「見た目の治療」に対して批判的な眼差しが
世界的に「見た目の治療」が注目されたのは、20世紀初頭の第一次世界大戦がきっかけとされる。
美容・医療ジャーナリストの海野由利子さんが語る。
「当時のヨーロッパには、戦争による負傷で顔面などに大きなけがをした復員兵が大勢いました。彼らが社会復帰するため“外見の治療をすること”の意義が認められ、治療技術の発展とともに美を提供する医療の隆盛につながりました」
以降、海外ではアメリカを中心に「若く元気な見た目が富の象徴」とされて美容整形が広まっていった。
一方、日本における「見た目の治療」の歴史は古く、江戸時代に梅毒などの病気で鼻を欠損した人に木製の鼻をつける「入鼻屋」の記録が残る。
1896(明治29)年には、16才の女子学生に二重まぶたの整形手術が行われた記録が残っている。大阪公立大学美容外科学寄附講座特任准教授で形成外科医の原岡剛一さんが語る。
「当時の日本では美容外科的な手術がすでに行われていたようです。1936年には、象牙でできた三味線のバチをL字型に削って鼻に入れる手術が行われ、ほかにも目の下のクマを取る手術をした記録が残されています」
とはいえ、「見た目の治療」に関する世間の受け止めはまだ冷ややかだった。
美容整形に対する否定的な風潮は、時代が進んでも長く日本を支配したと分析するのは精神科医の片田珠美さんだ。
「日本では伝統的に“親からもらった体に、病気でもないのにメスを入れるのはいかがなものか”という意識が根強かった。病気でもないのに豊胸手術を受けるような人には批判的な眼差しが向けられました」

そうした価値観から「美容整形=嘘っぱちの作りもの」というイメージが広がり、“お直し済み”かどうかを推測し揶揄するような声はいまも根強くある。1990年代になるとレーザー脱毛が注目され、徐々に美容「医療」として支持されるようになる。だが、当時はまだ医師の側にも「美容整形は邪道」という見方が、いまよりも強く残っていたと原岡さんが振り返る。
「私が形成外科医になったのは1994年ですが、当時の大学病院では“美容外科に行きたい”と口にしたら“え?”と絶句されて、それだけは許さないという空気が漂っていました。医師は病気を治療するものという考えが強く、自由診療で高額なお金をもらって病気ではない人に手術を施すことは道徳的に忌避されました。
美容医療に特化したクリニックで合併症などといったトラブルが発生した際、自分たちで責任ある対応がとれず、大学病院や救急病院に患者を“丸投げ”する医師がみられたことも溝を深くしました」
現在でも「医師は病気を治療するもの」という矜持を持つ医師は少なくないはずだ。『ダウンタイム』の序盤、美容整形の執刀を促された文が「病気でない人にメスは入れられない!」と拒否するシーンはその象徴といえる。
そうした「アンチ美容整形」の流れを変えたのが、2000年以降に登場した「プチ整形」という言葉だ。
「旧来のメスを使う施術に対し、糸で留める埋没法やヒアルロン酸を用いたプチ整形が登場し、“これは整形ではない”という認識が広まりました」(星さん・以下同)
2001年には一般応募の女性が見た目の悩みを告白し、その道のプロが容姿を美しく変えるバラエティー番組『B.C.ビューティー・コロシアム』(フジテレビ系)の放送がスタート。メディアには美容医療系の広告があふれ、経験者が体験談や成果をネットに書き込んだ。ますます世間に浸透した美容外科は勃興期を迎えた。
そして現在、美容医療はさらに裾野を広げている。
「現在、人気を集めているのは超音波や高周波、レーザーなどの照射系や肌育注射をメインとした美容皮膚科です」
黎明期からボトックスやヒアルロン酸などを実際に利用して体験取材を重ねた海野さんも、美容整形の勢いを肌で感じている。
「以前は美容外科の取材は“よくやるね”“痛いでしょう”と言われましたが、徐々に取材スタッフも体験したがり、近年は友人や知人からも“やってみたい! ◯◯は直せるの?”などと相談されるようになりました。美容医療はかなり身近になりました」(海野さん)
(後編に続く)
※女性セブン2026年10月15日号