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《終活はしません》マダム・チェリーこと福安千恵子さんの“美しいエイジングの極意”「“今日がいちばん幸せ”の繰り返しって最高じゃないですか?」 

チェリーさん(右)と娘のアンナさん(左、49才)。孫のリアンくん(15才)との3人暮らしだ(撮影/奥田珠貴)
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モデル再デビューは70才。72才のときに出版したおしゃれを楽しむ秘訣を記した著書がロングセラーを重ね、トークショーを開けばすぐに満席になるのが、マダム・チェリーこと福安千恵子さん(77才)だ。「老化は進化!」と言い切り、アンチエイジングをすることなく、ありのままの自分を輝かせるその生き方から、人生後半戦を前向きに美しく歩むヒントが見えてきた。【前後編の後編。前編を読む

運命の人との出会いと別れ……立ち上がれたのは娘の存在があったから

チェリーさんがモデルになった1967年は高度経済成長期のまっただ中。広告が増加し、モデルの需要も多かった時代だ。

1960年代後半のチェリーさんのポートレート(写真提供/福安千恵子さん)
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「既製品が出始めた頃で、デパートでは『フロアショー』が花盛り。1日に3つも4つも仕事がありました。当時は外国人のモデルがおらず、ハーフであることが強みとなりました」(チェリーさん・以下同)

ショーの仕事で全国を飛び回る中、運命の出会いが待っていた。

「イエイエ」で人気を博した、スタイリッシュなレナウンの広告。中央がチェリーさん(写真提供/福安千恵子さん)
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「アパレルブランド『VAN JACKET』のオーディション会場で彼を見た瞬間、『この人と結婚する!』と決めました。それまで、父と弟以外の男の人と話したことすらなかった私の初恋です。広報担当だった彼は、それはもう素敵で、着ていた服や髪形まで、いまも全部脳裏に刻まれています」

それが、3才年上の夫、下村紀夫さんだ。チェリーさんが住む兵庫と東京の遠距離期間を経て、24才で結婚。

順調だったモデルの仕事をきっぱりやめ、東京で専業主婦の暮らしが始まる。

挙式は東京・四谷の聖イグナチオ教会で行われた(写真提供/福安千恵子さん)
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当時の日本は、女性は結婚したら家庭に入るのが当たり前の時代、チェリーさんもそれを選んだ。

「女性が仕事を持つべきとか、専業主婦だとかも、考えたことがないんです。ただただ、いい奥さんでいたいと思っただけ。なので、仕事をやめるのに何の迷いもありませんでした。

29才でアンナを出産し、ますます幸せな生活が始まると思っていたのですが……女性の影がちらつくようになったんです。家に女性が来たこともありましたね。その人は、私が病弱だと聞かされていたのか、元気な私を見て驚いて帰っていきました」

と、鷹揚に笑うチェリーさんだが、その後も女性の影が途切れることはなかった。

「耐えきれずに追及しても『でも、ぽっぽはぼくの奥さんでしょ?』と、まるで光源氏みたいな反応。私はこんなに苦しいのに、彼が淡々としていることがつらかったですね。35才頃にはストレスから卵巣嚢腫になってしまったんです」

張り詰めた糸がぷつんと切れた瞬間があった。

「お手洗いで泣き崩れた後に鏡を見たら、鬼のような顔の私がそこにいたんです。その瞬間、『こんなことしていたら私がダメになる』と我に返りました。

顔を洗い、リビングに行って『明日出て行ってください』と言ったんです。あちらはびっくりよね。『ぽっぽは許してくれる』と考えていたと思うから。でも私、これだと決めたら振り返らないの。

彼が出て行く日に、トランク一杯の服全部にアイロンをかけて渡しました。『奥さんとはこういうものよ』という意地だったと思う。立ち上がる決心がついたのは、やはりアンナの存在があったからでしょうね」

別居を始めたら筋腫もみるみる小さくなった。そして、アンナさんが高校卒業後にモデルとして独り立ちしたのを機に、夫と正式に離婚した。

家族でハワイ旅行へ。「娘のために、別居中もよく旅行に行きました」(チェリーさん)(写真提供/福安千恵子さん)
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新しい生活を模索し、東京と芦屋を行き来する中、49才で更年期が訪れる。

「夜はまったく眠れず、アンナが東京から訪ねてくれるとき以外は、一日中外にも出たくないという日々が1年ほど続きました」

ちょうどその頃、警察犬を譲り受ける話が来た。

「黒のラブラドールの『アドくん』。ものすごくかわいくて、この子の面倒を見なきゃと思う間に、徐々にやる気が出てきました」

週末のたびに、愛犬アドを遊ばせる場所&チェリーさんの大好きな温泉地を巡る“戯れ旅行”に出かける中で健康を取り戻していく。

「あの頃は泥だらけのアウトドア派でしたよ。自然の素晴らしさに触れて、心からいまが幸せと感じられた、貴重な時間でした」

芦屋でカフェを開店、「いまの私があるのはカフェのおかげ」

そして、アドとの散歩の途中、芦屋で現在の物件を見つけ、カフェ開店に動き出した。

「店名はアンナが、ロゴは元主人がデザインしてくれました。店には、家族旅行で買い求めたグラスや家にあった家具などを飾って、まさに『私のリビングルーム』のような店になりました。ここで皆さんとおしゃべりするのが本当に楽しい。計画はなく始めたお店ですが、いまの私があるのはカフェのおかげですね」

チェリーさんが開店したカフェ「ラ・スリーズ」の店内(撮影/奥田珠貴)
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折しも、当時はカフェブームで、同店の周辺にも数々のカフェがあったが、いま残っているのはここだけ。その理由を、アンナさんが推察する。

「うちはカフェというより、人が集って語り合うサロンのような存在なのかなと思います。この雰囲気を好きでいてくださるお客さまが、ずっと通ってくださっているんです」

チェリーさんを6才の頃から知る幼なじみの和美さん(仮名)さんも、店の魅力を語る。

「男性のお客さんが皆さんの分をごちそうしてくれたり、逆に私たちがアンナちゃんや宝塚の若い後輩にごちそうしたり、すごくアットホーム。やっぱりチコちゃんの人柄に惹かれて人が集まるのだと思う。褒めても何ももらわれへんけどね(笑い)」

チェリーさんには、和美さんを含め「四婆」と呼ばれる同い年の仲よし4人組がいる。自分たちを「婆」と受け入れ、言いたいことを言い合い、笑い合える仲間がいることも、長い人生を楽しむ秘訣だろう。

「気の合わない2人」がたどり着いた家族の距離感

“運命の相手”との別れを経て、どん底を経験したチェリーさんの支えとなったのがアンナさんだが、母娘関係にも「波」はあった。アンナさんは言う。

「ママはよく“これほど気の合わない2人はいない”と言うほど、私たち、考え方が正反対な親子よね。

私の出産を機に十数年ぶりに一緒に住むようになったけれど、私が子供の頃にママと暮らしていたときとは家族の形態も、お互いの事情も変わっている。その折り合いをつけていくのに数年かかった」

ほどよい距離感で暮らしているチェリーさんとアンナさん(撮影/奥田珠貴)
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チェリーさんも、当時をこう振り返る。

「私はひらめきや感情を大切にするタイプで、アンナは常に頭で考えるタイプ。お互いを理解しようと会話をすればするほど状況が悪化したわね」

まるで姉妹のようにテンポよく会話する2人の姿からは想像がつかないが、年頃になり巣立とうとするアンナさんとの距離感に戸惑うことも多かった。しかしいま、「親と子」ではなく、「大人と大人」として成熟した関係を築く。

「結局、家族といえども考え方が違うのだから、わからないのは当然というところに立ち戻った。いまは個々の重なり合った部分を共有しながら、ほどよい距離感で暮らしています」(アンナさん)

チェリーさんも言う。

「全然会話のない日もあるけれど、いまはとっても楽。“家族だからわかり合える”というのは大間違いね。家族だからこそ、激しくぶつかることがあるんだと思います」

「最近は“死に方の美学”を考えるようになった」

数々の人生経験を積み、失敗したときの対処法や乗り越える術を身につけた。

「もちろん、いっぱい失敗はしてきたと思いますよ。でも、いまになったらそれが失敗かどうかわからないの。だって、いまこうして元気で幸せでいるんだから、きっと失敗じゃなかったんじゃないかな」(チェリーさん・以下同)

70才を過ぎて、“死”との距離は近づいていくが、過度に恐れないのもチェリーさん流だ。

親子のポートレート撮影。「こんなに近づくこと、ふだんはないわね」(アンナさん)(撮影/奥田珠貴)
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「『死んだら終わり』。つまり、生きているうちが花ということ。それで言うと、最近『どんな死に方をするか』について考えたり、死をテーマにした映画を見たりするようになりました」

ある調査の回答者の8割が、終活の必要性を感じているというほど、世の中の終活の風潮は高まっているが、チェリーさんはまったく考えていないという。(SBIいきいき少額短期保険「“終活・葬儀”に関するアンケート調査」による。[実施期間2023年11月10~17日])

「終活はしません。だって私、お葬式もお墓もいらないから。死に顔はアンナと孫のリアン以外、誰にも見せたくないし、亡くなった後も、誰にも言わないでほしい。法事とかお墓参りとか、死んでから人に迷惑をかけたくないの。私の両親の親族も、法事をしてきませんでした」

アンナさんはそれについてどのように考えるのか。

「いいんじゃないですか。でも、スイスで安楽死をしたいと言ったときは、持って帰るのにとても大変だから、それはやめてと言いました」(アンナさん)

いつか必ず来る「死」を、老いと同じように受け入れ、向き合っているからこそ確固たる意思もある。

チェリーさんのシンボルでもある、美しい夜会巻き(マダム・チェリーさんのInstagramより)
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「お葬式はしなくても火葬は必要。お骨も拾ってほしくないから、極力火力の強いところで焼いてほしい。死んだら灰になるだけ。でも心というのは、何かの縁でこうして知り合った人の中に残るでしょう? 私はそれでいいと思うんです。

私が亡くなった数十年後に、『チェリーさんという人がこんなこと言ってたわ』というように、ひとときでも誰かが思い出してくれたら、それが何よりの供養だと思っています」(チェリーさん・以下同)

元気なうちに死を考えることが、生きる力につながるとも言う。

「私だって、来年どうなるかわからない。だから、それまでにどうやって生きるかを考え、いろいろな人とかかわってまだまだ成長していきたい。亡くなる瞬間まで、素晴らしい人生だと思う生き方をしたいんです。

体の調子が悪いときもあるけれど、『若いときに戻りたい?』と聞かれたら、答えは“ノー”。やっぱり私はいまがいちばん幸せ。毎日『今日がいちばん幸せ』の繰り返しって最高じゃないですか?」

人に依らず、人に温かく、過去を振り返らず、老いを受け入れながらハッピーで、身だしなみにも気を抜かない。これこそが、美しいエイジングの極意ではないだろうか。

(了。前編から読む

マダム・チェリーさんへの一問一答
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【プロフィール】

福安千恵子さん/1946年、兵庫県神戸市生まれ。ロシア人の父と日本人の母を持つ。宝塚音楽学校を卒業後、モデルデビュー。24才で結婚。家事や子育てに専念した後、2001年にカフェ「ラ・スリーズ」(兵庫県芦屋市)をオープン。2017年、70才でファッションブランドのモデルに抜擢され、話題となる2019年に著書『マダム・チェリーの「人生が楽しくなるおしゃれ」』(講談社)を発売し、ロングヒット中。Instagram「@madame.cherry1210」。12月1日「ホテル竹園芦屋」にてクリスマスディナーショーを控える。

取材・文/佐藤有栄 撮影/奥田珠貴

※女性セブン2024年12月5日号

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