
いま、「うまく死にたい」という人が増えている。私たちはみな、いつかは命が尽きる日がくる。それはいつなのか、どこでなのかは誰にもわからない。常に生と死の間にいる私たちが思うのは「元気に長生きしたい」ということと同時に、「後悔のないように死にたい」「苦しまずに死にたい」という願いだろう。患者に寄り添い、最期を看取り、いくつもの「死」に触れてきた名医に理想の最期と、その迎え方を聞いた。
「いつかは必ず死ななくてはいけないなら、好きなことをやって、そこで死ねたらいいんじゃないかな」
医師で作家の鎌田實さん(77才)は、「理想の最期」という問いに対し明るくそう語る。難民支援を続ける鎌田さんは、“砂漠にあるイラクの難民キャンプに向かう車中で、不整脈になって突然死するのが最も自分らしいかもしれない”と考えて、妻にそう話した。
「妻には、『迎えに行く人の身にもなってよ』と言われました(笑い)。確かに砂漠まで出かけて、遺体を受け取って日本に帰ってくるのは大変ですよね。講演会の壇上や、みんなで健康づくりのスクワットをしているときに亡くなるのもいいなって言ったら、『それなら迎えに行くわよ』だって」(鎌田さん・以下同)
「延命はいらない」と家族に伝えている
国内外を問わず、多くの人の死を見つめ、「どれだけ注意してもいつかは死ぬ」ことを自覚する鎌田さんは「いつ死んでも構わない」と公言し、延命治療を拒否する。
「食べることは大好きだけど、胃ろうを作ってミキサーにかけたキャベツやとんカツを胃に流し込んでも食べた気にならない。家族にも『延命はいらない』と何度も伝えてあり、万が一のときは家族がぼくの生き方を守ってくれると確信しています」
50年超の医師経験を持つ鎌田さんが注目するのは、家でひとりで死にたいと望む「ソロ立ち」の人々だ。
「ソロ立ちする人は自己決定する習慣があり、決まりごとが多い施設で暮らすよりもひとりで気ままに過ごすことを望みます。またソロ立ちする人ほど人生の最期の選択も、自分ひとりでちゃんとこなします」

同時に鎌田さんは「うまく死にたい」と望む人の増加を肌で感じている。
「以前の日本人は縁起でもないからと死について考えなかったけど、最近は親の延命治療や介護などに直面してヘトヘトになり、うまく死にたいと願う人がすごく増えた。大切なことを他人に委ねるのではなく自分で決めて、納得したうえで死にたいという願望です」
うまく死ぬには、うまく生きる必要がある。そのためには「認知症」「脳卒中」「フレイル」にならないことが肝要と話す。
「この3つを回避すれば、90代でも月に1度はひとりでレストランや温泉に行って人生を謳歌でき、好奇心を持って面白いことをやり続けられるはず。うまく生き、うまく死ぬためには自己決定してソロ立ちするだけでなく、健康を維持することも大切なのです」
年を重ねたらスピードを緩める
人生の下り坂は「ギアチェンジ」を意識することも求められる。鎌田さんが受け持った末期がん患者の男性は農業一筋で生きてきたが、60才を機に人生のスピードを緩めた。
「人生の下り坂を迎え、仕事ばかりでどこにも行かない自分の人生は何だったのかと疑問に感じ、それまで完璧にこなした農業の手を緩め、空いた時間で海外旅行など人生を楽しむことを始めました。このギアチェンジで新しい喜びを見つけた彼は80才で末期がんになっても病室の雰囲気が明るく、多くの人が彼の話を聞きにきました。
亡くなる前日には息子に『面白い人生だった。ありがとうね』と告げて、臨終の際は集まった友人や親戚が拍手を始めました。50年間たくさんの死を見てきたけど、拍手が起きたのは初めての経験です」
喜寿を迎えた鎌田さんも理想の最期に向けて、ギアを変えて歩み出した。
「年を取ってギアチェンジをしつつも無気力や無関心にならないよう、何かに感動することにはこだわっています。これまでぼくは、おもちゃがほしいと駄々をこねて寝転がる子供のように『これがほしい』と言えない人生を過ごしてきたので、人生の最終盤は駄々をこねる“駄々イズム”でいこうと決めた。それで妻に『ラスト・ダダ(最後のわがまま)』をお願いしたら、『何回もラスト・ダダって言っているじゃない。いつになったら終わるのよ』と言われたけどね(笑い)」
【プロフィール】
鎌田實/医師・作家。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院勤務。現在は同病院名誉院長。「地域包括ケア」構想を実現し、現在も全国各地で「健康づくり」を推進。近著に、『うまいように死ぬ』がある。
※女性セブン2025年7月31日・8月7日号