ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。ここ数年、愛猫や身内の死を相次いで経験。昨年は自身の大病で手術、入院をした。年齢を感じることなく激動の日々を送っていたが、最近「高齢者」であることを実感する出来事が。人はいつ自分が高齢者であることを自覚するのか――オバ記者が綴る。
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60歳になった途端、弟が亡くなり…
この間から“高齢者”という3文字が頭の中で大きく、クッキリ、はっきりしている。前期高齢者と役所が認定するのは65歳からだから、66歳の私は文句なしの高齢者。何をいまさらと言われたら何も言えないけれど、そう簡単にお役所が認定した通りの心持ちになれるもんじゃないんだって。
サラリーマンは定年退職する60歳で劇的な変化をするけれど、私みたいなフリーランスは昨日の続きで明日が来る。高齢者? 知らねーよと老いから徹底的に逃げようとすればできないこともない。ほら、ときどき若者風のファッションをかっこよく着こなしている“イケおば”がいるじゃない。身のこなしもバキバキしていてどこにも老いの影なんかか感じない。そんな人になれそうな気がしていたけど、まぁ、そうは問屋が卸さないんだね。
私の場合、60歳の声を聞いた途端、1つ違いの弟が亡くなり、翌年には義父が他界。翌々年には愛猫、三四郎が19年3か月の生涯を閉じた。その1年後には母親が、在宅介護を経て翌年の春に93歳であちらへ。
あ~あ。やれやれ、これで打ち止めかと思う間もなく、母親を見送った半年後には私のお腹に異変が生じて、大学病院で卵巣と子宮を全摘出。どうよ。ここまで次から次にいろんなことが起きたら、「私は高齢者」なんて自覚をしろってほうがムリだって。目の前に起こったことに対処するだけで手いっぱいの6年間だった気がする。
ふと思う「母ちゃん、何してっかな」
それが先日、「あれ、三四郎は?」と朝、目覚めに一瞬、思ったんだよね。ヤツが亡くなったのは2019年の夏だからもう4年もたっていて、遺影に毎朝、お水をあげているのによ。「亡くなったから、もうこの世のどこにもいない」ということを完全には認識できていないんだよ。それでいえば両親と弟の死もそう。「あんなことしたっけな」という思い出の中に、「これ、あげたら喜ぶかな」とか「これ、頼もうかな」と、生きているときと同じ気持ちが混じるのよ。そのたびに「ああ、そうか。いないのか」と思うんだけど何日かすると「母ちゃん、何してっかな」とかね。
もちろんふとした瞬間の思いだから言葉にはしないけど、もしかしたら身近な人を亡くした人はみんな同じなのかしら。わが家では50年近く葬式を出さなかったからよくわからないんだわ。とにかく過去と今と、時間が時間通りに流れていない感じがしていたんだよね。