友人は家族とは違い、関係を続けるのも、遠ざけるのも自由で「個人の判断」で構築される存在だ。だからこそ何十年も続く関係はとても大切で、大事にしたい。吉行和子(89才)が明かす、40才を超えてからの友人についてその魅力を語る。
渡したいものを玄関のノブにかけ、「いま置いたからね」と電話
その親友は、吉行和子の自宅から歩いて15分の場所に住んでいる。だが吉行が訪れて直接会うことはなく、渡したいものがあれば親友宅の玄関のノブにかけに行き、「いま置いたからね」と電話する。
それが吉行と冨士眞奈美(86才)の不思議な交流である。しかし当の吉行は、わざわざ電話で伝えることに不満なようだ。
「この時代、LINEもメールもあるのに、眞奈美さんは頑なに拒否するんですよ。“覚える気はないの?”と聞くと“ない”と言われてしまいました。面倒くさいのですが、大切な友達ですから受け入れています(笑い)」(吉行・以下同)
2人が仲よくなったのは、吉行が40才を超えてから。
「その前から仕事では会っていて、明るくて話もおもしろい楽しい人だなと憧れていましたが、私の性格上、自分からアプローチできなかった。でも舞台をご一緒して親しくなった岸田今日子さんに眞奈美さんを紹介してもらい、とたんに3人が仲よくなりました」
まるで性格の違う3人の適度な距離感が心地よかった
以降、“3人娘”は生涯の知音となった。
「一緒にいると、ともかく楽しいのです。3人とも、まるで性格が違います。好みも正反対で、“なんで? 信じられない”などと言いながらも笑っていられました。私たちはすっかり大人になっていたので、他人との適度な距離感が、知らず知らずに身についていたのだと思います。
若い頃の友達との失敗は、“仲がいいのに、自分のことをわかってくれない”という不満や相手への要求が多くなり、ギクシャクしてきます。しかも、お互いがそうなるので長続きしません。そんな経験を何度かして、大切な友情の続け方を学んだのでしょう」
飛行機嫌いの冨士を、吉行が「これだけ生きたからいいじゃない」と奇妙な論理で説得し、海外旅行に出かけたこともある。スペインの風に吹かれ、台湾で俳句会に参加し、ハワイでは村の首長から冨士が求愛されるなどの珍道中を重ね、テレビ東京では3人旅が番組化された。
「3人ともジコチューで他人のことを気にしません。仲よしでも旅に行くといろいろ顕在化して、よく聞く成田離婚のような、不穏な結果になるに違いないと賭けをした番組関係者たちがいたらしいですが、ますます仲よくなってしまいました。本音の部分があまりにも自分と違うので、おもしろくなってしまうのです」
岸田今日子さんが他界し3人娘は2人娘に
人生を謳歌していた3人だが、2006年12月に岸田さんが76才で急逝し、吉行と冨士は取り残された。
「眞奈美さんにはほかにも友達がいましたが、どういうわけか皆さん早く亡くなってしまいました。結局、いちばん愛想の悪い私が残ってしまっているわけです。気の毒だなと思いますが、仕方ありません」
80代後半となった2人はともに骨が脆くなって骨粗しょう症予防を進めるが、スマホの歩数計を使いこなす吉行に対して冨士は極度の機械オンチ。他方、冨士がすすめるカルシウム入りのせんべいを吉行が「絶対食べたくない」と拒否するなど、2人は確かに性格が違って好みが正反対だ。
それでも長くつきあいを続けられるのは「共通の趣味」の力も大きいという。
「スポーツは何でも好きな眞奈美さんに、私はまるでついていけなかったのですが、コロナのおかげというのか、家にいなくてはならなくなってお相撲にはまり、共通の会話ができました。もちろん贔屓の力士は違いますが、お互いに自分の応援しているお相撲さんが勝つと電話をし合って励ましたり、感想を言ったり、楽しく会話が弾みます」
来年、90才になる吉行は半生を振り返り、「友達は宝物」としみじみ語る。
「若い頃は欲しいものがたくさんありました。衝動買いもしました。そのときは“最高!”と思ったのですが、時が経つと色褪せます。そして、最後に残るのは友達なのです」
◆俳優・エッセイスト・吉行和子
1935年、東京都生まれ。高校在学中に劇団民藝付属水品研究所に入所。1978年公開の映画『愛の亡霊』では日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。俳優のほかにエッセイストとしても活躍。
※女性セブン2024年12月19日号