東出昌大と三浦貴大は脂が乗っている俳優の代表格
東出さんも三浦さんも、ともに現在30代半ば。ジャンルや規模感などを問わず数多くの作品に参加し、すでに“若手”と呼ばれる時期を過ぎた存在です。年齢的にもキャリア的にも演じられる役の幅が広がり、いままさに脂が乗っている俳優の代表格として映画界を牽引しています。
そんな2人が初共演を果たして挑んだのが、金子さんと壇さんの関係。実在の人物を演じるのは相当なプレッシャーがあったといいます。本作は、そんな同世代の俳優の2人がこの高いハードルをどのようにして超えていったのかも感じられる作品となっており、彼らの一挙一動を見つめるためだけでも一見の価値があるでしょう。
好対照な演技アプローチ
本作の東出さんと三浦さんの関係は、野球で例えるならばピッチャーとキャッチャーのよう。東出さんがさまざまな球種・球速のボールを投げ、それを三浦さんが的確に捉え、次なるゲーム展開に繋げていきます。資料に目を通すと、実際の金子さんと壇さんの関係もそうだったことが分かります。
東出さんが金子というキャラクターの世界に潜り込んでいく一方で、三浦さんは常に俯瞰的な視点を持って全体に意識を配っている印象があります。金子の言動は周囲に影響をもたらしますが、その影響の広がりをうまく制御するのが壇の役どころ。東出さんと三浦さんは本作において好対照の演技アプローチを実践し、それがこの作品の魅力の一つにもなっているのです。
作った者に罪はあるのか
本作が描き出す“事件”は、「Winny」に関することにとどまるものではありません。この“事件”が、思いがけず社会の暗部をも引きずり出すことになるのです。けれどもここでその部分に触れるのはやめておきましょう。本作のギミックでもありますから。
この「Winny事件」の問題の肝ともいえるのが、劇中で壇が口にする「開発者に罪はあるのか」というもの。例えばナイフを使った殺人事件が起きてしまったとして、そのナイフや、ナイフの製作者に罪があるのか、ということです。普通に考えれば、そんなはずはないと分かります。けれどもこの「Winny事件」では実際にそれが起こってしまった。おかしな話です。使い方を誤った者が悪いに決まっています(予め“攻撃”することを想定して作られたものはまた別の話ですが)。
これはひるがえって、ユーザーの振舞いによっては開発者を苦しめることになることの証左でもあるでしょう。情報化社会が発展すればするほど、考えてもみなかった犯罪が生まれているのは事実です。そしてそれが報道され私たちが翻弄されているうちに、その背後には大きな力が働いていたりもする……のかもしれません。いま「Winny事件」が映画として再び掘り起こされ、現代社会に対して警鐘を鳴らしているのです。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun