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【65歳オバ記者 介護のリアル】母ちゃんが不慣れなリモート通話で一度だけ大喜びした出来事

オバ記者
母ちゃんが亡くなったあと、リモートでやり取りした事を思い出したというオバ記者
写真8枚

ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって約2か月、ありし日の姿を思い出す毎日だといいます。今回は、コロナ禍の中、施設に入っていた母ちゃんとリモートでやり取りしていた日々を振り返ります。

* * *

母ちゃんのありし日の姿がスマホに

スマホを開いたとき、何の加減か、3月に亡くなった母ちゃんのありし日の写真が画面に出てくるんだよね。母ちゃんはカメラを向けられると基本、笑顔を見せたから、それを見るとなんとも切ない気持ちになるんだわ。

オバ記者の母親
カメラを向けるとニコっと笑顔を見せる母ちゃん
写真8枚

昨年の夏から冬にかけてシモの世話に明け暮れた実家での写真だけじゃない。数年前から体調を崩すことが多くなって、やれ入院した、退院した、施設に入った、また入院だといっては茨城に帰って、そのたびに何かしら写真を撮っていたから、結果的に私のスマホには母ちゃんの膨大な写真が保存されているのよ。

オバ記者のお母さん
スマホをスクロールすると母ちゃんの顔がいっぱい!
写真8枚

老健にいた母ちゃんとリモート通話

それが、出し抜けに出てくる。そのたびに「ギャッ、勘弁してよ」と目をそらしたくなるけど、だからといってわざわざ母ちゃんの写真が飛び出してこないようにスマホの設定を変えるかというと、そこまでする気にはなれなくてね。

その時の気分しだいで、「母ちゃん」と小さな声で呼びかけたり、昨年の今ごろは…と振り返ってみたりして。

オバ記者の母
老健と病院を出たり入ったりしていた母ちゃん
写真8枚

昨年の今頃は、老健(介護老人保健施設)と病院を出たり入ったりしていた母ちゃんが、ヘルパーさんの力を借りてひとり暮らしを再開。週に何日かはデイサービスに通い出したの。で、コロナ禍で東京もんの私は出入り禁止。

ケアマネジャーのUさんから言われたときは、そこまで規制するのかとビックリしたけど、ヘルパーさんや、デイケアセンターの職員に何かあると取り返しがつかないと言われたら、納得するしかない。それで週に一、ニ度、母ちゃんの様子を見に行っていた弟のスマホでリモート会話することになったの。

手応えがないようで「んじゃ切っと」と

会話と言っても昭和3年生まれの母ちゃんは、画面に向かって「おう」と声をかけると「あはは、広子か」とテレ笑いをするけど後が続かない。

オバ記者と母親
電話するもすぐに「切ろ」と面倒くさそうだった
写真8枚

「だいちたよ(大丈夫だよ)、元気でやってっから。どうせ帰ってこれねんだっぺな。んじゃ切っと。こうたもんでいぐら(いくら)話したってしょうがねーよ」

リモート会話の手ごたえのなさに文句を言う母ちゃんに、ぴらぴらと手を振ると、「はあ、いいがら。切ろ」と面倒くさそうに手を振り返したっけ。

“息子が校長に”に体を二つ折りにして大喜び

ところが一度だけ、リモート会話中に母ちゃんが大喜びしたことがあったの。一昨年の冬、あの日は老健の担当の人がスマホを貸してくれて、母ちゃんと私を会話させてくれたのね。

見れば母ちゃん、髪はザンバラでなんとなく元気がない。そして、いきなり「はあ、おら、どうでもかまねんだ(もう、どうでもいいんだ)」と言うから、ちょっと迷ったけど直前に弟から入ってきたニュースを言うことにしたの。

オバ記者と母親
弟の試験合格に周りもびっくりするくらい喜んだ母ちゃん
写真8枚

「何言ってんだよ。母ちゃんの息子(弟)、校長の試験に受かったよ」と言ったら、「ひぃ~」と悲鳴のような、ため息のような声をあげたかと思ったら、画面から母ちゃんが消えた。体を二つ折りにしたのよ。

担当の女性職員から「すごいじゃない!」と言われ、画面に戻ってきたけど、母ちゃんがこういう喜び方をするの、初めて見た!

私が言うのをためらったのは、弟は公立小中学校の校長の試験を通っただけで、辞令がおりたわけじゃない。人に話していいことかどうか、判断がつかなかったのよ。

それでも、もしこのことを母ちゃんが知らずに亡くなったら後々、どんなに後悔するか。90過ぎた年寄りは今夜どうなるかわからないもの。それで話したんだけど、こんなに喜ぶとは思わなかった。

「校長の母と呼ばれたい」と言っていた母ちゃん

翌春、弟は無事に公立中学の校長になってね。で、秋のある日曜日、自宅に戻って医師も驚くV字回復した母ちゃんを連れて、弟の赴任している中学校までドライブしたの。弟が校門の前に車を止めたら、「そうが。ここで校長してんのが」と車の窓に顔を寄せて校舎を見渡していたっけ。

オバ記者の母親と弟
「校長の母と呼ばれたい」と言っていたという
写真8枚

これは後から聞いたことだけど、母ちゃんはずいぶん前から近所の友だちに「校長の母と呼ばれたい」と言っていたらしいよ(笑い)。

ちょうどその頃、私もイラストレーター・有田リリコさんとの共著、『で、やせたの?』を出版。母ちゃんはデイサービスに私のカラー写真いっぱいの本を持っていって、「おらじの娘だ」と自慢していたみたい。

今頃、母ちゃん、鼻をぴくぴくさせて、“冥土の土産“を自慢しているかしら(笑い)。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
写真8枚

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【298】四十九日を終えて母ちゃんの「死」が「ストンと腑に落ちた」瞬間

【297】介護中の母ちゃんを元気づけていた「恋」のお話

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