アンミカとの対談で山崎育三郎が明かした”ミュージカル界のプリンス”が生まれるまで シャイな子供だったが「役としての方がどこまでも解放的になれることに気づいた」

ミュージカル界のプリンス、山崎育三郎さん。以前番組でご一緒した際、目薬を置く場所を探していたら「ぼくが持っていますよ」とポケットに入れてくださった紳士な気遣いにうっとり。いつもエレガントな山崎さんは、どのような人生を歩まれてきたのでしょう。ゆっくりお話しするのが楽しみです。
アンミカ:一昨年の歌番組のMCでご一緒した以来、お久しぶりですね。番組では、 山崎さんとベテラン歌手の皆さまの会話のキャッチボールが軽やかで、とても心強かったです。
山崎:とんでもない。アンミカさんがぼくの不安を優しく包み込んでくださったおかげです。
アンミカ:ミュージカルを中心に、番組MC、ドラマ、ラジオと、本当に幅広くご活躍されていますよね。ここまで多彩な表現ができるようになるには、どんな幼少期、青年期を過ごされたのか、とても気になっていました。
山崎:ご期待に応えられず申し訳ないのですが、すごく普通の家庭で育ちました(笑い)。小学生の頃はバリバリの野球少年で、将来の夢は甲子園出場とプロ野球選手。小学6年生のときに全国大会でベスト8まで残って、ピッチャーとして旧西武球場で投げたんですよ。
アンミカ:全国大会ベスト8は充分すごいです! でも “ミュージカル界のプリンス”と呼ばれるいまのお姿からは、泥んこの野球少年時代は想像できませんね。
山崎:あはは。ぼくは男4人兄弟の三男で、みんな野球をやっていたんです。
アンミカ:4兄弟というのがまた驚きです。物腰がとても柔らかいので、勝手にお姉さんか妹さんがいらっしゃるものと…。
山崎:よく言われます。ただ、ぼくの性格は兄弟の中でもいちばんシャイで人見知り。いつも母の後ろに隠れているような子供でした。
アンミカ:山崎さんのお母さまは音楽の先生でいらしたとか。
山崎:はい。家でもよくピアノやギターを弾いていて、ミュージカルや宝塚が大好きで、何度も連れて行ってくれました。小学生のとき、青山劇場に『アニー』を見に行って、同年代の子がステージで歌う姿に圧倒されたんです。“ぼくはモジモジして話せないのに、あの子たちはなんであんなに生き生きと舞台に立てるんだろう”って。
アンミカ:同じ小学生だからこそ、感じられる視点ですね。
山崎:母に頼んで、帰りに『アニー』のCDを買ってもらいました。自分の部屋で劇中歌の『トゥモロー』のカラオケ版を流して歌っていたら、台所にいた母の耳までその声が届いていたみたいなんです。
アンミカ:お母さまが山崎さんの美声に気づいた瞬間ですね。
山崎:どちらかというと「いつも静かないっくん(山崎)が歌ってる!」と喜んでくれたみたいで。そこから、歌で自信をつけさせようと、歌の教室に入れてくれました。
アンミカ:兄弟それぞれの個性を伸ばしてくれる、素晴らしい教育です。
山崎:小学3年生から教室に通い始めて、全国童謡コンクールで『七つの子』をぼくが主旋律、母がハモる形で一緒に歌ったんです。そのときに審査員特別賞をいただいてから、歌がより特別なものになっていきました。
アンミカ:親子でのほほ笑ましい姿に原点があったんですね。

お芝居で歌うと、心が叫んだ「これがぼくだ!」
山崎:学校の先生たちからも「普段おとなしい育三郎くんがコンクールで賞をとった」と驚かれて、小学6年生の学芸会で主役に抜擢されたんです。本番の日、舞台上で歌うと、劇が一瞬止まるくらいの拍手が体育館に鳴り響きました。そのとき、「山崎育三郎」として人前で歌うよりも、役としての方がどこまでも解放的になれることに気づいたんです。
アンミカ:シャイな性格だったからこそ、自分自身ではなく役の人生を生きるミュージカルの魅力に惹かれたのかしら。
山崎:そう思います。それまで自分を表現するのは苦手だったけど、お芝居の中で歌うと、「見つけたよ、これがぼくだ!」って心の叫びが内側から湧き上がってきたんです。
アンミカ:THIS IS IKU!そこから本格的にミュージカルの世界へ飛び込んだんですね。
山崎:小椋佳さん主宰の『アルゴミュージカル』が最初でした。子役の経験もない中で本当にありがたいことに、応募者3000人から主演に選んでいただきました。
アンミカ:すごすぎます!
山崎:目に映る景色がパッと色づきました。芝居審査では劇団で鍛えられた天才子役たちに囲まれて緊張したけれど、歌だけは小椋さんの顔を見つめて心を込めて歌ったんです。運よく選んでいただけましたが、シャイな性格がそう簡単に消えることはなく、相手役の年下の女の子には「ねぇ、ちゃんと私の目を見てお芝居してよ」と言われて(笑い)。
アンミカ:あははは。思春期ですし、普段の生活で見つめ合うことなんてまずないですもんね。
山崎:半年間の稽古を経て、公演初日はガチガチに緊張しましたが、学芸会とは比にならない量の拍手をカーテンコールで浴びて、全身にブワッと鳥肌が立つ感覚を味わったときに、ぼくはずっとこれをやっていきたいと心に決めました。
アンミカ:そこからは順調に?
山崎:声変わりの壁に直面しました。中学3年生になると声の調子が悪くなり、1オクターブくらいしか音域が出なくなってしまって。
アンミカ:なるほど、男性ならではの壁ですね。
山崎:それまで歌っていた曲だけでなく、女性のキーも大人の男性のキーも出ないから何も歌えない。当然、オーディションは何ひとつ受からない。主役を務めたアルゴのオーディションも落とされて、“ぼくには何もない…”とふさぎ込んで、昔の自分に戻ったような気分でした。
アンミカ:子供から大人への成長過程とはいえ、努力ではどうにもならない。挫折ともいえる経験だったんでしょう。
山崎:すごくショックでしたが、前を向くために映像作品にも挑戦したんです。『六番目の小夜子』(NHK・2000年)という、中学校を舞台にした学園もので山田孝之、勝地涼、栗山千明ちゃん、鈴木杏ちゃん、松本まりかちゃんと、同年代の俳優が集められました。
アンミカ:なんて豪華!磨けば光る宝石グループですね。
山崎:すぐに意気投合してお泊まり会をしたり、買い物に行ったりしてました。幼なじみみたいで、いまでも仲よしなんです。最近の孝之はヒゲもじゃのクマさんみたいですが(笑い)、当時は、度肝を抜かれるほどキラキラした美少年でした。彼のお芝居に触れたときに“こんな人が映像の世界にいるなら、ぼくの場所はここじゃない”と悟ったんです。
アンミカ:同じ土俵で渡り合おうというライバル意識ではなく?
山崎:そうですね。それぐらい彼は輝いていましたし、カットを割って綿密に作品を作り込んでいく映像の世界よりも、オーケストラの生演奏とともに大勢のお客様の前で演じるミュージカルの世界が、やっぱりぼくの目指す道だと再確認しました。みんなに「ぼくはミュージカルスターになる」と宣言して、勉強期間に入りました。

やっぱり自分で動かないと人生は変えられないですね
アンミカ:違う道を歩むことを前向きに宣言できる、本当の仲間に出会えたんだ。
山崎:まさにそうです。励まし合った仲間たちは、勉強期間中にどんどんブレークしていきましたが、それを見ても悔しさではなく、やる気がどんどん湧きました。
アンミカ 勉強期間中は、どのような生活を送っていたんですか?
山崎:音大進学を見据えて、附属高校を受験しました。ブロードウェイのミュージカル俳優はクラシックや声楽を学んでいるので、ぼくも身につけたいと思ったんです。それと、兄2人が留学していた影響もあり、高校2年生のときにアメリカの高校へ留学もしました。
アンミカ:音楽と声楽の聖地へ。
山崎:語学目的ながら、ゴスペルなど合唱部の強い高校を選んだんです。ミュージカルは時代とともに形が変化していくので、クラシックとは違う発声やアプローチも吸収したいなと思って。
アンミカ 都市はどちらへ?
山崎:中西部のミズーリ州です。森に囲まれた田舎町で、登校した初日から映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のビフたちみたいな4人組に絡まれました(笑い)。
アンミカ:ビフ! 腕っぷしが強い、いじめっ子だったのかしら。
山崎:悪役感満載で(笑い)。彼らに囲まれてバーンと投げ飛ばされ、差別的な言葉で猛烈に怒鳴られて強いショックを受けました。
アンミカ:当時の田舎町であれば、日本人どころかアジア人とも会わなかったんじゃないですか?
山崎:約2000人の生徒がいるマンモス校でアジア人はぼくだけでした。学校の廊下を歩くと頭をパーンとはたかれてバカにされ、街に出ればおじいさんに罵倒されて。あまりにひどくて外に出るのが億劫になってしまいました。
アンミカ:言葉の壁にぶつかる以前に、心が壊れてしまいそう。
山崎:授業が始まる直前までトイレに隠れる生活が2~3か月続きました。そんなときに廊下で、フライデーナイトのダンスパーティーの告知を見つけたんです。ミュージカルでジャズダンスを学んできたし、踊ったら何かが変わるかも―と気持ちが奮い立って。
アンミカ:さらっとおっしゃるけど、たったひとりですごい勇気。
山崎:500人くらいが円になり、人気者やダンスが得意な子が1人ずつ好きなタイミングで中心に立って踊っていくんです。端でジッと見ながら、“今日行かなかったら、いじめられたまま留学生活が終わる、それでもいいのか?”と自分に問いかけました。
アンミカ:でも500人の真ん中で悪目立ちするかもしれないし。
山崎:そうなんです。ボコボコに殴られるかもと思うと、すぐには前に出れなくて。逡巡しながら、何曲か聞き流し、ついに覚悟を決めて飛び出したその瞬間、曲が変わってヒップホップが流れ始めて、“やばい、おれジャズダンスしか踊れない!”ってめちゃくちゃ焦りました(笑い)。
アンミカ:でももう飛び出しちゃったから、突っ込むしかない。
山崎:もう止まらなくて! 3か月ため込んだうっ憤を発散させるように、ラップに合わせて無我夢中で踊りました。周りがシーンとしようが気にせず踊り続けたら、ひとりの女の子の“IKU!”のかけ声をきっかけに、少しずつその輪が広がって、500人のIKUコールが巻き起こった。涙を流しながら1曲踊り切ったら、みんながバーッと駆け寄って抱きしめてくれて、「お前最高じゃん!」って…本当に映画みたいでした。
アンミカ:泣けてきちゃう…。
山崎:ビフたちまで「認めてやるよ。一緒にマック行こうぜ」って(笑い)。その日から世界が変わって、スポーツ大会でアメリカ国歌を歌わせてもらいましたし、当時流行ったはっぱ隊(バラエティー番組『笑う犬の冒険』のコントユニット)の曲『YATTA!』を、ミュージックビデオを作る課題でぼくも股間に葉っぱをつけて歌って踊ったら、学校中でバズって。
アンミカ:振り切ってるな~。それは人気者になったでしょう。
山崎:あのジャパニーズは“クレイジー”だって有名になりました(笑い)。行動しただけ環境が変わるのが楽しくなりました。
アンミカ:この経験は、きっとその後の人生にも大きく生きていますよね。
山崎:そうですね。選択に迷ったときに、もうひとりの自分が「行っちゃえよ!」って背中を押してくれるようになりました。
アンミカ:やはり自分で動かないと人生は変えられない。山崎さんのお話から改めてそう感じました。
山崎育三郎さんのHLLSPD
山崎育三郎さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
舞台の上で歌っている瞬間
Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
この仕事を続けられていること
Love:あなたが好きな言葉は?
一歩踏み出せば、物語が始まる
高校生での介護、所属事務所の倒産から、ミュージカル界を背負う使命感まで―後編も必読です!
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆俳優・山崎育三郎
やまざき いくさぶろう/1986年生まれ。ミュージカル『レ・ミゼラブル』をはじめ数々の舞台で活躍。そのほか、歌手、MC、ドラマ、映画と幅広く活動。現在、ミュージカル×ボーイズグループオーディション「OK!Diamonds」のプロデュースも手がけている。
撮影:田中智久 構成:渡部美也 ブラウス、パンツ/ともにAlunc ピアス/マナローザジュエル(アンミカさん)
※女性セブン2026年6月4日号