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《結婚しても子供はつくれなかった》杉良太郎「ハンセン病患者」の痛みに寄り添う「全国の療養所を回り、差別と偏見と闘う」

星塚敬愛園ではコンサート後に患者一人ひとりと触れ合った。
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菊池恵楓園で杉が金さんを上演した1996年に「らい予防法」は廃止され、隔離政策としては終止符が打たれた。それから30年。今年は元患者らが国に賠償責任を求めた裁判の勝訴から25年の節目にあたるが、政府が進める家族への補償金支給は、いまだ請求者が想定の4割弱にとどまる。

「問題が解決したとは言い難く、傷痕はいまだに深く残っている。私も37年前までハンセン病を知りませんでしたが、そうした無知が差別や偏見を招いたのだと思います。過ちを繰り返さないため、ハンセン病問題を風化させないため、もっと社会に訴えていかなければならない。自分としても菊池恵楓園しか訪れていないことに、悔いを残していました。私も今年で82才です。動けるうちにやらなければ間に合わない」

杉は、今年中に13か所ある国立療養所すべてを慰問すると決めた。その出発地として鹿児島県を選び、5月20日に奄美市にある「奄美和光園」を訪れた。入所者は6名で平均年齢は87・5才。杉が到着すると、5名の瞳が一斉に輝いた。トークや歌に熱心に耳を傾け、食い入るように杉を見つめる。杉は一人ひとりに歩み寄り、言葉を交わした。その様子に職員は「入所者の皆さんの目尻が私たちと話しているときの何倍も下がっている」と、うれしそうに微笑んだ。

穏やかな交流が育まれたが、最高齢の入所者が92才だと聞くと、杉が「私の姉と同じ歳です」と語り、言葉を詰まらせた。

「皆さん、ここまで苦しみながら生きてこられました。ご家族もつらい思いをされたでしょう。その痛みを私は共有したい。皆さんに気持ちがあっても行動を起こすことが難しければ、私が動いて、少しでも前へ進めるように力を尽くします」

杉の思いを受け、会場には力強い拍手が鳴り響いた。

21日には伍代夏子、山本譲二と共に鹿屋市の「星塚敬愛園」を訪れ、コンサートを行った。入所者は46名で平均年齢90・7才、最高齢は100才。この日に備えて体調を整え、指折り数え待っていたという。

山本が『みちのくひとり旅』、続く伍代が『忍ぶ雨』、杉が『すきま風』と、それぞれ代表曲などを歌いながら集まった入所者全員に歩み寄り、言葉を交わした。

会場いっぱいに観衆の歓喜が満ちた。高揚して杉らにハイタッチを求める入所者の姿もあり、差し出された手に手を合わせたら、とびきりの笑顔が返ってきた。

この日、杉は89才の入所者の住居を訪問していた。12才で入所し、25才で結婚したという男性は、「療養所では結婚しても子供はつくれません。男性は“筋切り”、女性は堕胎をするのが常識。ハンセン病で差別を受けることは当たり前にあった。自分は偏見や差別と闘うべく、活動してきました」と訴えた。

その声にじっと耳を傾けた杉。男性は「やっと、杉さんが敬愛園へ来てくれた。私の部屋へ入ってきて、普通につきあってくれた」と声を弾ませ、感謝を述べた。

2日間の慰問を経て決意はさらに固まった。終演にあたり杉はこう語った。

「同じ人間でありながら、人が人を差別して、偏見の目を向ける。あってはならないことです。全国の療養所を回り終えたら、家族への補償が進むよう、国に働きかけます。ただの慰問では終わらせない。命ある限り、私は闘い抜きたいと思います」

本音を言うと仕事がなくなったりする世の中だが、そんなことは怖くない。言うべきことは言い、正すべきことは正してもらう。それが厚生労働省の特別健康対策監としての務めでもあると、杉は誓いを立てた。