
私が大阪でモデルとして頑張り始めた頃から、もう30年近くお世話になっているヒロコ先生。安藤忠雄さんが建築された素敵なご自宅でのショーに出演させていただいたことは、忘れられない思い出です。大阪の、そしてファッション業界の大先輩であるヒロコ先生と、明るく人生を語り合いたいです!
アンミカ:今日はヒロコ先生がデザインされた『HIROKO KOSHINO』の新作のお洋服を着させていただけて、光栄です!
コシノ:さすがミカちゃん!素敵に着こなしてくれてうれしいわ。
アンミカ:ヒロコ先生のお洋服は着る人を美しく彩ってくれて、身にまとうだけで心が晴れやかになる魔法のお洋服です。
コシノ:ミカちゃんは大阪時代からショーに出てくれていたものね。
アンミカ:はい!
コシノ:当時のコレクションもなつかしいわね。モデルはただ洋服を着るというマネキンではなくて、その人のキャラクターで洋服に命を吹き込む存在だと私は考えているの。ミカちゃんはそれができるモデルだから、ずっとお願いしてきたのよ。
アンミカ:とってもうれしいです。ご縁とは不思議なもので、私はアヤコ先生(母・小篠綾子さん)の中之島公会堂でのショーにも、ゆまさん(娘・小篠ゆまさん)の東京コレクションにも出させていただいているんです。気づいたら30年近いおつきあいになりますね。
コシノ:そんなに長いのね。私が来年でもう90才になるわけだわ。
アンミカ:え、信じられない!つややかで、お会いするたびに若返っていらっしゃる印象です。なんだかヒロコ先生だけ時間が巻き戻っていません?
コシノ:若いかどうかはわからないけど、若い頃の写真を見返しても、いまの自分の顔の方が好きね。
アンミカ:外からも内からも輝きを放つお姿はずっと憧れです。先生の若々しさの源は、ファッションへの情熱と、尽きることのない創作意欲からくるんでしょうか?
コシノ:尽きないどころか、毎日湧きあがっているわ。ファッションに限らず「やりたいことしかやらない、やりたくないことは一切しない!」これが私の人生のモットーなの。だから人生の密度が濃いままでい続けられるのかな。
アンミカ:デザイナーとして半世紀以上も第一線でご活躍ですが、ファッションのお仕事は昔から「やりたいこと」だったんですか。
コシノ:いいえ、最初の夢は画家でした。きっかけをくれたのは、お母ちゃん。戦時中は食べるものがないから、家にある布をお米に交換してしのいでいたんだけど、そんな時代に「ヒロコは絵がうまいから」と布を売って何十色もある三段のパステルを買ってくれたの。とってもうれしくてね。もう夢中で絵を描き続けました。
アンミカ:厳しい時代でも、心の豊かさを大事にされるお母さまだったんですね。お母さまも服飾のお仕事をされていたんですよね?
コシノ:そうね。私は三人姉妹の長女ですけど、“絶対に親の跡は継がないで画家になる”と思っていました。お母ちゃんがやっていた「コシノ洋装店」は、オーダーを受けてから洋服を仕立てるお店で、地方の若いお嬢さんたちが大阪の岸和田の店まで縫製の修業に来ていました。晴れ着を仕立てるお盆やお正月前は繁忙期で、何日も徹夜して、完成したら文字通りバターンと倒れ込んでしまうお嬢さんばかりでした。
アンミカ:なんて壮絶な…。
コシノ:そうなのよ。その姿を間近で見ていたから、縫製が大嫌いになって、画家になろうって考えたの(笑い)。それで、美大を目指して猛勉強しました。
アンミカ:絵の才能を見出したお母さまも、娘の将来を楽しみにされていたんじゃないですか?
コシノ:最初はね。でも高校の三者面談で担任の先生に「美大は1、2年勉強しただけでは受からないですよ」と言われて、母は「絵描きになったって、一生貧乏暮らしや!それより洋裁の学校へ行きなさい」と急な手のひら返し…。
アンミカ:娘の将来を思っての愛を感じます。

約70年の集大成!創造と思考の歩み
コシノ:洋裁の学校だったらデザイン画の授業があるから、自分はデザインの道を究めればいいんだと考えを変えて、東京の文化服装学院に入学しました。
アンミカ:洋裁の学校に行ったらヒロコ先生が嫌いな縫製の課題も出てきたんじゃないですか?
コシノ:ミカちゃん、さっき言ったように、私は「やりたくないことは一切しない!」が人生のモットーなの。だから、縫製が得意な同級生を見つけて、「縫うのはあなたがやって。その代わり、ご飯を食べさせてあげる」と“契約”をしていました。デザインに没頭したいときは、航空便で課題を実家に送って、知り合いの縫い子さんに課題をお願いしたこともあるわ(笑い)。
アンミカ:素晴らしい分業制度!
コシノ:おかげで、私は思う存分、絵を描いてデザイナーとしてのスキルを磨き続けられたの。
アンミカ:その頃からすでに「やりたいことしかやらない」生き方を徹底されていらしたとは。
コシノ:これって、見方によっては、わがままに見えるかもしれない。でも、母の店を見ていたから、ファッションは私ひとりでできるものではないことを小さい頃から知っていたの。デザイン以外に、裁断する人、縫う人、売る人、そして最後にお客さんに届いて完成でしょう。だから、私は全部を学ぶのではなくて、デザインだけを究めて、あとは信頼できる人に任せるのが成功への道だと考えたんです。
アンミカ:1つのことに集中できるということは、人に頼れる才能があるということですものね。
コシノ:私のブランドが日本中に広がったのも、その考えがあったからだと思ってる。プレタ化(既製品化)する際には、大量生産と全国の売り場の確保が不可欠。でも私にはできない。そこで、大手アパレルメーカーと手を組んで、店舗展開はそこに任せる代わりに、大企業には根付いていないオートクチュールの精神とクオリティーの高さが宿った私のデザインを提供し続けたんです。それをきっかけに、私のブランドは一気に広がりを見せたの。
アンミカ:ヒロコ先生が世界に進出したのが、日本人で初めてローマのコレクションに出た1978年ですよね。大手アパレルとタッグを組んだのはいつのことですか?
コシノ:それから数年後、パリコレに初めて出た’82年くらいだから、もう45年前くらいの話ね。
アンミカ:その時代にデザイナーとして先端を走りながら、ヒロコ先生の作品を商業ベースに乗せた裏には、一貫した人生のモットーがあったんですね。
コシノ:お母ちゃんの商売感覚もDNAとして私の中にあったのでしょうね。おじいちゃんがクリエーティブな美意識をもっていたので、その2つが私にとって武器になって、大手企業を相手に渡り歩けたんだと思っているの。
アンミカ:その結果、60年を超えるキャリアがいまもなお第一線で続いているわけですね。いま東京都現代美術館で開催されている『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO』は、まさにその集大成。これまでのコレクションが飾られているコーナーも圧巻ですが、絵画を数多く出展されているのが印象的です。
コシノ:ひらめきのトレーニングとして描いた習作から、幅が約4m、高さ約2mある大作まで、壁いっぱいに飾られているコーナーもあるの。この展覧会に来ていただくと、私がどういう訓練を自分に課して、どんな思考で洋服をデザインし、どんな素材を選んできたか、その創造と思想の歩みを感じていただけると思います。
アンミカ:次の世代へバトンをつないでいこうという意志も感じられる壮大な展覧会で、圧巻でした。
コシノ:いまの小学生は学校の授業でタブレットを使うのが当たり前で、自分の手で何かをする機会が減って、デザインもAIがしてくれるでしょう。時代と言われればそれまでだけど、AIを作ったのは私たち人間なんだから、人間の脳を疎かにしてはいけないって、若い世代の人たちに感じてほしかったのよ。
アンミカ:60年を超えるデザイナー人生をひもとき、生き様で語りかける構成なんですね。ヒロコ先生はご自身のアーカイブがずらりと並ぶ景色をご覧になって、どうお感じになられましたか?
コシノ:いまの時代に昔のような作品をやれと言われても、正直言ってできないというのもあるのよ。それを実感したかな。
アンミカ:当時のエネルギーだったり、流行する素材の移り変わりもあるんでしょうか?
コシノ:その瞬間、瞬間にアイディアを出し切ってきたということもあるんだけれど、やっぱりデザイナーというのは、時代の語り部みたいなものなのよね。
アンミカ:すごく気になる話です。

東京ではなく大阪に根を張るということ
コシノ:時代をつくるというよりは、時代の波をうまく捉えて、自分の創作意欲の中に還元して表現する仕事だと思うんです。いまは世の中がミニマルになってきているでしょう。余分を嫌い、日常のありふれたものに、さりげない個性をプラスして着る時代だと思うのね。だから、昔のコレクションのようなものは作っていないの。
アンミカ:とがっていればそれでいい、という世界ではないですね。
コシノ:そうなの。私はこう見えてわりと順応性があるのよ(笑い)。このスタイルじゃないと嫌だ! と執着するのではなく、時代や経済を読む力が大事なのよ。
アンミカ:時代と手をつなぐ柔軟さが進化を生むんですね。
コシノ:その点、ミカちゃんはテレビを拝見していても、司会が上手でコメントも的確ですごいなっていつも思っているの。世の中の流れをしっかりと理解しているから人気になったんだって、テレビの前で感心しています。
アンミカ:光栄です!ありがとうございます。でも、大阪モデル時代に、人生相談に乗るテレビ番組に出演し始めたときは大変でした。「あの子、しゃべる仕事を始めたみたいよ。生活感が出ちゃうじゃない」と言われて…。当時は、黙って動くマネキンになるのがショーモデルに求められていた時代。モデルに透明感を求めていたデザイナーさんのショーには出られなくなりました。
コシノ:東京の仕事に行ったって、「大阪のモデルが来たわ」って必ず言われたでしょうしね。
アンミカ:そう!
コシノ:大阪でお店をやっていたとき、妹のジュンコが先に東京に出てたくさん賞も取っていたから、そろそろ私も上京しようかなと焦っていた時期があってね。そうしたら旧知の仲だった映画監督の伊丹十三さんが、「東京のマスコミに左右されない大阪の地に根を張って、自分のコンセプトが固まるまで辛抱することが大事だ」って言ってくれたの。東京に出るのはそれからでも遅くないよという言葉を糧に、東京を経由せずに大阪からパリやローマに渡ってショーをやって、その経験を大阪に持って帰っていた。本当にありがたい言葉だったわ。
アンミカ:私も大阪時代に悔しい思いをたくさんしました。でもヒロコ先生がいたんです。東京を通り過ぎて世界で活躍しているヒロコ先生が大阪にいたことが、どれだけ励みになったことか。
コシノ:私たち、大阪にいたからこんなに強くなって、成功したのよね。いまは胸を張れるわよね?
アンミカ:はい! とっても鍛えられました。大阪時代にずっと起用してくれたヒロコ先生には本当に感謝です!
(次号、後編へ続く)
コシノヒロコさんのHLLSPD
コシノヒロコさんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
切り絵をしているとき
Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
芦屋の自宅を安藤忠雄さんに建築してもらえたこと
Love:あなたが好きな言葉は?
「与うるは受くるより幸いなり」
“コシノ三姉妹”の知られざる物語から、離婚の苦難、人生を輝かせる秘訣まで! 後編も幸せのヒントが満載!
◆ファッションデザイナー・コシノ ヒロコ
1937年生まれ。1978年よりローマ、パリなど世界各国でコレクションを発表。日本を代表するファッションデザイナーとして活躍。7月26日まで、東京都現代美術館で展覧会『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ―新説/真説 コシノヒロコ―』を開催中。
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
構成:渡部美也 衣装:ジャケット、シャツ、パンツ/ともにHIROKO KOSHINO
イヤリング/アビステ(アンミカさん)、トップス、パンツ/ともにHIROKO KOSHINO(コシノさん)
※女性セブン2026年7月2日号