
北野武監督に自ら声をかけてつかんだ映画『ソナチネ』(1993年)への出演や、大杉漣さんとの出会いを語った前編。後編では、周囲との違いを感じていた幼少期から、いまの映画界への思いまで聞いていきます。津田さんの穏やかで柔らかな視点からの幸福論が満載です!
アンミカ:津田さんとは昨年、『サタプラ』(TBS系)でもご一緒させていただきましたね。
津田:『プレバト!!』(TBS系)の告知でスタジオにお邪魔したときですよね。『プレバト!!』ではアンミカさんも水彩画コーナーで毎回素敵な作品をお描きになっていて、本当に多才なかただなとびっくりしています。
アンミカ:津田さんに褒めていただけるなんて光栄です。私は人物画が苦手なんですが、津田さんが描かれた石井亮次アナの絵はとても魅力的でした。
津田:うれしいです。でも、あの絵は番組の査定では最下位だったんです(笑い)。
アンミカ:私としては、才能アリでした! 津田さんは個展をされるほどの腕をお持ちなので、どんなきっかけで絵と出会われたのか興味があったんです。
津田:音楽を奏でるとか、文章を書くとか、人は何かしらの能力を持って生まれてくる生き物なのだとしたら、ぼくは絵を描く人としてこの世に生を享けたんだと思っています。
アンミカ:描くために生まれた、なんてただならぬ感覚ですね。小さいときから絵はお上手だったんですか。
津田:うまくはないけれど描かずにはいられなかったんです。ぼくは人と同じことができなくて、座ることもちゃんとできなかったような子供だったんですけど、無性に絵が好きだったんですよ。でも描けば描くほど、みんなからバカにされる。ほかの子たちは車の形をきちんと描いているのに、ぼくの車の絵だけぐちゃぐちゃだったから、「なんでちゃんと描けないんだ」という感じで言われていました。
アンミカ:とても大事な個性ですが、小学生くらいの年齢だと、同級生の反応は鋭いですよね。
津田:救いだったのが、小学校の美術の先生がぼくの絵を褒めてくれたことでした。「津田の描く絵はいいなぁ。絵を描くのが好きなんだろうな。ほら、見てみろ」と大きな声で言ってくれたんです。それから、クラスでも“絵なら津田だ”みたいな空気が広がって、学校になじめない自分に“ぼくは絵が描けるんだ”という自信を与えてくれました。先生の発言は影響力が強いですからね(笑い)。
アンミカ:個性をちゃんと褒めて自信をつけさせる。大人のお手本のような先生ですね。
津田:ほんとうにそうでしたね。でも、教師は厳しい指導が当たり前の時代でしたからね。ぼくはどうしても皆と同じことができなかったし、忘れ物も多かったので、小学1年生のときは往復ビンタをされて、気がついたら教室の前の方からいちばん後ろまで下がっていたこともありました(苦笑)。
アンミカ: 私も似たような子供だったので、共感してしまいます。でも津田さんは絵との出会いで心を解放できて、美術の先生が褒めてくださったことでも自信がついたんですね。
津田:子供時代にかけられた言葉の影響はすさまじく、心にも一生残ります。だからぼくは近所の子供でも、自分の子供でも、まず「すごいじゃん!」と褒めるようにしています。

技術よりも大事な他者への思いやり
アンミカ:先生の教えが、いまに生きていますね。絵が好きだった津田少年が映画人を目指すきっかけはなにかあったんですか?
津田:ぼくが中学2年生のときに親父が他界したのですが、きっかけはこの親父なんです。
アンミカ お父さまは映画関係のお仕事を?
津田:親父はローカル新聞を発行していて、取材や記事執筆、撮影や編集もすべて自分でやって忙しく働いていましたが、時間を見つけては、映画館に連れて行ってくれました。ぼくは一人っ子だったのでいとこたちも呼んで、わいわい出かけるんですよ。それが楽しみで。お袋が映画館でパートしていた時期もあったので、よくひとりでも映画館に行っていました。学校になじめなかったぼくにとって、映画館は自分の救いになるような居場所だったんです。
アンミカ:自分の居場所が見つかったんですね。
津田:それで大人になったら映画にかかわりたいと思うようになり、監督に憧れました。その話を親父にしたら「映画監督というのは東大、京大に入るのと同じようなものだから、もっと勉強しないとなれないよ」と言われて。じゃあ俳優だったら勉強しなくてもできるんじゃないかと甘い考えが頭に浮かびました(笑い)。
アンミカ:それで俳優を目指して上京されたんですよね。
津田:高校生のときですね。絵が好きだったので芸術学科がある地元の学校に通っていたんですが、映画の世界に入るために、上京は常に考えていました。
アンミカ:では、高校を卒業されてすぐに?
津田:いえ、実は高校は中退したんです。学校にも行かずアルバイトしたり、そのお金で映画を見に行ったりしていたら留年しまして。留年するくらいなら学校を辞めて東京に行こうと決意しました。
アンミカ:お母さまはずいぶん心配されたのではないですか?
津田:なにも言われなかったです。でも、親父が死んでしまったから、親戚からは「母親ひとり置いて、そんな親不孝なことはないぞ」と地元に残るように説得されました。
アンミカ:でも、意志は固かったんですね。上京してすぐの生活はどんな感じでしたか?
津田:友達と一緒に借りたアパートで暮らして、沖縄料理店、解体業、電話でのアポ取り、交通誘導などいろんなアルバイトを転々としながら、事務所も転々とする生活でしたね。でも若いからか、つらいとまでは思わなかったかな。
アンミカ:好きなことに向かっているんだ、と希望で満ち溢れていたのかしら。
津田:まさにその通りです。いまはつらいと思う時期じゃなくて、戦う時期なんだと自分を高めていく心持ちでした。
アンミカ:その中で前編で伺った、北野武監督との出会いがあったんですね。
津田:はい。そういった生活を10年くらい送ったのち、本当に偶然の出会いでした。
アンミカ:運任せではなく、映画の世界とつながるために、脚を動かしてチャンスをつかんだのだから必然です。
津田:ありがとうございます。
アンミカ:そして、数多くの映画に出演されるようになったわけですが、このキャリアを経たいま、映画への意識が変わったりはしましたか?
津田:技術よりも、思いを伝えることが大事だと思うようになりました。演技や映像の技術は日々変わり、進化していくので、自分の教えが時代によってマイナスになることもあるかもしれない。でも、時の流れに左右されないのが、他者を思いやる気持ちです。
アンミカ:映画製作はひとりではできないですもんね。
津田:映画は総合芸術です。脚本家・プロデューサー・監督・役者・照明・撮影、その他多くの人の感性が加算されて育っていくのが映画だと思っています。
アンミカ:その中の誰かの思いやりが欠けていると、小さな歪みが生じはじめてしまう。
津田:映画は職人の世界なので、昔の現場の厳しさや、規制の緩さを懐かしむ向きもあります。でもコンプライアンス順守のいま、厳しさがそぎ落とされた代わりに人への思いやりが足されているわけで、ぼくはやっぱり現在の映画界の方が好きですね。
アンミカ:津田さんの柔らかさに触れていると、タロットカードの「力」を思い出します。
津田:なにを意味するんですか?
アンミカ:力のカードには、剣や兵士ではなく、ライオンをなでて手なずけているやさしい女性が描かれています。お腹をすかせたライオンを目の前にして、武器を持って挑んだら噛みつかれるでしょう。でも「お腹がすいているんだね」と共感してなでてあげると服従する。緊張状態の相手にも、共感して寄り添うことこそが真の「力」なんです。
津田:「柔よく剛を制す」ですね。ぼくが好きな言葉と通じる話なのでとても共感できます。

津田寛治のシン・散歩論
アンミカ:津田さんの映画への情熱に圧倒されっぱなしでしたが、柔らかな方向の質問もさせてください!津田さんはどんなときに幸せを感じますか?
津田:ひとりで散歩をしているときですね。地方ロケで知らない街を散策したり、仕事の行き帰りの慣れた道を歩いたり。
アンミカ:普段の生活エリアにお気に入りの散歩道があるのはいいなぁ。
津田:お気に入りの道もありますが、どちらかというと散歩そのものを味わっています。30、40代は歩きながら考えごとをしてアイディアを得ることを楽しんでいましたが、還暦を迎えたいまは頭を空っぽにして、目に映る景色や耳に届く音、季節の肌触りなどに集中しています。
アンミカ:都心だと、上を向いて歩く人はあまりいませんよね。
津田:上を向いて歩かないのはもったいない。見上げると、空や風や鳥など、いろんなものが話しかけてくるのを感じるんです。
アンミカ:わくわくしますね。
津田:木は風で揺れますけど、あれは“風の力を利用して木が動いているんだな”って気持ちで木を眺めていると、木が話しかけてくる気がするんです。
アンミカ:なんてみずみずしい感性をお持ちなんでしょう。
津田:歩きながら考えごとや悩みごとをするときもあるかもしれませんが、まさにいまの瞬間を楽しむことに集中する散歩はおすすめです!
アンミカ:過去を憂いたり、未来を不安がるのではなく、目を向けるべきはこの瞬間ということですね。津田さんの幸せを感じる法則は心がスッと整えられて、とってもいいです。
津田:いつでも明るくて前向きなアンミカさんに、そんなふうに言ってもらえると光栄ですね。
アンミカ:話題を映画に戻しますが、20代から映画の世界で生きてこられて60代に突入したいま、目標はありますか?
津田:昔からずっと映画監督になりたいという夢があったので、長編映画を死ぬまでに1本は撮りたいと思っています。短編は何本か撮らせてもらったことがあるんですけどね。あともう1つは、言葉にするのが難しいですが、存在感が薄くなっていければいいよな、とは考えていますね。
アンミカ:それは役者としてどんな役にも自然と入っていけるから、という意味ですか?
津田:それもあります。あとは、“見られている”という意識が薄まることで、生活の本質的な部分に向き合える気がしています。それが結果的に芝居にもつながると思うんですよね。他人からの視線を感じないということは、心を楽にして、無理に他人に感情や出来事を共有しないということかもしれません。新しい発見や幸せを自分の中にため込んでいって、「歴史に名を残さないけどすごい人」として人生を終えることができればいいですね。
アンミカ:役者の域を超えて、人としてどうありたいかですね。普段は知ることのない津田さんの内面をたくさん垣間見ることができて楽しかったです。ありがとうございました!
津田寛治さんのHLLSPD
津田寛治さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はSmile、Peace、Dreamについて直撃!
Smile:あなたを笑顔にする宝物は?
娘(宝物ではなく宝“者”)
Peace:心が穏やかになる趣味や場所は?
地方ロケの際に、知らない街を散歩すること
Dream:これからの目標は?
長編映画を撮ること
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆俳優・津田寛治
つだ かんじ/1965年生まれ。北野武監督『ソナチネ』で映画デビュー。デビュー以後、数多くの映画やドラマ、舞台などに幅広く出演し、自ら映画の監督・脚本も務める。現在、自分自身を演じた主演映画『津田寛治に撮休はない』が全国公開中。
構成/渡部美也 衣装:ワンピース/レオナール イヤリング/アビステ(アンミカさん)
コート、シャツ、パンツ/ともにヨーガンレール(津田さん)
※女性セブン2026年6月25日号