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最愛の母を看取った松嶋尚美、“1700日の介護”が教えてくれたこと「母と本当の“家族”になれた貴重な時間だった」

「ありがとう、私は嬉しかったよ」

 母への思いを噛みしめる日々が続いていたが、昨夏から徐々にみよ子さんの食欲が衰えていったという。

「ご飯の時間になっても起きてこないことが多くなり、昨年12月に入院しました。衰弱するうちに自己免疫疾患の難病・SLE(全身性エリテマトーデス)とも診断されて。その治療で薬を投与すると、副作用で免疫力が下がって別のウイルスが悪さをして……と大変な状態が続き、コロナにもかかりました。次第に目を閉じたままの時間が増えていきましたが、娘が“よさこい踊り”を病室で踊ると、片目を一瞬開けることもありました」

 そして今年7月のある日、いよいよ「その時」が近いと医師から知らされた。

「子供にはトラウマになるかもと思い、強いて病院に来るようには伝えませんでした。しかし、息子と娘は『行く』とキッパリ答え、駆けつけてくれたんです。私はほとんど叫ぶように、ベッドの母に呼びかけ続けました。思い出を振り返りながら母のそばで一晩を過ごし、朝方に休憩がてら外出した直後、心電図の数値が急に下がって……最期の時でした。私はすぐに病室に戻り家族全員で看取れましたが、みんなの声かけも止まっていたタイミングだったので『誰もいないからチャンスと思ったのかも』なんて、家族で笑い話として後で話したのを覚えています」

時折身振りも交えながら、実母との日々を語った松嶋
写真3枚

 介護の日々を振り返り、松嶋は「母と一緒に暮らせてよかった」と万感の思いを込めて語る。

「病院で最後に母が私たちに残した言葉は『ありがとう。私は楽しかったよ』でした。子供たちは『みんなで家族だったよね。忘れないよ』と、旦那は『太陽みたいな性格で楽しかったわ』とそれぞれ母に声をかけました。母には……ただ感謝しかありません。

 50代になってから、お風呂の順番がどうとか、家族らしいささやかなぶつかり合いが母とできたのが、本当にうれしかったんです。自分自身も、そして子供たちも、母と本当に“家族”になれた貴重な時間だったと思います」

 短くも濃厚な4年7か月の日々だった。

※女性セブン2026年8月20・27日号

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