
田中圭(37歳)が主演を務めた映画『女子高生に殺されたい』が4月1日より公開中です。本作は、「女子高生に殺されたい」という願望を持つ男が主人公のサスペンス映画。禍々しいタイトルに警戒している人もいるかもしれませんが、饒舌なストーリーテリングもさることながら、俳優たちの演技も見応えがある作品に仕上がっています。本作の見どころについて、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。
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タイトルの想像を超えるスリリングと趣向を凝らした映像の数々
本作は、漫画家・古屋兎丸(54歳)による同名マンガ作品を、公開中の瀬戸康史(33歳)主演映画『愛なのに』や、低予算映画ながら3万人以上を動員した話題作『アルプススタンドのはしの方』などを手がけた城定秀夫監督(46歳)が実写化したもの。女子高生に殺されるために高校教師になった主人公に田中圭が扮し、南沙良(19歳)を中心とする気鋭の若手女性俳優陣が女子高生役として田中に対峙しています。
物語のあらすじはこうです。とある高校に新しく教師として赴任した東山春人(田中圭)。どの生徒にも分け隔てなく優しく接する彼は学校中の人気者ですが、その内面には異常な願望を抱えています。東山は「女子高生に殺されたい」という望みを叶えるために教師になり、この高校へやって来た男なのです。

凄惨な物語?滑稽な内容?
それも、“完全犯罪であること”、“全力で殺されること”という2つの理想の条件を満たしてくれる女子高生と出会うため、彼は9年もの歳月をかけて完璧な計画を練り上げてきました。役者が揃ったところで、いよいよ彼が思い描いてきたシナリオに沿って物語は本格的な幕を開けるのです。
いろいろな意味で、剣呑な印象を与える本作のタイトル。凄惨な物語の展開を想像する人や、突拍子もない滑稽な内容を想像する人もいるでしょう。たしかに、凄惨といえば凄惨で、滑稽といえば滑稽です。しかし、主人公・東山春人の視点で語られる不穏な物語は非常にスリリング。始まりを告げる冒頭の桜のシーンをはじめ、趣向を凝らした映像の数々にも魅せられます。

本作以外にも、映画『よだかの片想い』や『ビリーバーズ』といった話題作の公開が相次ぐ城定監督の職人的な手さばきの鮮やかさを堪能できる一作です。
田中圭と4人の“ヒロイン・カルテット”による魅惑のアンサンブル
多くの作品でバイプレイヤーとして活躍し、近年は映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』や『総理の夫』、『あなたの番です 劇場版』など主演作の公開が相次ぐ田中圭。それに加え、南沙良、河合優実(21歳)、莉子(19歳)、茅島みずき(17歳)、細田佳央太(20歳)ら次代を担う俳優陣による演技合戦も本作の見どころの一つ。魅惑のアンサンブルが実現しています。

ドラマ『ドラゴン桜』第2シリーズ(TBS系)での無邪気な女子高生役が記憶に新しく、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演の南沙良が本作で演じるのは、とある秘密を抱える控えめな性格の女生徒・真帆。その静かな佇まいとは対照的な、ある種“アクロバティック的”とも言える演技で主演の田中と張り合います。

この真帆の親友であり、互いに良き理解者であるあおい役に扮しているのは、『愛なのに』でもヒロインを務めている河合優実です。デビューからたった3年で引く手数多の俳優となった彼女が、今作では予知能力を持つ少女に。言葉数が少ないキャラクターではありますが、セリフに頼らぬ彼女のリアクションの表現の豊かさによって、田中演じる教師の特異性を際立たせています。
また、カリスマモデルとしてティーン層から圧倒的な支持を集め、近年は俳優業でもアクティブな活動を見せる莉子、「ポカリスエット」のCMで注目を集めた茅島みずきも欠かせない役どころに配されています。


堅実に演じる田中圭と深みを与える大島優子
この気鋭の4人による“ヒロイン・カルテット”に単身挑むのが、主演の田中圭です。演じる東山という人物は、自分が殺される状況に興奮を覚える“オートアサシノフィリア”という精神疾患を抱えるキャラクター。表と裏の2つの顔を持つ人物ですが、“裏の顔”は彼にとってごく自然なものであり、精神を支えるもの。田中は安易で分かりやすい怪演などに走らず、これを極めて堅実に演じています。

むしろ、善人の表情を浮かべる“表の顔”の方があからさまで、この差によって東山の異常性や複雑さを巧みに表現しているように思います。また、東山の元恋人であり、彼が勤める高校にスクールカウンセラーとして赴任してくる女性の役を大島優子(33歳)が演じており、彼女の存在がより本作に深みを与えています。

精神疾患に至った背景に隠れたメッセージ
自分が殺される状況に興奮を覚える“オートアサシノフィリア”。この精神疾患を抱える主人公が、自分が女子高生に殺される状況を妄想して興奮するというのは、たしかに変わっています。しかし先述したように彼にとっては普通のことで、生きる上で重要な、切実な問題です。病的なフェティシズムではあるものの、一線を超えてしまわないかぎり、断罪されるべきではないでしょう。彼はその一線を超えてしまうのですが……。

本作では、なぜ彼がこのようになってしまったのかを仄めかす瞬間も描かれています。もちろん、真相は分かりません。ただ、精神的な病の多くには、例えばトラウマであったり、それが生じるに至った原因が存在するものです。エンターテインメント性の高い作品ではありますが、この事実を本作は内包しています。あなたはそこから何を読み取るでしょうか。誰もが目を背けたり、見落としてしまう問題が描かれているように思います。
◆文筆家・折田侑駿

1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。http://twitter.com/cinema_walk