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名優・吉永小百合だからこそ表現できる“恋する女性像” 少女のような軽快さと歳を重ねてきた人間の重みが同居

『こんにちは、母さん』場面写真
吉永小百合が山田洋次監督の最新作に(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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吉永小百合(78歳)さんが主演を務めた映画『こんにちは、母さん』が9月1日より公開中です。『男はつらいよ』シリーズなどで知られる山田洋次監督の最新作である本作は、人生に行き詰まった男性の視点をとおして、その“母”の姿を描いた人情劇。日本を代表する名優と名匠による、あたたかな作品に仕上がっています。本作の見どころや吉永さんの演技について、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。

日本を代表する映画人によるタッグ作

本作は、劇作家である永井愛さんによる戯曲『こんにちは、母さん』を、これが90本目の監督作品となる山田洋次さんが映画化したもの。

『こんにちは、母さん』ポスタービジュアル
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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山田監督といえば“家族映画”の名手。『男はつらいよ 柴又慕情』(1972年)に『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』(1974年)、『母べえ』(2008年)、『おとうと』(2010年)、『母と暮せば』(2015年)でタッグを組んできた吉永小百合さんを主演に迎え、新たなる“家族”の物語を作り上げています。

日本を代表する映画人のタッグによって、令和の人情劇が誕生しているのです。

母の姿が周囲をも変える

有名な企業の人事部長として、日々神経をすり減らしている神崎昭夫(大泉洋)。彼の悩みの種は仕事だけではありません。妻との離婚問題を抱え、大学生になった娘・舞(永野芽郁)との関係にも頭を悩ませています。

そんな彼は、東京の下町に暮らす母・福江(吉永)のもとを久しぶりに訪れることに。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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馴染みのある下町の実家。ところが、何かがおかしい。久しぶりに会った母の様子がどこかおかしい。昭夫の知っている母とは少し違い、はつらつとした日常を送る彼女は、どうやら恋愛をしているらしい。しかしこうして自分の知らない“母”と出会った昭夫は、やがて彼自身も変わっていくことになるのです。

吉永小百合の息子役に大泉洋、孫娘役に永野芽郁

日本を代表する名優と名匠によるタッグ作とあって、この座組は非常にユニークなキャスティングで固められています。

まず、福江の息子である昭夫を演じているのは大泉洋さん。いまや日本中から支持を集める人気俳優の彼ですが、山田作品への出演も、吉永さんとの共演も、これが初めてのこと。しかし、硬軟自在な演技はさすがです。狂言回しの役割も務める彼こそが、この物語の世界に観客を引き込み、“母”との出会いを私たちにももたらせてくれるのです。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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そんな昭夫の娘にして福江の孫を演じているのが永野芽郁さん。山田監督の前作『キネマの神様』でヒロインを務め、配信中の主演ドラマ『御手洗家、炎上する』での好演も評判の彼女が、父に反抗的な“イマドキの女子”に。それでいて、恋する福江の良き理解者としても活躍。父と祖母の間に立って物語を盛り上げる役どころを一手に引き受けています。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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そして、福江が恋をする男性を、『男はつらいよ』シリーズにたびたび顔を見せてきた寺尾聰さんが演じているほか、昭夫の同僚役に宮藤官九郎さん、福江の友人役にYOUさんと枝元萌さんが扮し、福江と交流する路上生活者の男性の役に田中泯さんが扮しています。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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この手堅い座組の中心に立つのが、日本が誇る名俳優・吉永小百合さんというわけです。

つねに女性俳優のトップであった吉永小百合

ここまで繰り返し書いているように、吉永さんといえば日本が誇る名優の一人。これに異論のあるかたはほとんどいないのではないでしょうか。1959年公開の『朝を呼ぶ口笛』で映画デビューを果たし、『キューポラのある街』(1962年)や『伊豆の踊子』(1963年)などで主演。膨大な数の映画作品に絶えず出演を続け、80年代の中頃以降は、各作品の看板を背負う、日本を代表する主演俳優となりました。

筆者個人の吉永さんとの出会いは2000年代に入ってからのことですが、そこから遡るかたちで歴史に残る名作たちとも出会い、そのたびに吉永さんのさまざまな魅力を知ったものです。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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そこで理解するのが、もっとも活躍した60年代から今日に至るまで、彼女はつねに女性俳優のトップであったこと。もちろん、俳優に優劣をつけることはできません。けれども彼女がスターであり続けたことは、そのキャリアを振り返れば一目瞭然なのです。

さすがは永遠のスター

そんな吉永さんが本作で演じるのは、友人たちとのボランティア活動に夢中になって取り組み、そして恋をする人物。つまり、いくつになっても自分の人生をあきらめない女性です。これは長きにわたってスターであり続け、生涯現役であり続ける吉永さんだからこそ演じられる役どころのように思います。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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もちろん、誰だって生涯現役で仕事や趣味や恋愛に夢中になっていいに決まっています。けれども、あくまでもエンターテインメントとしてこれを描くならば、演じるのはそれ相応の人物でなければならないでしょう。

とはいえ、彼女のブランドイメージがこれを成立させているわけではありません。吉永さん扮する福江は、息子や孫、そして友人たちに対してそれぞれ異なる態度を取ります。むろん人によって態度が変わる人物などというわけではなく、対面する相手との関係性や距離感によって、ごくごく自然に接し方が変わるだけのこと。私たちと同じです。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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特筆すべきは、彼女の恋の相手が初登場するシーン。ここでは相手の男性の顔はほとんど画面に映っていませんし、福江の顔もよく見えない。ですが彼女のその声色が明らかに違います。華やいでいます。このほんの一瞬だけで、福江がどのような心の状態にあるのかを吉永さんは示してみせ、これからどんな物語が始まるのかを示唆します。それもごくごく自然に。その声音は少女のような軽快さがあり、丁寧に年齢を重ねてきた人間の重みがあります。さすがは永遠のスターです。

“そこに生きる人々”

普段あまり映画を観ないかたにとってこの作品は、少し変わった作りのものに感じるかもしれません。主人公は福江でありながら、つねに息子の昭夫の視点で物語が進行していくからです。

『こんにちは、母さん』場面写真
(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会
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でもだからこそ浮かび上がってくる主題というものがあります。なぜなら、福江の自分自身の気持ちを大切にする姿を目の当たりにした昭夫が、やがて彼もまた自分に正直になっていくから。本来であれば、いくつになっても、誰であっても、自由に生きる権利があります。

ここでふと思い出すのが、吉永さんが終戦の年に生まれた人だということ。彼女が成人する頃には時代は大きく変わっていたわけですが、彼女の親の世代はそうではない。自由に生きる権利はなかったのではないでしょうか。

山田監督は絶えず“そこに生きる人々”の姿を描いてきました。この映画の主人公である福江という人物と吉永さんを重ね合わせたとき、物語の舞台となっている東京・下町にあまた存在した人々の営みにまで思いを馳せることができるのです。

◆文筆家・折田侑駿

文筆家・折田侑駿さん
文筆家・折田侑駿さん
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1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun

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