
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る連載「介護のリアル」。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」を介護。その後、施設に入所した母ちゃんでしたが先月、体調に“異変”があり緊急入院。そんなとき、オバ記者が思い浮かべたのは…。
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弟からの電話がないとホッとする
入院している93歳の母ちゃんは、血糖値が平常の8倍になって、手当てはしたものの、受け答えができない。と、田舎の弟から電話があり「なんかあったらまた電話するよ」と言われたから気が気じゃない。すぐに母ちゃんを見送る日に着る喪服を通販で探し、翌々日に届いたものの、さすがに試着する気にならないって。あれから約10日。

スマホを開くたびに弟からの電話がないとホッとする。それを日に何度もしていると、こんなことならそばについていた方が気が楽なんじゃないかと思ったり。
天下国家を考えてると足元の不安から逃れる
東京、日比谷公園の梅は日に日に花数を増やし、気分転換に乗った都バスから見た荒川も春色になりつつある。3月15日は母ちゃんの誕生日だ。

ああ、こんなことを思っているうちに、去年は気がついたら介護の“囚われ人”になっていたんだよね。母ちゃんのベッドの横に布団を敷いて寝てシモの世話をしていた4か月間は、それなりの達成感があったけれど、じゃあ、またやればと言われたら、絶対にイヤ。

初めて降り立った外国はソ連だった
今、母ちゃんが入院している総合病院はコロナ禍でかたく門を閉ざしている。こんなときは、天下国家を考えると、足もとの不安から一時的に逃れられるんだよね。
それはそれとしてまったく油断もすきもありゃしない。平和の祭典が終わったら戦争って、何考えてんのよ、プーチン。ただでさえコロナ禍で世の中ぶっ壊れかけているのに騒ぎ起こさないで!
ここのところ、議員会館のアルバイト帰りに国会議事堂前から有楽町まで35分のウォーキングをしているんだけど、途中、人けのない霞ヶ関を通るとき、いろんなことを考えちゃう。

向かって右が外務省で、左が財務省。私ら世代は大蔵省といった方がピンとくるんだけど、経産省の古い建物には「国税庁」という看板がかかっていて、この中にマルサと呼ばれるコワモテがいるのかの思うと、つい足早になったりして。
どっちにしろ私には一生関わりのないところ、と思ってふたつのお役所の前の横断歩道を歩きながら写真を撮って、また下り坂を降りて歩きだしたところで、古い記憶がよみがえってきたの。海外旅行をするとパスポートを発行してくれる外務省とご縁ができるのよね。
そしてと国を出たとき、初めて国というものを肌身で感じるんだよね。私の場合、初めて降り立った外国が1983年のソ連で、モスクワ空港だったの。
銃を持った男が駆け寄ってきた
空港は大韓航空機の撃墜事件の1か月後だったせいか、銃を持った軍人だらけ。目的地のギリシャに行くには、トランジットでここで一泊せねばならないんだけど、思い描いていた国際空港の華やかさはどこにもない。
なにせ飛行機の中のスチュワーデスにしてから、いかついアゴに剛毛が生えたぽっちゃりさんで、金輪際笑うもんかと固く決意している様子。おっかないなんてもんじゃないんだわ。
結局、空港では5、6時間待たされたあと、指定の宿にバスで連れて行かれ、食事と部屋をあてがわれたんだけど、ずーっと緊張したまんまよ。そりゃそうだよ。私ら銃を持っている人なんか見たことないんだから。

それでも翌日、乗り継ぎで降りたブルガリアのソフィア空港は、ヨーグルトや五木寛之先生のベストセラー小説『ソフィアの秋』で親しみを感じていたせいで、ちょっと気が緩んだんだよね。
モスクワではカメラのカバーを取る気にもならなかったのに、同行の夫(当時)が私にカメラを向けてバシャ。と同時にどこで見ていたのか銃を持った制服を着た男が駆け寄ってきたの。
身振り手振りで撮影禁止と言われ、「アイムソーリー」と謝りながらカメラをしまったら「オッケー、オッケー」ということになったんだけど、男たちが肩から下げた銃の口はこっちに向いたまんま。社会主義国家とはどういうものか、このとき、ビビリながらわかった気がしたわ。
だけど翌年、また値段が安いアエロフロートに乗ったら、あれ? 様子が違うんだわ。スチュワーデスのおばちゃんはぎごちなく笑いかけてくるし、空港内も前年はなかった売店が出来ていて、3800円のキャビアとか、マトリョーシカが並んでいるではないの。
どうしちゃったのよ、と思っていたら、しばらくしてペレストロイカだのグラスノスチだのゴルバチョフだのがニュースを賑わせて、ソビエト社会主義共和国連邦からロシアになっていたわけ。
母ちゃんもパーシャのように思い出になるのか
それからまた長い時が流れ、格闘家のような体格のロシア人・パーシャと知り合ったんだわ。知り合いの再婚相手で、駒込の海鮮居酒屋で飲んだら日本語も気づかいも完璧。夫婦で起業してかなり成功したらしい。
その彼が酔って、「ソ連時代に戻ればいいのにな」と言い出したんだわ。「ソ連って中はパラダイスだったんだよ。一日の仕事が終わったら村中の人が広場に集まってギターに合わせて歌って飲んで。競争がないし、仕事も適当でいいし」。
ビールで赤ら顔になった彼の夢見るような横顔を見ていたら、大国に守られてのんびり暮らしていた時代が確かにあったんだなと思い、一夜くらいその村人の中に混ぜてもらいたくなった。

しかし時の流れって誰にも止められないのね。今回の塩っ辛いニュースを見ていたら、私がちょっとだけ触れたソ連と彼、パーシャのことを思い出したわけ。
そしていつか母ちゃんも、ロシアに帰って会えなくなったパーシャのように、思い出になるのかなと、茨城に思いを馳せる。母ちゃんがいて原チャで走る田舎の農道と、いなくなってから走るのは、どんな違いがあるのか、ないのか、とかね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【289】93歳母ちゃんが緊急入院、「最期に会えるかどうか。そればかりが気がかりだ」