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《ネガティブだった少女時代》アンミカの東京進出を導いた女性作家が語るブレイク前夜

苦労人のアンミカ
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2024年の「TV番組出演回数ランキング」(エム・データ調べ、1月1日~11月30日)の【モデル・タレント・アイドル・音楽・その他】部門で、332回と1位に輝いたのはアンミカ(53才)だった。

「今年はさらに本数が増えるのではないでしょうか。帯番組に出演していないのにこの本数は驚異的ですし、実はこの数にはテレビショッピングのQVCや、MC番組を持っていたTOKYO MXは含まれていないのです。今年は4月期の連続ドラマ『イグナイト‐法の無法者‐』(TBS系)や、10月期の『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(フジテレビ系)にも出演していましたし、『キンライサー』や『ほけんの窓口』、『サイエンス』などテレビCMも増え続けていますから、“見ない日はない”どころか、”見ない時間帯がない“と言っていいほど出演していますよね」(テレビ局関係者)

そんなアンミカが10月8日放送の『1周回って知らない話』(日本テレビ系)に出演し、ネガティブだった少女が現在のようなポジティブな女性に成長した理由を語った。他にもパリコレモデルに挑戦し、一度は夢破れて帰国するも翌年、再び渡仏し成功した経緯や、その後、在阪テレビ局でレギュラーをもち始めた“アンミカ・ヒストリー”が紹介された。

テレビタレントとして”全国区“になったのは37歳のとき。ある日突然、キー局のゴールデンタイムの番組レギュラーになったアンミカの“東京進出”に深く関わったのが、本誌『女性セブン』で「山田eyeモード」を連載中の放送作家でコラムニストの山田美保子氏(68才)だったことが『1周回って~』で紹介されたのだ。

改めて詳細を山田氏に聞いた。

「きっかけは2009年の3月に、翌月からスタートする『魔女たちの22時』(日本テレビ系)の初回収録を約10日後に控え、スタッフたちと企画会議で最終確認をしていたときのことです。タイトルにも入っていて、当時、流行語にもなっていた“美魔女”世代のタレントさんがレギュラー陣に居ないことに気づきました。みんなで候補者名を出し合っていたとき、深夜の番宣番組で御一緒したことのあったアンミカさんを思い出したんです。当時、彼女は情報番組でファッションチェックをしていらして、私もその番宣番組でアンさんにファッションチェックをしてもらいました。そのときのコメントが実に的確で、しかもユーモアに溢れていて、さらにアラフォーの元パリコレモデルという経歴は、『まさに“美魔女”だ』ということで、急遽、番宣番組のスタッフを介してオファー。その数日後にはディレクターさんが大阪までアンさんの紹介VTRを撮りに行き、翌週の初回収録では、彼女はパネラー席に座っていました」(山田氏・以下同)

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