ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)は一昨年10月、「卵巣がんの疑い」で手術を経験。その後、境界悪性腫瘍と診断された。そして今度は膵臓に「のう胞」が見つかった。年を重ね、さまざまな体の“異変”を感じる中でたどり着いた境地とは――。
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連日ネットカフェに通い詰めのワケ
ここのところ、本気で原稿を書いている、なんていうとじゃあ、今まではどうだったんだと突っ込まれそうだけど、まあ、病気の効用とでもいうのかしら。「卵巣がんの疑い」は「境界悪性腫瘍」という診断結果が出て、半年検診を2回したら今度は「膵臓にのう胞があります」だって。つまり私はバツが2つついたわけよ。
こりゃあ、うかうかしていられないな。体力があるうちに、この世でやりたいこと、やらねばならないことを巻き入れてやっていこうと、この1か月、大真面目に考えたわけ。それでちゃんとまとまったものを書こうと東京駅の見えるネットカフェに連日、通い詰めている。
「きゃーっ、都会そのものじゃん。わぁわぁ、ステキ〜。ん? でも先輩。いま、経済的に大ピンチって言ってなかったっけ?」と言ったのは、カフェを訪ねてきた漫画家で作家のハセジュンこと長谷川純子だ。まぁ、確かにそうなんだけど、それにはそれなりの事情があるのよね。今、私が書いているのはいわゆる自叙伝ってやつで、これまで何度か書こうとして書けなかったものなの。
私をシャンと覚醒させた「膵臓のう胞」
なぜ書けなかったのか。う〜ん、これがなかなかにややこしくてね。これまでベロベロに酔っ払ったときにサワリだけ人に話したことはあるけど、たいがいの人はドン引きよ。仲良くしていた人から「私とは生まれた星が違うわ」と吐き捨てるように言われたこともあったっけ。「そうだね」と聞き流したけれど、流せないこともあるのよね。
まぁ、そんなことを書いたところで商品になるかどうかはわからない。でも長年、書く仕事をしてきたんだから、まだ体力があるうちに書きたいことを書こうと決めたわけ。それで12月末の私の父親の命日と、1月末の義父の命日にお墓参りにも行ってきたわけ。
「膵臓のう胞」という名前が、のん気が服着て歩いているような私をシャキンと覚醒させたんだから、思えばたいしたもん。
というのも、医者の診断ってそんなにあてになるもんじゃないんだなと思っているからなの。今回、「のう胞はがんではありません」と医師はキッパリと言ったけれど、私は半信半疑。というのも、30代の初めに胃かいようになって10年間、痛みでのたうち回ったんだけど、そのときに医師はキッパリと「かいようとがんは別物です」と断言したんだよ。それだけじゃない。「胃かいようになるとがんにはなりません」とまで言われたんだから。
それが何、いまは胃に住むピロリ菌が胃かいようの原因で、この菌が胃がんの元凶というのが定説なんだよ。このことがもう少し早くわかっていたら年子の弟も義父も胃がんで亡くならなかったのかなと思っちゃう。
「話、違くね?」ってことはがんにかかる確率もそうよ。以前は4人に1人って言ってなかったっけ? それが10年ぐらい前から2人に1人って。そうなる前に4人に1人が3・5人になりましたと大ニュースになって、それから5年単位で3.3人から3.1人に増えたとか、段階を踏まない? いや、実は私の注意が足りなくて知らなかっただけなのか?