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「卵巣がんの疑い」で手術した65歳オバ記者、身に沁みた友人からの心配と「胸が締め付けられる」末期がんの幼なじみの死

オバ記者
手術から2か月たったオバ記者の現在はというと…
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「卵巣がんの疑い」で10月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。手術後の検査の結果、卵巣がんではなく「境界悪性腫瘍」という診断だった。そんなオバ記者が、病気になって感じた友人たちのありがたさと、末期がんで亡くなった幼なじみについて綴る。

* * *

「心配」「電話をください」と友人たちが

「ヒロコちゃん、大丈夫なのぅ。ネットの記事を見てもう心配で心配でね」と、久しぶりに電話をしてきた幼なじみのY子がいきなり泣きそうな声なの。彼女だけじゃない。別の友だちは「ビックリしたよ。元気というイメージしかなかったから、まさか大病して手術していたなんて…。人は見かけによらないんだね」だって。

「大至急電話をください」と、今をときめく某宗教団体の信者氏は、何度かショートメールを送ってきた。「とにかく声を聞かせてください」と言うから何かと思えば、「ああ、元気そうでよかった。とにかく気落ちしないで」と心底、ホッとした声を出すんだわ。「いや、それはこっちのセリフでしょ」と笑うと、「いやいや、こっちはまあ大丈夫だから」と口の中でゴニョゴニョ。なにせ時期が時期。彼とはあるきっかけで知り合ったけれど宗教の話は一度もしたことがない。

まあ、そんなことはともかく、よくよく話をしてわかったんだけどみんな私を「がん」と決めつけていたんだよね。

オバ記者
手術する前にパチリ
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「卵巣がんの疑い」ではなくて「境界悪性腫瘍」という診断が下りた、と何回か書いたけれど、その違いを私がわが身に降りかかるまで知らなかったように、たいがいの人は知らないのよ。

「境界悪性腫瘍」の中の「悪性腫瘍」の4文字しか目に入らなくて、「ってことは、がん、だよね?」と幼なじみのY子がおずおずと聞いたように、多くの人はそう思ったんだよ。「境界悪性腫瘍」というのは、ざっくりいえば良性と悪性の中間の位置づけにあたるもの。

“がん保険は0円だった”で納得?

「いやいや、がんではなくて、どのくらい違うかというと、『がんと診断されたら〇百万円保障』という保険に2つ入っていたけど、0円だったの!」

入るかもしれなかったがん保険の金額を口走ったりして、われながら浅ましいが、電話の向こうの人には効果てきめん。

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入院中、物思いにふけっていた場所
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「じゃあ、大丈夫なんだね?」とY子はたちまち声のトーンが変わったし、宗教おじさんのほうは「あははは。そうか、そうか。あなたらしいわ。でもお金じゃない。お金じゃ健康は買えないよ」ってね。それも全部、あなたに返す!と、実際言うとややこしくなるから言わなかったけど(笑い)。

とにかくこんなにいろんな人が私ごときを心配してくれたかと思うと、ありがたくて何かに手を合わせたくなる。この春、母親が亡くなって以来、天涯孤独という文字が身に張り付いているような気がしていたから、人のやさしさが沁みるんだよ。

手術から2か月で体調は“ほぼ回復”

で、現実はというと、ひと言でいうと“ほぼ回復”だね。病後の人がよく、「薄皮がはがれていくように回復した」というけれど、そんなものではなく、もっと劇的な気がするの。

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6時間もの手術を終えた直後のオバ記者
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そりゃあ、お腹をタテにバッサリと切って、12cmに膨らんだ卵巣と、その病原の元になった子宮を全部取り出したんだから、いきなり元気にはならないわよね。退院後、ちょっと歩くと切った皮膚だけじゃなくてお腹の中の手術痕がイヤな感じに痛くなったもの。そうなると体中から力が抜けて、翌日はベッドの中でぐだくだ。

それだけじゃない。退院して1か月たっても体全体がむくんでいる感じで、何をしても動きがにぶいんだよ。思うように足が上がらないのも気になる。階段を2、3段上ろうとすると老人のように脚を広げてよいしょ、よいしょって、それはないでしょ!

そりゃあ、65歳の私は“高齢者”だけど、老人になるのはまだ先だと思いたい。手術をして一気に老いたという話は聞いたことはあるけれど、まだまだ抗いたいじゃないの。

そんなことを考えながら私の住む千代田区からいただいた“敬老入浴券”を持って、神田郵便局近くの極楽湯へ行ったわけ。

極楽湯は都内でも珍しいスパつきの銭湯で、3時間のサウナコースや、漫画読み放題で10時間利用できるRAKUスパコースがあるのね。そこに新設されたマッサージコーナーで出会ったのがリンパマッサージ師のミヤちゃんだったの。

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リンパマッサージ師のミヤちゃん
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リンパマッサージは手と器具を使って、「いててて。ひぃぃぃ」の100分間。痛いけど気持ちいい。気持ちいいけど、ちょっと痛い、かな? その繰り返し。これがクセになって週に一度を3回繰り返した。そのうちの1回はリンパの翌日、前からかかっていたタイ古式マッサージのNさんの元へ。

リンパマッサージで全身に滞っていたリンパの流れを良くして、タイ古式で体のすみずみを伸ばそうというわけ。

「この組み合わせ、最高ですね」と、ミヤちゃんがいえば、タイ古式のNさんは、「リンパの方、ずいぶん頑張りましたね。背中がちゃんと背中になっています」だって。流派は違えども施術をすると相手の仕事ぶりがわかるみたい。

駅の階段を上れるように!

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階段を上れるまでになった!
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その結果が階段よ。ここを私、ちゃんと足をそろえて上ったのよ。思えば秋葉原に引っ越してき6年前はたいした決意もなく、ちょっとした荷物を持っていてもなんてことなく上っていたのよね。それが気付いたときは階段なんか見るのもイヤ。その代わり駅のエレベーターとエスカレーターを探す目は誰よりも早くなっていた。

そんな時にあるタブロイド紙から「元気な闘病」という趣旨で取材を受けたの。44年間の記者生活で取材をしたことは日常だったけれど、取材を受けることはめったにないからね。記者のMさんが「闘病話でこんなに爆笑していいんでしょうか」と涙目になるほど、張り切ってお話ししちゃった。

末期のすい臓がんで亡くなった友人のこと

その翌々日はひとりで上野の国立西洋美術館へ。気になっていた『ピカソとその時代』を見に行ったのよ。

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ひとりで『ピカソとその時代』を見に上野まで
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ひとりで美術館にくるのは、30年ぶりだ。美術館、博物館、植物園を誘うと絶対に断らない幼なじみのF子といっしょだったのよ。そのF子は私と同時期に不調を訴えて入院したけどすい臓がんの末期で、私が退院した9日後にあっさり他界しちゃった。

私は入院中、ずっと彼女とLINEのやりとりをしてLINE電話で話していただけに、気持ちがついていかなくて、泣くに泣けない。胸にどすんと重たい荷物を抱えている感じ。ピカソの面白不思議な絵を見ていたら彼女の顔ばかり浮かんできてね。少しずつ遠くから胸が締め付けられるような心持ちになってきたの。もう一歩で悲しくなれそうでなれないんだけどね。

親の死より友の死のほうが、ずっと重たいのは、自分と重なるから? 私を心配して電話やメール、LINEをくれた勘違い友だちたちも、きっと同じ思いをしたことがあるんだなと、あらためて思ったのでした。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【326】「卵巣がんの疑い」で手術を経験した65歳オバ記者、退院後に救われたがんになった友人からの言葉

【325】「個室に移りたい」と訴えた時に看護師がピシャリと言った言葉

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