
子供の頃はあんなに大きく見えた親が、小さく、頼りなくなっていく──いつかは「親を看取る瞬間」が訪れると頭ではわかっていても、いざそのときが訪れると、あらゆる思いが胸にあふれるだろう。著名人たちが経験した「母の看取り」「父の看取り」では、最期の瞬間をどう迎え、どう受け止めたのだろうか。俳優の杉田かおる(60才)の母が余命宣告を受けたのは2013年8月だった。
「若い頃からヘビースモーカーでお酒も大好きだった母は2000年に慢性閉塞性肺疾患と診断され、看病が必要になりました。その後、2013年に倒れて救急搬送された際、“いつ亡くなってもおかしくない肺の状態。余命は最大4年”と告げられました。それからは母と過ごせる“ご褒美の時間”だと思って、腹をくくったんです。怖がることなく、母の死と向き合うことを意識する日々でした」(杉田・以下同)
24時間の在宅酸素療法が必要になった母は、数値が悪ければ通院もしなければならない。杉田は俳優業を休んで介護した。
「休んだ後に仕事に戻れる保証はなかったけれど、母を看取ることが私の仕事だと思って、介護に専念することに決めました」
その後入居した老人保健施設で母が危篤になったのは、最大4年とされた余命から半年ほど長く生きた、2018年1月。母は83才になっていた。
「病気とはいえ老衰に近く、心臓が静かに止まっていく感じでした。これまで何度も自分で演じてきたドラマのような、ベッドの傍らで手を握って泣き叫ぶのではなく、現実の看取りはもっと淡々とした、静かなものでした。肺疾患は苦しんで亡くなるかたも多いらしいけれど、母は本当に安らかで、生前に何度も救急車で運ばれたときの方がよほどドキドキしました」

海外にいた妹が急遽帰国し家族がそろったのち、杉田が宿泊先に帰ったタイミングで、母は旅立った。
「死後に対面した母は、心臓こそ止まっているけど眠っているようで、いまにもパッと目を開けて起きてきそうでした。それに、不思議と若返ったようにきれいな顔つきをしていて、思わず写真を撮ってしまったほど。人の死は何か特別なものとしてドラマチックに描かれがちですが、実際はこんなに静かなものなんだと思うと、怖くなくなりました」
看取りを通じて、母の「生きざま」と「死にざま」に感銘を受けたと振り返る。
「母は若い頃から豪快で、しょっちゅう酔っ払って駅や道端で寝るから、いつか野垂れ死ぬんじゃないかと心配していたんです。病院のベッドで寝ている方が安心でした(笑い)。取り繕うことも愚痴を言うこともなく、いつも潔い母が私は大好きでした。あれほど豪快だった人も、あんなに安らかに逝けるんだと、母が教えてくれた。死は必要以上に恐れなくていいものなんだと、母が身をもって見せてくれました」
そんな杉田の財産は、看取る直前の母との会話だ。
「“お母さんといて楽しかった?”と聞かれて、“すごく楽しかったよ”と答えると、“お母さんはもっと楽しかったよ”と言ってくれた。子供の頃はあんなに厳しかったのに、私が介護に奔走しているのを見て“何でもできるようになったわね”とポツリと褒めてくれた。そうした言葉がみんな、心の支えになっています。一言一言に母の魂が込もっているようで、遺言としてずっと心にとどめています」
【プロフィール】
杉田かおる/俳優。7才で子役デビュー以来、ドラマや映画などで幅広く活躍。2013年頃より2018年まで、肺疾患により余命宣告を受けた母・美年子さんの介護のため芸能活動をセーブ。
※女性セブン2025年8月21・28日号