
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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夏真っ盛りの北海道西部に位置する観光都市。運河が流れるノスタルジックな街並みやおしゃれなカフェ、そして海の幸を目当てにした観光客は国内外から引きも切らない。そんな楽しそうな人々の横を、手に血をつけた女性が呆然と歩いていた──。
2015年8月7日の朝、田中豊江さん(仮名・87才)が自宅1階にある和室の布団の上で血を流しているのを長男・洋介さん(仮名・67才)が発見し、119番通報した。病院に搬送された豊江さんはほどなく死亡が確認された。死因は胸や腹部を刃物で複数回刺されたことによる出血性ショックだった。
自宅から500mほど離れた路上で身柄を確保されたのは、洋介さんの妻・志津(仮名・61才)。逮捕後の取り調べに「なにひとつ間違いも弁解もありません」と容疑を認めた。凶器は台所にあった刃渡り15cmの出刃包丁だった。
「志津は洋介さんと豊江さんとの3人暮らしでした。豊江さんは足が不自由で、寝たきりの要介護状態。民間の介護サービスを利用していましたが、基本的に志津が身の回りの世話を担っていたそうです」(地元紙関係者・以下同)
食事が気に入らないとわざと吐き出すこともあった
過去に家族間のトラブルなどの相談はなかったという。
「近隣住民によると、志津は会ったらきちんと挨拶する“普通の嫁”だったそうです。
一方、豊江さんの姿は7〜8年ほど見られていなかったようで、事件の報道で寝たきりだったのを知った人が多かった。自宅で献身的な介護をしていた優しい嫁の犯行に、周囲は“介護に疲れてしまったのか…”と驚いていました」
凄惨な事件の引き金となったのは、突発的な出来事だったが、背景には嫁姑問題があった。
「事件前日、志津は洋介さんと激しいけんかをしました。それをきっかけに、夫婦仲が悪くなったのは豊江さんのせいだと思い込み、積年の恨みから殺害を決意したというのが検察側の見立てでした」
実際、志津の中で憎しみの感情は膨れ上がっていた。「義母から暴言を吐かれ悩んでいた。介護にも疲れた」と供述したのだ。
「浮き彫りになったのは長い歳月にわたる怨恨でした。志津は豊江さんと同居を始めてから40年間にわたり、料理の味つけや掃除のやり方など、家事について細かいことまで徹底させられていた。
ほかにも豊江さんの飼い犬の世話をさせられたり、食事が気に食わないと豊江さんはわざと吐き出すこともあったそうです。さらに、どれだけ尽くしても感謝の言葉が示されることは一度もなかったというのです」
弁護側も裁判で「夫婦げんかを機に自殺を考えたが、残された夫は義母の介護ができない。憎しみも相まって自殺の道連れにしようとした」と主張。
裁判長は、義母から長年厳しい要求をされていた志津の境遇に「酌むべき事情もある」としながらも「主たる動機は義母への憎しみであり、大きく同情はできない」と断じ、懲役9年の実刑判決を言い渡した。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年7月23日号