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66歳オバ記者、母親や弟を亡くし、叔母は認知症で特養へ「昔話をして顔をしかめる身内がひとりもいなくなった」

「人探しに飲み屋につき合ってほしい」

それが私も上京して住み込みの靴屋の店員をして、貯めたお金でマスコミの学校へ行きだしたころから、バランスが変わったんだよね。まあ、私が生意気口を叩くようになったんだけど、そんなある日、叔母から「人探しをしたいんだけど飲み屋につき合ってほしい」と言われたのよ。私が20歳の昭和52年の秋だった記憶がある。

昔、夜の繁華街で叔母の従兄弟探しを手伝ったことがあったな(写真は元気な頃の母ちゃんとカンパイした時)
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事情はこうだ。叔母の従兄弟が新宿でバーをしていて、老いた父親があと何か月ももたないのに、何度手紙を出しても返事がない。バーの住所はわかっているけど、ひとりで夜の繁華街を歩くのは怖い。お前なら飲み歩いたこともあるだろうから、一緒に行って従兄弟を帰るように説得してほしいと。

次々と墓の住人になる家族…「人がいてこそ」のことも

叔母の従兄弟の店はあっけないほど簡単に見つけられて、そこのカウンターで叔母はハイボールを注文して、私は水割りにしたっけ。そこで私は叔母に頼られたことがうれしくて、調子に乗ったんだね。「親が死んでから後悔するよ。後生だから会ってやってよ」と、20歳の小娘は今なら顔から火が出るようなことを言ったのよ。「後生?」と従兄弟は私の顔をマジマジと見ていたっけ。そんなことをつい先日、久しぶりに行った新宿のゴールデン街を歩いていたら思い出したの。

オバ記者
若い時の思い出は顔から火が出るほど恥ずかしいことが多い(写真は昔海外旅行に行ったときの一枚)
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それはともかく、私はこういうどうでもいい場面を事細かく覚えているクセがあって、それを披露して叔母から怒鳴られたことがある。

「叔母ちゃんさ。あの時、私にこう言ったよね。覚えてない? ほら、誰と誰がいて、誰かがこう言ったときに私がああいったら、叔母ちゃんが…」

江戸の敵を長崎で、じゃないけれど、小学生の時、叔母が子供だと思って油断して私に吐き捨てたことを、20過ぎてからここぞとばかり蒸し返したわけ。そうしたら叔母、「そんな昔のこと、今さら言ってどうなるのっ。人に嫌われたくなかったら、昔の話なんかするんじゃないよ」と激怒したんだわ。それから蒸し返しはなるべくしないことにしているの。

オバ記者の母親
母ちゃんは墓の中の人に。写真は四十九日のときのもの
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だけどその蒸し返しだって、人がいてこそでね。ここ数年でバタバタと墓の中の住人になった母ちゃん、義父、年子の弟には届きやしない。届かないという意味では認知症の叔母もそう。昔話をして顔をしかめる身内が、ひとりもいなくなったんだよね。それが、ふとしたときに身をよじるほど寂しくてたまらなくなるの。

オバ記者と母ちゃんと義父
ひとりまたひとりと話したい人が去っていくのはやっぱり寂しい(写真は母ちゃんと義父)
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これが年をとるということ? そんなことを考えながら、最近、棚に水をあげて誰ともなく手を合わせだしたんだよね。ちょっと気休めになるような気がするよ。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

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