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妻夫木聡が見せる“凄み”、抑制された演技でも「人物のバックグラウンドを現前化」

張り付いたような笑顔と陰りとで訴える主人公の心情

本作の“作り”について、一部のかたには非常に変わったものだと映るかもしれません。なぜなら物語は安藤さん演じる里枝に寄り添った視点から始まり、やがて窪田さん演じる大祐との“谷口家”にフォーカス。ところが、大祐と名乗っていた男が「どうやら本物の谷口大祐ではないらしい」ということが判明してからというもの、物語の手触りはラブストーリーからミステリーへと転換し、妻夫木さん演じる城戸の視点に寄り添うものになっていくからです。

映画『ある男』場面写真
(C)2022「ある男」製作委員会
写真11枚

とはいえ城戸は刑事や探偵ではありません。自らズカズカと他人の人生に踏み込んでいくような人物ではない。里枝から持ちかけられた一つの相談をきっかけとして、他者の人生に深く関わり、結果的に自分自身が翻弄されていく人物です。思い切って言うと、“巻き込まれ型の主人公”に分類できるものかもしれません。つまり彼には「主体性」というものが希薄なのです。

これは城戸自身のルーツが影響しています。ミステリー要素が強い作品であるため、ネタバレしないように気をつけたいところ。ですがただ一ついえるのは、“ある男”が谷口大祐という圧倒的な他人の人生を生きてきた過程で感じていたであろう違和感や居心地の悪さを、彼は知っているのです。

映画『ある男』場面写真
(C)2022「ある男」製作委員会
写真11枚

私たちはそんな彼の事情を、物語の途中で理解することになります。“ある男”の実像に接近するほどに城戸がさまざまな事象に翻弄されるのは、“城戸章良が城戸章良であるから”こそ。この社会をどうにか生き抜いていかねばならない彼の心情を、まるで貼り付いたような笑顔と、ときおりそこにのぞかせる陰りとで妻夫木さんは私たちに訴えかけてきます。ほとんど感情的になることのない抑制された演技の中でも妻夫木さんは、城戸章良という人物のバックグラウンドを現前化させるのです。

映画を観て判明する“事実”と、私たち一人ひとりが見つける“真実”

いまのあなたではない、まったく違う誰かになりたいと願ったことはないでしょうか。筆者はあります。何度もあります。その理由はここには書けません。非常に個人的な理由だからです。同じようなかたは少なくないのではないでしょうか。

映画『ある男』場面写真
(C)2022「ある男」製作委員会
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もちろん、“憧れ”でまったく違う人生を歩んでみたいと思うこともあります。ですがたいていの場合は、現状の自分を否定しようとする気持ちの表れでしょう。そこには個々人の抱える複雑な問題や、さまざまな事情があるのだと思います。安易にネット上に書けるものではないはずです。

では、“ある男”が谷口大祐という人間として生きたのにはどのような事情があったのでしょうか。そしてその事情を知っていくにつれ、城戸はどのように揺さぶられていくのでしょうか。映画を観れば、“事実”は解ります。けれども“真実”には容易には近づけません。私たち一人ひとりの他者に対する想像力にゆだねられています。


◆文筆家・折田侑駿

文筆家・折田侑駿さん
文筆家・折田侑駿さん
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1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun

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