん。昔はよく間違えられて、街中で“毎朝見てますよ”なんて声をかけられたよ(笑い)。ウィッキーさんはいまも語学講師の仕事を続けているそうで、断食で健康を保っている。兄さんを見習ってぼくも89才まで現役でいたいね」(サンコン)
北山がパーティーの様子を振り返る。
「たくさんのかたに祝っていただいて感極まったのか、サンちゃんは舞台の上で涙を流していました。こんなにも日本のかたに愛されて彼は本当に幸せだと思います。
これからの目標は、ふたりでギニアに移住して、現地に日本語学校や小学校を建てること。すでに土地は買ってあるのですが、井戸を掘って、建物を建てて……と、まだまだ気が遠くなるほどの道のりです。それでもサンちゃんと一緒に彼の故郷を応援したい。そのためにも彼にはまだまだ健康でいてほしいですね」
その言葉を聞いて、サンコンは一段と目を輝かせてこう続けた。
「自分の故郷を助けようとしてくれる彼女の気持ちがうれしいよね。前にぼくの活動を支援してくださるかたの力を借りて、ギニアの大学病院に透析センターをつくったことがあるんです。いまその機械はフル稼働していますが、アフリカの死亡率は高く、医療を受けることすらできない人がほとんどです。これからも地道な活動を続けて、日本とアフリカの懸け橋であり続けたい。ぼくがいなくなった後も、皆に思い出してもらえるような実績を残したい。それがぼくたち夫婦の夢ですね」
※女性セブン2026年4月16・23日号