【世界で闘う日本の女性たち】日本人初のBBCキャスター・大井真理子さん、「国境なき医師団」看護師として紛争地へ医療を届ける白川優子さん…彼女たちは何を信じて歩んできたのか
厳しい任務に突き動かしたのは「不条理への怒り」
大井さんと同じく、“偶然の出会い”で世界を志したのが、シリア、イラク、南スーダンなどで「国境なき医師団MSF」の看護師として活動を始めたのが白川優子さんだ。
「7才のときにテレビ番組に表示された『協力/国境なき医師団』のクレジットを見たときの記憶を鮮明に覚えています」
高校生で看護師を目指すことを決意し、専門学校へ。地元の病院で看護助手として働きながら勉強を続けた。
「看護師になって3年目にMSFがノーベル平和賞を受賞して、誰も差別することなく平等に人道援助をする姿勢に心が動かされた。“すごい! やりたい!”と強く思いました」(白川さん・以下同)
外科しか経験のなかった白川さんだが、留学資金を貯めるため、産婦人科病院に転職した。目が回るほど激務の3年間を過ごし、オーストラリアに留学。語学学校を経て、現地の大学を卒業し、オーストラリアの看護師の資格を手に入れた。同級生のうち留学生で卒業できたのは白川さん、ただひとり。その後、現地の病院で経験を積み、36才でMSFの一員となった。
「MSFの活動に英語は不可欠です。英語力ゼロだった私は、説明会でそれを知り、とうてい無理だと絶望しました。もう諦めるしかないと思っていたのですが、母が背中を押してくれました。そのおかげで決心し、お金も貯めて30才でようやく留学できたものの、語学の壁は大きかった。留学中は泣いてばかりでしたし、現地の病院で働いていたときも英語は上達したものの人前で話すのは怖かった。
それでも周囲の人の支えと、看護師としての能力が評価され、なんとか乗り越えられました。オーストラリアには7年いて、そのまま看護師を続ける道もありましたが、私の夢は“英語が使える看護師”になってMSFで働くこと。日本に帰国し、すぐにMSFの面接に行きました」

各国から人が集まり、世界各地で活動するMSFでは、宗教や文化の多様性を実感したという。
「日本にいると意識しませんが、例えばイスラム教の地域では女性から男性に声をかけることがタブー視されることもありますし、女性が必要以上に肌を見せてはいけません。また、男性が外で働いて女性が家を守る慣習が残る中東の国では、自分より若い(外国人)女性が手術室を管理することに慣れておらず現場が混乱することがあった。
日本にいると意識しないことでも、現地に赴いて知ることや気づくべきことはたくさんありました。その土地にお邪魔している以上、きちんと理解を示して、敬いながら活動することが重要だと思っています。そうした面ではお互いの理解や歩み寄りが必要でした」
MSFはジャーナリストやほかのNGOすら撤退する場所でも医療を提供することがある。外科の看護師の経験を積んだ白川さんは手術が必要な紛争地に行くことが多く、シリアではオペ中に病院のすぐ近くで空爆があり爆音と振動のなか手術を続けたこともあった。人の手足が飛び散り、赤ん坊のお腹が裂ける凄惨な場面を目撃したこともある。
危険地域で任務を続ける白川さんを突き動かしたのは「不条理への怒り」だ。
「紛争地には、愛する家族や隣人、学校や職場といった日常が壊され血を流しながら泣いている人たちがいます。とにかく必死に生きようとする人たちを目の前にしたら、非道な戦争を続けている世界に対する怒りが湧き上がりました。
2010年にMSFに入ったとき、いずれ戦争はなくなると思っていた。それなのにいまもウクライナで戦争が続き、パレスチナのガザ地区やイランが空爆されている。そうした状況のなかで苦しんでいる人がいます。国籍や宗教、人種などを問わず、医療が必要な人たちに医療を届けるのがMSFの任務です。そのために私たちが必要とされている」
看護の現場は目まぐるしい。そんな状況でも、生きる希望を失った相手にそっと寄り添うこと。患者の手を握って少しでも温もりを与えること。そんな“看護の力”を大切にする白川さんにとって、人道援助に携わる仲間と出会えることも、活力のひとつになっている。
「自分の国で安全に過ごせばいいのに、世界中から多くの人たちが危険な紛争地の人々に医療を届けようとすること自体が、私にとってすごく心強くてうれしいことです。同じ志を持って医療活動をする人たちと出会えることが大きなやりがいになりました」
現在は執筆活動によってMSFの活動を多くの人に知ってもらおうと尽力している。要請があれば、また現地に必要な医療を届けたいと思っているという。
世界で闘う女性たちが願う「史上初の女性◯◯」と言われない未来
世界で闘う日本の女性は着実に増えている。だが国内に目を転じると、世界経済フォーラムが男女格差の現状を評価するジェンダーギャップ指数の2025年度版では、日本は世界118位でG7のなかで最低だった。
戦後女性初の音楽評論家である湯川れい子さんは「日本はまだまだ男社会です」と語る。
「ガラスの天井はなくなりつつあるものの、日本を牽引する大企業でさえ男社会。女性も男性と対等に組織のトップを目指すのではなく、仕事と子育てのどちらを取るかという思考に傾きがちです」

大井さんが暮らすシンガポールは共働きが9割だ。それを実現できるのはさまざまな社会的仕組みがあるからだと指摘する。
「日本のお母さんは仕事も家事も全部こなしていて、すごいなと尊敬します。シンガポールでは大半の家庭が家事を住み込みのヘルパーさんに外注する。また、日本では育休を取るとほかの人の仕事が増えると聞きますが、BBCではあいた仕事をやりたい人を社内で募集して、育休を後輩のチャンスにつなげます。日本らしさを捨てることなく全員のメリットになる仕組みを生み出せるといいなと思います」(大井さん)
国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子さんは著書『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』で、女性の社会進出についてこう書いている。
《少しずつ日本も変わっているのかな、とも思いつつ、「史上初の女性◯◯」と言われない、どんな職業であれ、どんな役職であれ、女性がごく普通にいる日が来てほしいなと思いますね》
そうした願いのなかで、平和に向けた活動を続ける白川さんは、アメリカから制裁を受けた赤根所長への支援の思いを語る。
「私と赤根さんは分野こそ違いますが、平和への貢献の仕方はひとつではない。赤根さんは法を通して秩序を守り、私は医療を通して目の前の患者さんを守る。同志というとおこがましいですが、平和でよい世界をつくりたいという志は共通していると思います。
だからこそ、世界の第一線で信念と哲学を持って仕事をされている赤根さんを同じ日本人として、女性として心から尊敬しています」(白川さん)
湯川さんも、「赤根さんを後押しできるのは私たちだと思います」と続ける。
異なる環境で信念を貫くことの大切さと難しさを海外に出た女性は知っている。そして私たちは同じ女性として海外で世界を相手に生きる強さに思いをはせる。だからこそ、「決して負けません」という赤根所長の言葉に共鳴するのだろう。
※女性セブン2026年9月24日号