ライフ

《僕が求める極上の最期》脚本家・倉本聰さん、自宅の“死ぬための部屋”で「森を見ながら穏やかに死にたい」

倉本聰さん
脚本家・倉本聰さん
写真4枚

死は誰にでも平等に訪れる。そしてそれがいつなのか選ぶことはできない。だが、最期の瞬間をどのように迎えるか望み、そのために準備することはできる。脚本家・倉本聰さん(90才)が「自らの最期」について明かした。

「死のための部屋」で苦しまず森を見ながら穏やかに逝きたい

今年の元日に卒寿を迎えた脚本家の倉本聰さんが「死」を意識し始めたのは50代になってからだった。

蓮の花が広がる池
苦しみながら亡くなる友人の姿を間近で見て、「死に方」について考えるように(写真/PIXTA)
写真4枚

「40才を過ぎて北海道・富良野に移住して、自然のなかで動植物の生や死と対面していると、死ぬということがどういうことなのか考えざるを得ませんでした。ただしぼくは天国や地獄、魂などが存在することはなく、“人間は死んだらそこまで”という考え方です」(倉本さん・以下同)

死んだら「無」になる。その意識は一貫しているが、古くからの友人である「コージ」が肺がんを患い、骨に転移して病床で激痛に苦しみながら亡くなる姿を間近で見て、「死に方」に思いをめぐらせるようになったという。

「コージはぼくが開設した富良野塾のスタッフであり、40年ほどのつきあいがありました。富良野に終の棲家を建てているときに肺がんのステージ4と宣告され、『絶対に家で死にたい』と話していた。その意思が尊重されるよう尊厳死協会にも入ったんです。

それなのに抗がん剤の副作用に苦しみ、骨への転移で痛みと闘い、最期はマスクと鼻から酸素吸入の管をつけていたにもかかわらず苦しみのたうち回るのを見て、こんなむごいことがあっていいのかと思いました。

コージが死ぬ十数年前に義理の弟もがんで亡くなっていますが、彼はホスピスに入り、大量の麻薬を投与され痛みから解放されて穏やかな顔で逝った。なぜ死に格差があるのか。考えずにはいられませんでした」

それはすなわち、日本の医療体制と死に対する考え方を突き詰めることだった。

「医学の役割は患者を治療することですが、患者を楽にしてあげることもまた使命でしょう。だから緩和ケアに力を入れるべきだけど、いまの医学志望の若者は責任を負わずに儲けられる美容整形医をめざし、緩和ケアを学ぼうとしません。

都会には大きな病院があっても、ぼくが住んでいる富良野には近くに病院もホスピスもなく、訪問医療のシステムも整っていません。都会の患者はすぐに苦痛を緩和する麻酔薬を打ってもらえるけど、地方の患者はそれができず苦しむことになる。医療格差が死の格差を生んでいるのです」

「姥(うば)捨て山」は暮らしの知恵

2008年に放送されたドラマ『風のガーデン』(フジテレビ系)で終末医療をテーマにした倉本さんは、日本社会が「尊厳死」についての議論をより深めることを望んでいる。

ドラマ「風のガーデン」の制作発表記者会見の様子
終末医療をテーマにした『風のガーデン』
写真4枚
ドラマ『やすらぎの郷』の制作発表記者会見の様子
老人ホームを舞台に、終活を描いた『やすらぎの郷』など自らの作品でも死を題材とした
写真4枚

「たとえ尊厳死協会に入っていても、いざというときに救急車で病院に運ばれたら尊厳死協会の会員証を確認する余裕が医師にも患者にもありません。基本的に医師は患者を延命させるためにまず人工呼吸器を付けますが、これは一度装着したら最後、外すと殺人になってしまう。

そのうち病院はベッド数が少ないからと患者を自宅に送り返し、その面倒をみるために家族の生活がめちゃくちゃになってしまう。ここら辺の田舎では、そうしたケースが山ほどあります。だから、年老いた親を山に置き去りにするという日本の『姥捨て山』の民話は、本人らに覚悟が必要で残酷ではあるものの、非常に優れた暮らしの知恵でした。

でもいまの世の中では、そうはいかない。社会が尊厳死を認める体制になり、医学界は患者が苦しまずに逝ける方法を認めてほしい。現在の状況に個人で対応するのはムリだから、尊厳死に向き合った法律をきちんと作るべきです」

倉本さん自身も尊厳死協会に入っており、愛する富良野の自宅で最期の瞬間を迎えることを切望する。

「もともと在宅で死にたいとの思いが強く、死ぬ部屋を作るために何度も家を建て替えました。森に囲まれたこの部屋でずっと過ごして、傍らに緩和ケアに精通した医師がいてくれればベストです。富良野を離れて都会のホスピスに入ろうという気持ちは毛頭ありません。コージのように苦しんで死ぬのは絶対嫌なので麻酔科の医師ににじり寄って親しくして、とにかく何もわからないうちに死なせてくれるよう約束させています(苦笑)。毎日寝ているこの部屋で、森を見ながら穏やかに死にたいですね」

◆脚本家・倉本聰

くらもと・そう/1935年、東京都生まれ。脚本家、劇作家、演出家。ニッポン放送勤務を経てフリーの脚本家となり、『北の国から』『やすらぎの郷』など代表作多数。

※女性セブン2025年5月8・15日号

関連キーワード