ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」を介護。現在、母ちゃんは「春まで」という”約束”で施設に入所しています。その母ちゃんの体調に“異変”があったと弟から電話が――。
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「介護の話をしてほしい」とラジオ出演オファー
母ちゃんは昨年の12月初めから地元、茨城の老健(介護老人保健施設)に入所していて、異変があると弟に連絡が入ることになっている。
父親が亡くなった4年前からひとり暮らしになった母ちゃんは、何度か入退院を繰り返していて、2年前からはコロナ禍で病院や施設に見舞いができなくなった。そんな中、昨年夏から4か月、私は看取りのつもりで自宅介護をした。
母ちゃんに何かあるたび、弟とは「年が年だからな」とため息まじりの声をかけあい、「いよいよ」「そろそろ」と、覚悟を決めたのも1度や2度ではない。
それにしても昨年の夏に退院してきた時の母ちゃんの様子はただごとではなかったね。寝たきりで意識はもうろう。薬をのませようとしても固く口を閉ざしている。
それが私が自宅で介護をしたら、まさかのV字回復。それを最初は喜んでいた私も、2か月、3か月と日を重ねるごとに介護に疲れ、母ちゃんを怒鳴りつけることも。そんなことをここで書いていたら、「地元のラジオでその話をしていただけませんか」と声がかかり、出演してきたの。
マイクの前で話した母ちゃんのV字回復と私の怒り
「V字回復には3つの段階がありまして、まずは生命体として、それから人として、最後はキャラクターの回復ですね」
生放送で体験談を話すのは初めてなので、考えをまとめるために弟と私でつけていた介護日誌を開いてみた。日誌に弟は「山崎とし江の記録」と名付けたけど、ふたりで書いたのは最初の1か月だけ。2か月目から生命体として安定してきたと同時に、笑う、話す、歩くなどの人としての回復の速さに筆が追いつかなくなったのよ。
「家に戻るとみんな元気になる」と訪問看護師さんは言っていたけど、まさか退院した翌々日から薬をのんでおかゆを食べるとは、往診に来た担当医もびっくりで、「医学では説明できません。奇跡ですね」と言われた、と私はマイクの前で話したわけ。
茨城放送は地元のFM放送局で、私が出演したのは『週刊ニュースポ』(毎週土曜午後7~8時放送)。ナビゲーターは自身も介護の経験がある『情報参謀』(講談社刊)の著者・小口日出彦さん。テンパっている私を笑顔と相づちで上手に誘導してくれた(パーソナリティは茨城放送の蓑輪史織アナ)。
ラジオでは、自宅介護の終盤で母ちゃんのキャラクターが回復するようになってからは、私の怒りが止められなくなったという話をマシンガントークしたけど、老健に入所している母ちゃんとは丸1か月会っていない。