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【64歳オバ記者 介護のリアル】93歳母ちゃんの劇的回復を支えた介護のプロたちの仕事ぶり

オバ記者
要介護5だった母ちゃんが自分で食べて歩けるまでに。オバ記者がプロたちの仕事ぶりをレポート
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ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」の介護をしたオバ記者。病院からの退院直後は呼びかけにも無反応で身の回りのことは何1つできなかった要介護5の母ちゃんは、自宅での生活を重ねるうちに食事が自分でできるようになり歩行器を使って歩けるまで回復。劇的復活を支えたのは介護のプロフェッショナルたちの仕事ぶりでした――。

* * *

介護のことは以前は他人事だった

何でもそう。世の中はやってみなければわからないことだらけだね。昨年の夏から4か月間、93歳の母親を在宅介護したら、ヘルパーさんや医療従事者の仕事ぶりを身近で見ることになったの。東京でひとり暮らしのライターをしていたら決して会わなかった人たちだ。

てか、それ以前に介護についてどれだけ考えたかというと、ほぼゼロ。介護保険制度が始まった? ふ~ん。認知症の親を入れる施設がなかなか決まらなくて困った? あら、大変。介護のことできょうだいゲンカをした? 大変だね~。友人、知人から介護に関する話を聞いてもそんな返答をしていたと思う。要は他人事なんだよね。耳から入っても頭に留まらないの。

呼びかけても反応なく「要介護5」に

2か月間入院していた母親が退院するにあたって、病院で担当医、訪問看護師、栄養士、ケアマネジャーが集まってカンファレンスという引き継ぎをしたんだけど、その時ですら正直言ってそれぞれの役割がなんとなくわかった程度だったんだわ。

危篤状態から復活した母ちゃん
昨年8月、退院して自宅に向かうときの姿。ぐったりしていた
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「とにかく異変があったらすぐに連絡してください」とU医師がいうのだけれど、数日前に病院で見た母親はすでに“異変”そのものよ。痩せこけて、土気色の顔色で、「母ちゃん!」と声をかけても反応なし。これ以上の異変といったら、「いよいよ」の時しかないでしょうが。これ以上ない「要介護5」の認定を受けたのも、「覚悟ってことなのかな」と思ったわね。

無反応だった母ちゃんが目をギラリ、おかゆを自ら口に!

とはいえ、7月末に急に退院が決まって、母親が退院してきたのは8月2日。ケアマネジャーのUさんがあちこち聞いてくれたものの折悪くヘルパーさんの手配がつかず、来てもらえるのはお盆過ぎの16日からになるというの。

「それまで週に2回、訪問看護師が来てくれるんだって」

地元に住む幼なじみのE子に電話でいうと、すぐに母親の様子を見にきてくれて、「どれ、私の友だちにヘルパーをしている人がいるから聞いてやる」と。こうして家に帰ってきてから3日目には挨拶にきてくれたのがAさん(60歳)。

Aさんが来てから1週間もたたないうちに自分でご飯を食べ始めた
Aさんが来てから1週間もたたないうちに自分でご飯を食べ始めた
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それにしてもAさんの仕事ぶりは最初から衝撃だったよね。

「とし江さん、これからよろしくお願いしますねぇ」

ベッドに寝ている母親にハッキリした声で話しかけると、それまで無反応だったのにギロリと目を開いて、えっ、黙礼した? わずかな目の動きだったけれど、明らかに反応しているのよね。

「どんどん話しかけてあげてくださいね。それで頭の働きが良くなりますから」

Aさんにそう言われても、起きていても見えているのか見えていないのかわからない母親に何を話せばいいのか。それで一日置きに来てくれることになったAさんを見ていると、ただ話しかけているんじゃないのよね。「また来ましたよ~」と明るいトーンで話しかけたかと思えば、「ご飯は食べましたかぁ」と声を低くする。

母親をどんどん動かしていくAさん

母親は入院する前は補聴器をつけるほど耳が遠かったのよ。それがAさんがトーンを変えて話しかけるとうなずくのよ。

しかしAさんのスキルの高さはそんなものじゃなかったわね。家に帰ってきて1週間もたたないうちに、「あ、お母さんがテーブルの上のぶどうを食べた!」と言うの。何ごとかと思えば、さらにこんなことを言うの。

「手を伸ばすことができたら、自分でご飯が食べられますよ。これからスプーンを持たせてください」だって。

それまでひと口ずつスプーンですくって口に運んでいた私は、半信半疑で言われた通りにすると、当たり前のようにおかゆを食べ始めたんだわ。それだけじゃない。「起きてテレビ見ましょうかぁ」「仏様にお線香をあげましょうかぁ」と、どんどん母親を動かしていくの。

母親の小さな体の変化をよく見ているから出来ることなんだなと、感心しちゃった。

「餃子が食いてえ」「ビール、よこせ」

やがてAさんの事務所のスタッフのSさんも加わって、私が仕事をするために近所のカフェへ行くときに母ちゃんをみてもらった。

外出できるまでに体力が回復した母ちゃん
外出できるまでに体力が回復した母ちゃん
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在宅介護何2か月を過ぎたころからよね。Aさんのおかげで頭と体が動くようになった母親は、そのうちあれをしましょう、これもしてみましょうと言われるのがイヤになったんだわ。(笑い)

「今日は誰が来るんだ?」と言って、おだやかなSさんとわかるとニコーッとするの。そのくらいなら微笑ましいと笑って済ませられたけれど、元気になるにつれて母親のアクの強い性格が日に日に現れてきたの。

「今日はハンバーグを作ったよ」というと、「はぁ(もう)、ハンバーグでも何でもいいべな」と投げやりな言い方をする。ハンバーグはその時、食べたいものじゃなかったみたいだけど、その言い方はないって。それだけじゃない。「餃子が食いてえ」だの「ビール、よこせ」だの。あんた、ナニ様よ。

元気になるにつれアクの強い性格も復活!?
元気になるにつれアクの強い性格も復活!?
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母ちゃんの回復ぶりに訪問看護師さんが涙

ただ、この婆さんにも取り柄はあって、他人にはすごくいい笑顔を見せるんだわ。この顔を見た訪問看護師さんは、「ヤマザキさんってこんな性格の人だったんですね」と言って泣きだした時はびっくりしたわよ。わけを聞いたら、

元気な顔の母ちゃんに泣いて喜んでくれた訪問看護師さん
元気な顔の母ちゃんに泣いて喜んでくれた訪問看護師さん
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「病院にいたときは、笑顔なんか見たことなかったし、話といっても『お母ちゃ~ん、お父ちゃ~ん』ってうわごとだけ。ほんとに、”家の力”ってすごいもんなんですねぇ」と涙を拭きながら話してくれたの。

身内でもないのに、93歳の婆さんが回復したことをここまで喜んでくれる。そう思ったらついもらい泣きしそうになったっけ。

それにしても母ちゃんの世話をしに来てくれたのは看護師さん4人に、ヘルパーさん2人、訪問入浴の人は毎回3人。入れ替わり立ち替わり毎週、5人から8人前後の人が世話してくれた。

オバ記者の母親
箸を使ってご飯を食べられるように
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43歳から65歳までホームヘルパーをしていた母ちゃんが、今は介護される側だ。母ちゃんは2階に寝ている利用者さんをお風呂に入れるために、下からバケツで何度もお湯を運んでいたのだそう。ある時、訪問入浴でサッパリした顔の母親に、

「どした、いい世の中になったが?」と聞いたら、この時ばかりは私の目をちゃんと見て、「まさがなぁ」と大満足の笑顔を見せた。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【283】10日ぶりの面会で私がキレた93歳母ちゃんのひと言

【282】93歳母ちゃんの世話を離れて得た「ひとり時間」と複雑な気持ちも

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