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高須克弥《決意の病院建て替え》の裏側【第12話前編】『YES!逆張り人生~高須克弥物語~』

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すべて想像の逆を行く男、高須克弥の破天荒な人生を描く連載『YES!逆張り人生~高須克弥物語~』! 読めば悩みが全て吹き飛ぶ、そんなパワフルすぎる人生を、どうぞご堪能あれ。

第12話:わがままから生まれた高須病院の話【前編】

「もうこんなところじゃ働けない!」

 ミユキが克弥の子供たちのおむつを替えていると、高須家のリビングから怒鳴り声が聞こえた。

 克弥が東京から帰って来た時、妻のシヅと2人の息子が一緒だった。ミユキが初めて見たシヅは、本当にスタイルが良く、都会のお嬢様そのもので、来るなり看護婦たちに手料理を振る舞ってくれるという優しい人だった。しかしその料理が見たこともない都会のもので、メザシとキャベツしか食べたことのない看護婦たちには著しく不評だった。以来シヅは二度と手料理を振る舞わなかった。間接的にではあるが、イマと登代子のせいである。

 リビングからは、怒鳴る克弥を宥めるイマと登代子の声が聞こえる。

 イマと登代子が経営する当時の高須医院は利益を追求するものではなかったため、はっきり言って貧乏だった。土地だけはあるのでそこで野菜を栽培し、皆で食べていた。キャベツが主食だったのは、こういう事情である。息子は東京でキャベツを盗み、親は栽培していたのだから、キャベツ好きな一家であることは間違いない。ミユキたちは看護婦なのに畑仕事もやらされて、その上、克弥が帰って来たことで子守も増えた。

「設備がなくちゃ何も出来ない。だから高須医院を専門的治療のできる“高須病院”に建て替える」

「その金はどこにあるんじゃ?」

 登代子の問いに克弥が言い返す。

「そんなの銀行に借りるんだよ」

「借金なんかしたらわたしゃ死んでやる!」

 高須家の家訓は「金は貸しても借りてもいかん」というものだったので、登代子は猛反対している。

「かっちゃん、地道にやっていくんじゃ」

「僕は地味が一番嫌いなの! もう契約してきたから、保証人のところにハンコ押して」

 せっかちな克弥が勝手に事を進めている。

「そんなものにハンコを押すくらいなら、わたしゃこっから飛び降りるわい!」

 登代子が2階の窓に手をかけると、克弥が叫ぶ。

「どうぞ、どうぞ! 飛び降りても僕が治すから。痛いだけだよ」

 ミユキは「おぼっちゃまとは、何てわがままなのだろう」と呆れ、自分に子供が生まれたら決して甘やかすまいと心に誓った。

 当時はオイルショックで建築資材も高騰し、建設費用は当初の3倍に膨れ上がっていた。どうしても病院を建てたい息子と、阻止したい母の言い合いは毎日続き、登代子は毎回飛び降りると泣く。見かねたイマが財産を洗い出してみると、明治時代に患者からもらった土地の権利書が見つかった。診察料を支払えない患者に「代金はいつでもいい」と無料で診ていたイマに、「それでは申し訳がない」と二束三文の土地を差し出した患者がいたのだ。その土地は八事という場所で、当時はタヌキしかいなかったが、昭和に入ってから高級住宅地に変わった地区であった。

「この土地はいくらじゃ?」

 調べてみるとものすごく広く、価値はとんでもないことが分かり、これを売ることで高須病院を建設することになった。この土地を売った年は、高須家が長者番付に載ったほど高値で売れたのであるから、患者には親切にしておくものである。

開業1年後の高須病院。(本人提供)
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 こうして1974年、克弥が29歳の時に高須病院が開業した。ドイツで学んだ人工股関節の最先端設備を導入し、患者を一日も早く社会復帰させることを目指した。

 時は自動車社会の始まりで、一色町は日本一交通事故の多い地区だったので患者はバンバンやって来る。それを寝ない院長が捌いていくのだから、20歳のミユキに自由な時間は1分も無くなった。そもそも高須家で働き始めてから5年間、自由はなかったが、最近は特にない。毎日「辞めるにはどうしたらいいか?」ということばかりを考えていた。(後編につづく)

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【プロフィール】
家守鷹主(いえす・たかす)/テレビ局プロデューサーとして高須克弥氏と出会い、十数年来の友人。今回、その人生を小説として描きたいと依頼したところ、高須氏は一言“YES”と快諾し、ペンネームも命名。かくして、希代の人生物語が幕を開けた。

高須克弥(たかす・かつや)/1945年、愛知県生まれ。医師(美容外科、整形外科、形成外科。学位は医学博士)。2018年に自身の全身がんを公表(発病は2014年)。

※女性セブン2026年9月10日号