社会

雅子さま、全力で公務に臨まれることで深まる懊悩 ご自身の発言がメディアであまり取り上げられず「国民に言葉が届いていない」と落ち込むことも…そっと寄り添い支える愛子さまの苦心

「もっと準備を重ねるべきだった」

 愛子さまの懸命な働きぶりに応えようとするかのように、雅子さまも皇后としての重責を全うすべく努められている。8月15日、81回目の「終戦の日」には、全国戦没者追悼式にご出席。陛下と共に、菊の花で飾られた式壇に黙祷を捧げられた。しかし、近年の雅子さまはその胸の内に、ある“悩み”を抱えていらっしゃるという──前出の宮内庁関係者が明かす。

「雅子さまは、ご自身のお言葉がどのように報道されるのか、非常に気を揉んでおられるのです」

 例えば地方へのお出ましの場合、メディアは両陛下がその土地の人々に対して投げかけられた質問や言葉を取材し、国民に伝えることになる。

「雅子さまはそうした報道に目を通し、ご自身のご発言があまり取り上げられていないと“国民に言葉が届いていない”と、深く落ち込まれることがあるようです。メディア側としては、紙幅や放送時間の制約上、陛下のご発言を優先して報じざるを得ないという事情もあるようなのですが……」(前出・宮内庁関係者)

 その背景には、雅子さまのご公務にかける強い思いがあるという。

「完璧主義で知られる雅子さまは、ご公務の前には資料や関連書籍を丹念に読み込み、時には識者を招いてご進講も受けられます。勉強に勉強を重ねられた上で、現地へと向かわれるのです。

 お出まし先での具体的な質問内容や会話が報じられることで、その施設の活動や、抱えている課題にも光が当たる。それは、皇族方が各地に足を運ぶ重要な意義の1つでもあります。だからこそ雅子さまは、ご自身のお言葉が報じられなかった際、『もっと準備を重ねるべきだったのではないか』と、ご自身を責めてしまわれるようなのです」(前出・宮内庁関係者)

 こうした雅子さまの憂慮は、ご自身で認められる文書にも及んでいるという。その一例が、ある年の「歌会始の儀」での出来事だ。

「新春恒例のこの儀式にあたっては、皇族方が歌に込められた思いを正確に伝えてもらうため、宮内庁から報道陣に歌に関する解説文書が配布されます。この年も例年通り文書が配られましたが、儀式終了後、雅子さまの御歌に関する記述にのみ、訂正の依頼がありました」(別の皇室ジャーナリスト)

 さらに一昨年の誕生日文書を巡っても、雅子さまが一つひとつの言葉を慎重に選ばれる姿勢がうかがえる。

「誕生日当日が月曜日だったため、報道各社の営業日を考慮し、宮内庁は事前に『金曜日夕方に提出予定』と周知していました。しかし、実際に提出されたのは午後11時頃。その後も土日にかけて、複数回の訂正が入りました。

 ご体調との兼ねあいでカメラの前で受け答えすることが難しい雅子さまにとって、歌も誕生日文書も、ご自身の思いを国民に届けられる貴重な機会です。それだけに、少しでも正確に思いが伝わるよう、熟考を重ねられていたようです」(前出・別の皇室ジャーナリスト)

愛子さまが察知した“異変”

 しかし、こうした雅子さまの真摯さが、時にご自身を追い詰めてしまうこともあるようだ。

「昨年4月、両陛下は戦後80年の“慰霊の旅”の皮切りとして硫黄島をご訪問。即位後初めて迎える大きな節目だけに、雅子さまの思い入れもひときわ強かったといいます。

 当日は風雨が吹きつける中、日帰りで島内3か所を巡って献花されるという強行日程。雅子さまはすべての行程を無事やり遂げられましたが、その後に体調を崩された。その結果、約1か月後の『全国植樹祭』への出席は、出発当日に“直前キャンセル”される結果になりました。

 体力的に大きな負担がかかったことがいちばんの原因ですが、格別の思いをもって硫黄島訪問に臨まれたにもかかわらず、ご自身のお言葉がほとんど報じられずショックを受けられたことも、体調を崩された原因の1つだったようです」(前出・宮内庁関係者)

雨の中、慰霊碑に祈りを捧げられる両陛下(2025年4月、東京・小笠原村。撮影/JMPA)
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 別の宮内庁関係者はこう語る。

「雅子さまはそのご性格上、ただにっこりと微笑んで陛下の隣にいらっしゃるということに意味を見いだせないのだと思います。ご自身なりに、一つひとつのご公務に真剣に向き合われており、そうした姿を国民にも知ってもらいたいと願われている。令和の皇后として、ご体調が万全でないながらも、全力でご公務に臨んでおられるのです」

 雅子さまの懊悩──それを目の当たりにし、支えようと苦心されてきたのが、ほかでもない愛子さまだ。昨年6月、両陛下の“慰霊の旅”に初めて同行された沖縄では、雅子さまをフォローされる場面が目撃されている。

「戦争に関する資料館で、愛子さまが雅子さまの横顔をちらりとご覧になり、案内役の方にご自分から質問された場面がありました。日頃はお話好きの雅子さまが疲労の影響で言葉を失われてしまっていた“異変”を察知され、とっさに助け舟を出されたのです」(別の皇室記者)

 さらに、このところ愛子さまはお出まし先で、雅子さまのお名前を出される場面が目立っているという。

「8月上旬、三重県の鳥羽水族館を訪問された際、愛子さまの第一声は『両親から素晴らしい施設だと聞いています』というものでした。愛子さまはここ最近ご公務先で、ご両親から聞いたお話を必ずといっていいほど口にされています」(前出・別の皇室記者)

 8月20日から1泊2日で大阪・滋賀を訪問された際にも、同様の場面が。21日に、両陛下が2018年に訪問された滋賀県米原市の福祉施設「ふくしあ」へと足を運ばれたときのこと。

「愛子さまは、8年前に両陛下への説明を担当した職員を指名され、『両陛下が感謝していました』と伝えられたのです。職員の方は、これほど年月が経っても両陛下が自分のことを覚えていてくださったと、大変感激されていました」(前出・別の皇室記者)

 2018年といえば、翌年に御代がわりを控えていた頃。雅子さまも皇后となられる日を見据え、少しずつお出ましを増やされていた時期だった。

「愛子さまがあえて両陛下のお名前を出されたことで、雅子さまが思うようにご公務に臨むことができない中でも、かつて出会った人々に変わらず心を寄せておられたことが伝わりました。ご自身のお悩みの中でも、国民に寄り添われるお姿が浮かび上がってくる結果となったのです」(前出・別の皇室記者) 

 全国各地で躍動するプリンセスのお姿は、令和の皇后の心を奮い立たせているに違いない。

※女性セブン2026年9月17日号