
今年の1月に日本中を襲った大寒波。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子氏が、豊かな人生経験の中から、自身の極寒体験を告白する。
凍傷寸前なのに気づかなかったスキー場での思い出
それにしても1月下旬の「大寒波到来」、日が落ちた後の寒さといったらなかったね。寒くて、足踏みしながら信号待ちしていたけど、どうにもならない。気がついたらタクシーを止めていた。そして、ものすごく近距離なことを謝りながら乗り込んだら、運転手さん、実に面白いことを言ったの。
「気にしないでください。寒波は自然現象です。どんな権力を使っても、気温を1℃上げることすらできません。トランプ大統領だってどうにもなりませんから」だって。衆議院選挙戦のドタバタが始まったところだったから、思わず「その通り! 座布団1枚」と言っちゃったわよ。
自然を前にしたら、ほんと、人間の力なんてたかが知れているのよね。で、今回の寒波はピークが2回あるとニュースでは伝えている。高血圧で軽度の心臓弁膜症の私は、もう気が気じゃないわよ。
これは高齢のおひとりさま仲間が口を揃えて言うんだけど、私らが恐れるのは孤独死なんかじゃない。だって、「LINEが3日たっても既読にならなかったら見に来てね」と親しい人にお願いしておけばいいんだから。どうにもならないのは、人に迷惑をかける長患いよ。そうならないために、「脳梗塞」と「心筋梗塞」の対策として医師から処方されている薬を私は毎朝、粛々とのんでいる。
薬を口の中に放り込みながら、「あ〜あ、年は取りたくないね」って、これは最近の私の口癖だ。50代までは「寒さが厳しいところには冬行くべし」なんて誰かが言ったことを真に受けて、せっせと出かけて行ったけど、いまは東京より北に行くのは温泉限定だね。

それで、これまで私が体験した最も寒いところはどこか?とつらつら思い出したら、これは揺るぎない。若い頃に行った北海道・ニセコのスキー場よ。
到着したときから、晴れているのにキラキラと何かが落ちている。気温が氷点下10℃以下のときに起こるダイヤモンドダストだとスキー仲間が教えてくれた。その翌日、隣のアンヌプリスキー場に行こうということになったんだけど、リフトがまだ完備されていない時代で、帰りはスキー板を担いでスキー靴のまま山道を歩かなければならないという。それでも、行こう!ということになった。当時はみんな若かったんだね。
そのときに異変が起きたの。
先頭を歩くスキー上級者のNさんが突然、「ヤバい! ちょっと止まって!」と言う。前に進むことしか考えていなかった私は「なんで?」と思ったけど、温厚なNさんが「スキー板を雪に立てて、腕を大きく回して。もっと回して!」と命じるから言う通りにしたら、指先がじゅわっと温かくなった。気がつかなかったけど指先が凍傷寸前だったのよね。
だけどそれで終わらなかった。ゲレンデにたどり着いてスキー板をはいて滑り出したけど、寒さで体が縮こまって、とてもじゃないけどスキーを楽しむどころじゃない。見たら途中に山小屋があって、そこで休憩することに。このときスキー板を脱ぐ少しの時間すらたまらなかった。「ギャーッ」と叫びそうになるのをこらえて小屋に入ったら、真ん中に大きなだるまストーブがある。でも体が冷え切っていたせいか、ちっとも温かくならない。とっさに私は燃え盛るストーブにしがみつきそうになった。「やめろ!」と言われてすんでのところでやめたけれど、寒さで頭がおかしくなっていたの。
ビールが凍っていたパリの路上
その次に思い出す極寒体験は、10年ほど前、真冬に訪れたパリだ。航空券が信じられないほど安かったので飛びついたんだけど、石畳の道は冷気が踵の骨を伝って体を突き刺してくる。なんと路上に転がっている瓶から流れ出たビールの液体が凍っていたのよ。当時の写真を見返すと、予備に持っていったダウンを重ね着して首はマフラーでぐるぐる巻き。オシャレなパリもへったくれもない。
で、いま私が「お願いだからやめて!」と叫びそうになるのは、東京・秋葉原の街頭という街頭に立っているメイドカフェのお嬢さんたちだ。寒空の下、生足に赤いボツボツの鳥肌を立てながら、ミニスカートでX脚をこすり合わせているんだもの。彼女たちなりの目標があってのことだろうけど、オタクな風貌の男たちの後を追いかけて客引きをしている姿は見るだに寒い。その横をすり抜けるたびに、「いまはいいけど年取ったら体に出るよ」と、昔、ミニスカを咎めた年寄りの言葉を思い出して、口の中が苦くなるのでした。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2026年2月12日号