
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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顔を何度も殴打された女性の遺体が横たわる。その脇には中身が抜かれ、空になった財布が無造作に置かれていた―
事件が発覚したのは1992年3月1日の朝。滋賀県南部の静かな住宅街にある戸建ての1階洋間のベッドで、この家に住む寺崎知子さん(仮名・64才)が亡くなっているのが見つかった。
「同居していた息子の明人さん(仮名・38才)が自宅の異変を感じ、室内を調べたところ遺体を発見。すぐに通報しました。現場の部屋だけではなく隣の和室も含め、押し入れやたんすが開けられていました。
食器棚までも物色され、家中がひどく荒らされていたそうです」(全国紙社会部記者・以下同)
凄惨な現場を前に、凶悪な侵入者の影を感じ取った捜査本部は当初、強盗による犯行の線で捜査を開始した。しかし、事件は思わぬ急展開を迎える。遺体が発見された8日後、殺人の疑いで逮捕されたのは明人さんの妻・瞳(仮名・26才)だった。
「瞳は知子さんの葬儀で喪服に身を包み、遺影の横でうなだれ、誰よりも悲しみに暮れている嫁として参列者の涙を誘っていました。でも、これらはすべて芝居だった。瞳は知子さんを殺害後、物盗りの犯行に見せかけるためひとりで部屋を荒らしたそうです」
事件が起こる約半年前、知子さんの夫・幸次さん(仮名・73才)が目の病気で入院したことをきっかけに、嫁姑の同居生活が始まった。しかし、嫁姑の折り合いが悪く、その生活は約1か月で破綻。瞳は実家に帰ったという。
「ところが幸次さんが再入院したことをきっかけに、知子さんの面倒を見るため、1992年2月25日から再び同居生活が始まりました。
知子さんはハキハキした性格だったそうですが、数年前にリウマチを患い、足が不自由だった。内臓疾患も抱えていたそうです」
そんな“病弱”な知子さんに対し、瞳が凶行に及んだのは3月1日の午前1時頃だった。
瞳は台所から持ち出した2枚のふきんを水で濡らし、眠っている知子さんの顔に押し当てた。持病を抱える知子さんの抵抗する力はそれほど強くなかったはずだが、瞳は馬乗りになって濡れたふきんを押さえ付け、顔を何度も拳で殴りつけた。やがて知子さんは、ふきんの下で息絶えた。
「犯行動機は、やはり嫁姑の不和でした。瞳と結婚して1年ほどだった夫には離婚歴があり、瞳は知子さんからことあるごとにその前妻を引き合いに出され、家事に関する小言を何度も言われたそうです。ほかにも、瞳は結婚式も新婚旅行も叶わなかったことに対して、大きな不満を抱えていました。瞳は“義母は心臓が悪かったので、簡単に殺せると思った”と自供しています」
裁判で検察側は「短絡的で極めて凶悪、計画的な犯行」として懲役12年を求刑した。再同居から5日後に起きた事件。瞳に再度、実家に戻るという選択肢はなかったのだろうか。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年3月5日号