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新田恵利が語る6年半の母親在宅介護 「後悔はない」と言い切れるワケ

母親を介護した経験を持つ新田さんに、介護への考え方を聞きました
母の介護に「後悔はない」という新田恵利さん
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「もう少しできることがあったのではないか」と後悔する人も多い親の介護ですが、歌手・タレントの新田恵利さん(53歳)は、6年半にわたる母親の介護を「後悔はない」と言い切ります。そう思えるのはなぜなのか? 自身の介護生活をまとめた『悔いなし介護』(主婦の友社)を出版したばかりの新田さんに、介護への考え方を聞きました。

父への後悔から、母を大切にしようと誓った

新田さんが母親の介護を最期までやり遂げられたのは、父親に対して悔恨の念があったからだ。

父への後悔から、母を大切にしようと誓った
父への後悔から、母を大切にしようと誓った
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「私が芸能界デビューをした17歳の年です。当時は思春期で父との会話は最低限でした。学校を終え仕事へ行く前は生きていたのに、仕事を終えて夜中に帰宅すると父の姿はありませんでした。もともと父は肝硬変を患っていて、体調が急激に悪化して急逝してしまった。親孝行らしいことは何ひとつしてないのに…。その時、父の分まで母にはできる限りの親孝行をしようと誓いました」(新田さん・以下同)

新田さんは夫と2人暮らしだったが、2000年に3階建ての二世帯住宅を建て、母親と一緒に住み始めた。そして2014年、母親が背骨の圧迫骨折をして寝たきりになったことから、介護が始まった。

夫と2人暮らしから、母親と同居を始めたという新田さん
夫と2人暮らしから、母親と同居を始めたという新田さん
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「報われなくても許せるくらい」の頑張りに調整

「最初は頑張りすぎてしまったので、すごく苦しかったんです。母に対して言いたくない言葉が出てしまうこともあった。『こんなに頑張ったのに報われない』と思った時、怒りの感情が芽生えていたんです。そんな言葉を浴びせてしまわないように、肩の力を抜いて、母に拒絶されても思いが報われなくても、流せるくらいの頑張りに調整しました。

例えば『これが食べたい』と手間のかかる料理をリクエストされたとき、さすがに面倒だなと思っても作るじゃないですか。でも持って行ったら『いらない』と言われる。だったらもっと早く言ってよ!と思っちゃいますよね。

でも『その料理は時間がかかりすぎるよ、ほかの料理でもいい?』と素直に言えるようになってからは、気持ちが楽になりました。それまでは、私がどんなに忙しくても、体調が悪くても母を優先していたので、『こんなに頑張ったのに!』と不満や文句がわいてきてしまったんですね」

新田恵利
怒りの感情をどう抑えたのか
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満足度の高い介護をするためにはコミュニケーションが不可欠

介護生活の6年半を振り返って、新田さんは「悔いがない」と胸を張る。

悔いよりも満足感が大きいと話す
悔いよりも満足感の方が大きいと話す
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「本当にまったく後悔はなかったの? と言われたら、細かいことは出てきますけど。それでも母を見送った時に、やり切った、母の意に沿った見送り方ができた、という満足感が大きかったんです。それは日々の積み重ねですよね。17歳の時から母を二世帯住宅に迎えるまで、毎日母に電話をしてコミュニケーションをとってきましたから。

母は90歳を超えて認知症になりました。病院に連れて行ったときに先生が『認知症かと疑った時、親子の信頼関係がなければ、親は嫌がって病院に来ない』とおっしゃっていました。スムーズに治療を受けてもらえたのは、今までの積み重ねで信頼関係が築けていたからなんだなと思いました」

施設に預けることはせず、母の希望通り最期は自宅で迎えた
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「最期は自宅で」が母の希望だった

新田さんは施設に預けることはせず、最後まで在宅介護をして母親を看取った。

「最期を自宅で迎えることが母の希望だったんです。それを叶えられたのも大きな自信になりましたし、なにより約束を守れてほっとしています」

人生最期の場所をどこにするのかは、介護をする側も受ける側も大きな決断だ。

人生最後の場所をどこにするのかは、まず本人の意思を確認したと新田さん
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「まずは本人の意思の確認ですよね。うちは母と仲が良かったので、一緒に介護のドキュメンタリー番組を見ながら『ママ、こうなったらどうするの?』と尋ねてみました。『施設で管につながれて、生きているだけなのはイヤだ』と話していて、尊厳死協会にも自分から入会していました。もう20年くらい前の話です。

胃ろうはしないなど、『したいこと』『しないこと』が明確だったので、自信をもって母の介護ができました。在宅で看取ると決めたなら、ケアマネジャーや担当医に意思を伝えると相談にのってくれます。逆に話しておかないと、本人の意に反して救急車を呼ばれて延命治療をされてしまう可能性があります」

『したいこと』『しないこと』が明確だったので、自信をもって母の介護ができた
『したいこと』『しないこと』が明確だったので、自信をもって母の介護ができた
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最期は「穏やかな気持ちで見送ることができた」

新田さんの母親は今年3月、家族に見守られながら92年の生涯を閉じた。

「桜が満開の暖かい日に、眠るように静かに永眠しました。父が亡くなったのはクリスマスイブで、とても寒かった。だから母は、自分は暑くも寒くもない時期で、葬儀に来てくれる人に迷惑をかけたくないとずっと言っていたんです。そうしたら、まるで母の思いを汲んでくれたかのように、今年は例年よりも桜の開花が早かったですよね。みんな穏やかな気持ちで見送ることができました。

母の命の灯が弱くなっていくのを毎日見ていたので、覚悟はしていたのですが、ついにこの日が来ちゃったなって…。母の希望通り、家族葬を行いました。荼毘にふすまで、大切な時間をきょうだい揃って過ごすことができました」

母の希望だった家族葬を行った時は、きょうだいそろって大切な時間を過ごすことができた
母の希望だった家族葬を行ったときは、きょうだいそろって大切な時間を過ごすことができた
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母と交わしたある約束

新田さんは終末期に母親とした約束があるという。

「母が、恵利ちゃんの夢枕に立つよ、夢に出るよ、って約束してくれたんです。母が旅立ってから半年以上になりますが、まだ一度も“ご出演”がないので、クレームを入れたいですね(笑い)」

最後の約束はまだ実現されてないという
最後の約束はまだ実現されてないという
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◆歌手・タレント・新田恵利さん

歌手・タレント・新田恵利さん
歌手・タレント・新田恵利さん
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歌手・1968年3月17日生まれ。埼玉県出身。1985年、おニャン子クラブの会員番号4番として一躍人気を博す。翌年『冬のオペラグラス』でソロデビュー。その後、歌手、タレント、女優、作家として活動。2014年に実母が要介護4と認定され、今年3月に亡くなるまでの6年半の介護生活を綴った『悔いなし介護』(主婦の友社)を10月に出版。介護経験を各地で講演している。https://ameblo.jp/nittaeri/

新田恵利
介護の経験を各地で伝えている
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新田恵利
最後まで在宅介護をして母を看取った
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撮影/浅野剛 取材・文/小山内麗香

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