
モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」。
前編では、がんとの向き合い方や、お母さまから受け継いだという尊厳死への考え方など、人生観について深く語ってくださった秋野暢子さん。後編では、吃音症を乗り越えた幼少期、朝ドラヒロイン誕生の舞台裏や、69才を迎えたいまも輝き続ける健康の秘訣まで、幸福に生きるヒントが満載!
アンミカ:秋野さんが一躍注目を集めたのは、NHKの連続テレビ小説『おはようさん』(1975年)のヒロインですよね。当時、まだ18才だったとか。
秋野:17才のときに寺尾聰さんが主演の『おおさか・三月・三年』(1974年)というNHKのドラマが放送されて、何人か若手が出ていたんだけど、私は喫茶店のウエートレス役をもらったの。ある日、店先で水をまくシーンの撮影直前に、監督から「普通に水をまくんじゃないぞ」とプレッシャーをかけられてね。
アンミカ:一休さんのとんちみたいな指示(笑い)!
秋野:どう工夫しようか悩んだんだけど、手にした柄杓を見ていたら、なぜか橋幸夫さんの『潮来笠』の潮来の伊太郎が急に降りてきて、歌いながら水をまいてみたの。
アンミカ:♪潮来の伊太郎~
秋野:♪ちょっと見なれば~ってね。その姿を見たディレクターが次の朝ドラの主役はこの子にしようと決めたんだって。ちょうど東京と大阪で半年ごとに朝ドラが制作されるようになる最初の年で、ヒロインを探していたみたいなの。ラッキーよね。
アンミカ:ひらめきといい、度胸といい、すでにヒロインの器だった秋野さんをNHKはよくぞ見出しましたね。
秋野:当時の朝ドラは、いまと違って本当に素人に毛が生えたくらいの人が起用されてたから、器なんてまったくないの。『おはようさん』が後期で、前期の『水色の時』という作品で(大竹)しのぶが本格デビューしてね。
アンミカ:おふたりは同期なんですね!
秋野:そうなのよ。いまじゃ恥ずかしいけど、2人ともド素人時代。
アンミカ:それでも、朝ドラのヒロインだなんて、親御さんは喜ばれたんじゃないですか?
秋野:そうね。当時の朝ドラは視聴率が40%を超えていたから注目もされたし、高校卒業のタイミングだったから安心したと思う。
アンミカ:秋野さんのことはドラマ『赤い激突』(1978年)などで拝見していて、第一印象が“顔ちっちゃ~!”。
秋野:あははは!
アンミカ:それと、演じていた役柄的に“性格がサバサバした明るいおねえさん”。お会いすると、そのイメージ通りの人柄でしたが、幼い頃から姉御肌で活発な子だったんですか。
秋野:全然。性格はその逆で、人と交わるのが苦手な子だったの。
アンミカ:それは意外です。
秋野:私が6才のときに、呉服店を営んでいた父が知人の保証人になって破産してね。店は人手に渡って、家がすっからかんの状態になったんです。父は地方へ逃げて、母と兄と私は倉庫を改築した風呂なしの小さな家へ移り住んだんだけど、そこへ毎日のように債権者が、「おやじ、出てこーい!」と押しかけるわけ。
アンミカ:6才なんて大人と話すのだってまだ慣れない時期に、それは怖い経験でしたね…。
秋野:本当に怖かった。大人の男性が怖くなって、それをきっかけに、対人恐怖症になって吃音が出て、内にこもる子供になっていきました。

苦しんだ吃音症が演劇で治った!
アンミカ:じゃあ小学校の教室でもなかなかなじめなかったり?
秋野:赤面症でもあったから、教室でほとんどしゃべらないし、授業で指されたら泣いちゃってた。先生が男性だと、出席確認で名前を呼ばれても「はい」すら言えなくてね。不登校ぎみでした。
アンミカ:いまのようにカラッとした明るさスイッチが入ったのは何がきっかけだったんでしょう。
秋野:5年生のときの学芸会なの。
アンミカ:思い切って、主役に立候補してみたとか?
秋野:ううん、先生が私のことを心配して面白い役を振ってくれてね。鉛筆の国を舞台にしたお芝居で、「HB」とか「2B」たちがいる中で、私は「F」担当。
アンミカ:設定がすでに面白い!
秋野:練習でせりふをどもって、からかわれたりもしたけれど、引き受けた以上はやるしかなかった。
アンミカ:本番が近づくにつれて、緊張はもうピークに達しそう。
秋野:当日の朝にはお腹が痛くなって、吐いてしまったの。それでも“いま行かないとあかん”と覚悟したことは覚えている。這うようにして登校したわ。
アンミカ:浪速のド根性ですね。
秋野:さすがに待機中はブルブル震えた。でも、母が作ってくれた衣装を着て舞台袖に立ったら、なんだか背中を押してもらったような気がして、急に自信が湧いてきたのよ。
アンミカ:お母さまも“暢子、がんばれ”と気持ちを込めて、縫ってくださったんだろうな。
秋野:いざ出番になって、私が「Fざんす」とせりふを言ったらドーンとウケて。歓声を聞いた瞬間、ビビビッて体中に電気が走ったのね。それっきり舞台では一度も、吃音が出ませんでした。
アンミカ:殻を破った秋野さんが逞しいし、先生の采配もお見事!
秋野:私の姿を見た先生が、「この子は自己表現が下手だけど、他者になれば上手な表現ができる。だから演劇がやれる中学校に入れた方がいい」と母にすすめてくれてね。演劇の盛んな、中高一貫の四天王寺学園に進学したんです。
アンミカ:四天王寺といえば関西女子校の最難関クラスです。
秋野:当時は普通よ(笑い)。演劇部に入ったら、普段は大阪弁でも芝居では標準語でしゃべるものだとアクセント辞典を渡されて、徹底的に叩きこまれた。顧問の先生の厳しい特訓を受けているうちに、吃音症も自然と治ってたわ。
アンミカ:すごい!映画『英国王のスピーチ』みたいな話ですね。
秋野:彼はスピーチをすることで、私はせりふをどもらず標準語で話すことで克服したから、確かに近いわね。
アンミカ:成功体験を積み重ねることで自信がつくものですよね。
秋野:体験をさせてくれる大人がそばにいるかいないかで大きく違う。朝ドラのときもそうだけど、私は周りの大人に恵まれていたな。
アンミカ:ほんとうに、巡り合わせの奇跡です。
秋野:大人が、個性を排除するのか愛でてくれるのか次第で、その子が持つ花は開きもするし、しぼみもするものなの。私たち大人の責任は大きいなって、幼少期を思い出すと実感しますね。
アンミカ:高校卒業後は、俳優の道へと花開いていったんですか?
秋野:そう言いたいところだけど、まだ家も苦しかったから、お芝居をしながら、飲食店でアルバイトをしていました。
アンミカ:大変な暮らしの中で、私立一貫校へ進んだことにも改めてご両親の強い愛情を感じます。
秋野:うれしかったわ。だから家のためにバイトをするのもまったく苦じゃなかった。大阪の心斎橋にあった8階建ての飲食店ビルで働いていたんだけど、8階が社長の事務所で7階に高級なお座敷割烹が入っていてね。いい働きぶりだと、時給と担当する階がどんどん上がっていくんですよ。
アンミカ:RPGのダンジョンみたいですね(笑い)。
秋野:そうなのよ。高校を卒業するまでに、お座敷割烹の店まで上り詰めましたからね。クリア(笑い)!
アンミカ:高校生で!すごい!
秋野:そうしたら最上階の社長の事務所に呼ばれたんです。
アンミカ:ラスボス登場ですね。
秋野:何かと思って事務所に行ったら、「卒業したらウチに就職せぇへんか?」って。
アンミカ:対人恐怖症で苦しまれていた幼少期からは考えられないくらい、飲食店での接客もはつらつとしていたんでしょうね。
秋野:でもちょうど『おはようさん』の仕事が決まったときだったから、「すいません…、いま朝ドラの主役が決まりまして」とお断りして。
アンミカ:予想外すぎる返答!
秋野:「なんやねんソレ!」って即ツッコミよ(笑い)。でも「私、俳優になれそうなんです」と言ったら「そうかそうか、ほな頑張りや~」なんて、背中を押してくれたのよ。
アンミカ:朝ドラの翌年に「赤いシリーズ」で山口百恵さんと共演したりと、秋野さんのご活躍に社長さんも「ウチにいた子やで」と鼻高々だっただろうな。
秋野:なんの役者経験もない素人だったから、半信半疑だったでしょうけどね(笑い)。
誰かの役に立つことで幸せを感じられる
アンミカ:10代でこの世界に入り、それから半世紀以上も第一線を走り続けて、がんも克服され、来年古希とは信じられないくらい若々しくて。秋野さんの健康の秘訣をお伺いしたいです。
秋野:やっぱり運動ね。64才でがんを経験したとき、抗がん剤がすごく効いて副作用も少なかったの。先生からは、「秋野さんの基礎体力があったからですよ。いまやっている運動を絶対にやめないでくださいね」と言われました。
アンミカ:ルーティンがあるんですか?
秋野:起きたらストレッチをやって筋トレして、有酸素運動をして、最後にヨガをやるトータル1時間半くらいのルーティンを毎日やっているわ。60才までは、毎日10km走っていました。
アンミカ:参考にしようとしましたが、すごすぎてちょっと私には無理かも…。
秋野:自分にできることでいいのよ。走って転んでけがをしたら危ないから、いまは走るのをがまんして歩いているの。
アンミカ:どうやったらそのルーティンが続くのでしょうか?
秋野:運動は、命との競走だと思っているからね。死が一度近づいたときも、運動をしていたから追い抜かれずに持ちこたえたでしょう。切羽詰まっているわけではないんだけど、さぼったらあかんって思ってるわ。
アンミカ:がんサバイバーの秋野さんだからこそ響く言葉ですね。
秋野:なんかね、闘病後の人生は新しい命をもらった気持ちがするの。だからいま生きている人生は誰かのお役に立ちたいと思っていて。
アンミカ:前編でお話しされていた、絵の売り上げの一部を寄付なさったりする行動にもつながります。
秋野:そういう役目を果たしているときが幸せを感じるし、その感情を大事にすることが、この年齢からの健康の秘訣かな。
アンミカ:過去の経験がいまに生きて、未来を築いていくんですね。
秋野:そうは言っても先は長くないと思ってるから、毎年12月にエンディングノートを更新しています。
アンミカ:命との向き合いを徹底されていますね。
秋野:家族に迷惑をかけずに死にたいと思っていても、実際には必ず何かしら迷惑をかけるでしょう。だから少しでも負担を減らせるように、金融口座や加入しているサブスクのパスワードとかの情報を書き記して、「私が死んだらこれを見て」と金庫にしまっているんです。
アンミカ:そういった細かい気遣いに、残される人への愛情を感じます。一昨年にはお孫さんも誕生されましたし、まだまだ元気な秋野さんでいていただかないとですね。
秋野:もうだいぶヨレて、ポンコツになってきたわよ(笑い)。
アンミカ:とんでもない! 私もヘルシービューティーを目指します!
秋野暢子さんのHLLSPD
秋野暢子さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はSmile、Peace、Dreamについて直撃!
Smile:あなたを笑顔にする宝物は?
友人の書家が書いてくれた「笑顔」という書
Peace:心が穏やかになる趣味や場所は?
個展のために絵を描き、ガラス作品を製作しているとき
Dream:これからの目標は?
いままでの人生でインプットしたことをアウトプットしていく
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆俳優・秋野暢子
あきの ようこ/1957年生まれ。NHK連続テレビ小説『おはようさん』のヒロインに抜擢され一躍注目を集め、映画・テレビ・講演などで活躍。9月9~14日、銀座三越本館7階ギャラリーにて『〜この桜は散りません〜秋野暢子と希望の輪展』を開催。会期中は全日11~17時本人在廊。
構成/渡部美也 衣装/ブラウス、ショートパンツ/ともにドゥクラッセ ネックレス/アビステ ピアス/グロッセ ジャパン(アンミカさん) アクセサリー/QAYTEN(秋野さん)
※女性セブン2026年9月10日号