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《人間国宝の人生》浪曲・京山幸枝若「和製ミュージカルのようにひとりで笑い、泣き、怒って役に入れるのが浪曲の魅力」

浪曲界初の人間国宝に認定された京山幸枝若
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吉沢亮(31才)と横浜流星(28才)の熱演に絶賛の声が集まる映画『国宝』。熱狂は公開から1か月経ったいまなお続いている。リアルな世界観とともに注目されたのは、「人間国宝」という頂に挑む人生だ。知られざる人間国宝の人生とはどのようなものなのか。

三味線を伴奏に独特の節や啖呵で物語を進める浪曲。落語や講談と並ぶ日本三大話芸のひとつだが、長く人間国宝とは無縁だった。そこに風穴をあけたのが、関西浪曲界の雄である京山幸枝若(71才)。昨年、浪曲界初の人間国宝に認定されたが、この朗報に本人は半信半疑だった。

「落語や講談と違い、浪曲に人間国宝はゼロ。だから認定の電話がきたときは詐欺だと思いました。新大阪の喫茶店で文化庁の担当者と直接会ったときも、ドッキリかもしれへんと信じていませんでしたね(笑い)」(京山・以下同)

京山幸枝若は昨年、人間国宝に認定された。浪曲で選ばれたのは初めてのこと
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16才のとき、先代の京山幸枝若のレコードに夢中になり、興行会社を営む父のすすめもあって人前で自ら浪曲を歌い始めた。すると「やっぱり親父さんに声が似てはりますな」と囁かれるようになる。じきに衝撃の事実が明かされた。

「実はお袋と父は再婚で、ぼくが生後7か月のときにお袋は初代幸枝若と離婚していた。そう! ぼくは初代幸枝若の実の子やったんです。なんとなく噂が聞こえてきたからお袋に“おれの親父って幸枝若なんか”って聞いたら、“そうよ〜”と軽い答えが返ってきた(苦笑)。昭和の時代だったし、これも運命なんやなぁと思いました」

初代の“血”は争えない—数奇な運命に導かれて実父である初代に弟子入りし、吉本興業に所属した。初代の死から13年後に50才で二代目を襲名。それから20年後に人間国宝となった。

「人間国宝になって寄席に出ると、お客さんが“お〜っ”と拍手してくれて、浪曲をやりたいという若い子も増えました。自分が若い頃は吉本のなんば花月に出てもパラパラとしか拍手してもらえず、お客さんがぞろぞろと帰るのを見て、もうやめようかと3回くらい思いました。でもぼくが人に勝てるのはこれしかないと、悔しい思いをしながら続けてきてよかったですわ」

代表作は「会津の小鉄シリーズ」「左甚五郎シリーズ」「間垣平九郎シリーズ」「相撲シリーズ」など(吉本興業)
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板の上に立つ演者として、落語や講談にはない快感が浪曲にはあると語る。

「和製ミュージカルのようにひとりで笑い、泣き、怒って役に入れるのが浪曲の魅力。日常生活で到底言えない“なんやコラー!”なんて乱暴なせりふを口にすると胸がスーッとします。最初は背もたれに寄りかかって聴いていたお客さんが次第に感情移入して、最後の場面で前のめりになっている姿を見ると“ヨッシャ!”となるし、緞帳が下りたときにお客さんがウワーッと沸くことが何ともたまらない。そうした感覚が好きだからずっとやり続けているのでしょうね」

浪曲は明治から昭和にかけて栄華を誇ったが、現在、浪曲師は全国に80人ほど。

「たくさんの人に知ってもらって次世代にこの芸をつないでいく。それも人間国宝の役目やと思ってます」

【プロフィール】
京山幸枝若(きょうやま・こうしわか)/1954年、兵庫県生まれ。興行師の養父と浪曲三味線を弾く母に育てられる。1973年に実父の初代京山幸枝若と再会し、すぐに弟子入り。2024年7月に、浪曲界で初めて人間国宝に認定。

※女性セブン2025年7月24日号

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