
いつかは「親を看取る瞬間」が訪れると頭ではわかっていても、いざそのときが訪れると、あらゆる思いが胸にあふれるだろう──。
「先生に“ご臨終です”と言われたとき、無意識のうちに母に“行ってらっしゃい”と言っていました」
そう語るのは俳優でビーズ作家の秋川リサ(73才)。認知症の母が介護施設に入って3〜4年経ったある日、具合が悪いので入院させると医師に告げられた。さらに、左足に不調を抱えていた秋川に代わって病院を訪れた娘から「もうダメかもしれない」と連絡がきた。
「仕方なく、バイクを持っている知人に頼んで、都内から埼玉の病院まで2人乗りで連れて行ってもらいました。その夜は満月がすごくきれいで、なぜか“ああ、今日逝くな”という気がしました」(秋川・以下同)
その予感は的中する。秋川が病室に駆けつけてから間もなくして、母は息を引き取った。89才だった。
「認知症で言葉もほとんど話せず、意識が混濁して誰も認識できない状態でした。私が病室に入ると母は短い呼吸を繰り返していて、やがて苦しそうな息遣いになり、そして、心臓が止まりました」
その瞬間、秋川は数か月前に他界した愛犬・チェリーを思い出した。
「“お母さん、よかったね。チェリーちゃんたちがお迎えにくるからね。行ってらっしゃい”という気分になりました。いずれ私たちも逝くから、向こうで会いましょう、って」

喪失感と同時に、肩の荷が下りた気持ちもあった。この日まで、7年にわたる介護が壮絶だったからだ。
「いちばん大変だったのは徘徊です。おちおち寝てもいられません。昼間に出て行かれると万引きや無銭飲食をするので、毎日娘と交互に見張っていました。何が起きても落ち込む暇なんてなくて“またか”“最悪の場合はお巡りさんに頼もう”と平常心に努めて、なんとか乗り越えました」
そんな苦労を重ねる中、秋川は母の生前、「娘なんて産まなきゃよかった」と記された日記を偶然読んでしまったこともある。厳しくも複雑な母への思いを口にする。
「正直、母が亡くなってホッとしました。悲しみや涙は一切なく、“これでやっと解放された”という思いだけ。ただね、いろんなことが起きたけど、他人から『毒親』と言われると腹が立ちます。母にもいいところがないわけじゃないから」
母と娘には、2人にしかわからない感情がある。それを肌で知る秋川が、看取りについてリアルに語る。
「看取ることは美しいことでもなんでもなく、大変で悲しいことです。感慨なんて別にないけど、“行ってらっしゃい”と口にした途端に、次は自分の番だと悟りました。あんな母でも看取りに間に合わなかったら、多少は後悔が残ったかもしれませんね」
【プロフィール】
秋川リサ/俳優、ビーズ作家。15才でモデルデビュー。2009年に母が認知症と診断されて以来、7年に及ぶ壮絶な在宅介護を経験。母の死後、看取りのあるサービスつき高齢者向け住宅で勤務したことも。
※女性セブン2025年8月21・28日号