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「生きがいなんていらない」薄井シンシアさんがそう語る理由と、社長を務めたホテルの退職そしてこれから

薄井シンシアさん
「生きがいなんていらない」と語る薄井シンシアさん
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47歳のときに専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開した薄井シンシアさん(63歳)。この7月末で、外資系ホテルの日本法人社長の職から退きました。退職を選んだ理由や今後の働き方を聞くなかで、「生きがいなんかいらない」と、ともすればネガティブにも聞こえる言葉が。連載「もっと前向きに!シン生き方術」では、この言葉の意味するところに迫ります。

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過去の経験を“荷物”にしない

7月末で退職しました。2021年5月から外資系ホテルの日本法人の社長を務めてきましたが、その職を自分から辞したのです。待遇に不満があったわけでもなければ、何かの交渉が決裂したわけでもなく、お互いの成長のために、いい選択をしたと思っています。

このホテルからオファーをもらった頃、私はスーパーのレジ打ちをしていました。時給1200円のパートタイマーです。なぜパートをしていたかといえば、東京オリンピック・パラリンピックの開催が延期になって、オリンピックホスピタリティー担当の仕事がなくなったから。

貯蓄があっても稼ぎがないのはやっぱり不安で、とにかく早く仕事を再開したくて、60代でも求人がたくさんある介護、警備、小売、清掃の中から、自分にできそうな仕事を選びました。やってみるとレジ打ちの仕事には学びがありましたし、働いて稼いでいる実感は精神的な支えになりました。

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スーパーでレジ打ちの仕事をしていたことも
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初めてやることには必ず学びがある

そんなときにホテルからオファーがあったので、引き受けることにしました。私はホテル業界では、ANAインターコンチネンタルホテル東京(営業開発副支配人)、シャングリ・ラ 東京(パブリックアフェアディレクター)で働いた経験があります。報酬や知名度がガクンと下がる小さなホテルでなぜ働くのかと言う人もいましたが、私にとって過去は過去。迷う理由がありませんでした。

それに、新興の外資系ビジネスホテルで私に任されるのは、新しいホテルを都内3か所に立ち上げることでした。ホテル業界のセールス経験があるとはいっても、ホテルオープンと運営はしたことがない。初めてやることには必ず何か学びがあるものです。給料をもらいながら勉強できるなんてラッキーだと思いました。

退職の理由は、自分と幹部の成長機会

2021年7月、最初のホテルを新橋にオープンさせたときは、経験がないことを手探りで進めたので大変でした。同じ年の11月、2軒目を秋葉原に立ち上げたときは、新橋のときとは比較にならないぐらいスムーズに進められました。そして2022年4月に3軒目を東神田に。もう、難しいことは何もありませんでした。

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シンシアさんがオープンに携わった「LOF HOTEL Shimbashi」
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経験が蓄積され、ノウハウが定着して、仕事が楽になった。それはいいことですが、私個人としては同じことの繰り返しですから、このままここにいて4軒目、5軒目と続けていくのはいかがなものかと思いました。同じ方法で新しいホテルを立ち上げたところで、私自身には成長や学びがあまりないだろうと思った。これが、退職を考えた1つめの理由です。

私の存在が成長の妨げになる

2つめの理由は、私以外の人材のことでした。3軒目のホテルがオープンした時点で、管理職は私の他に2人いました。2人ともホテルに入ってめきめきと頭角を現し、優秀で、2人がいれば私がやるべきことなんて何もないんじゃないかというぐらい。今すぐ、私が持っている仕事をそのままパスしても務まるだろうという気がしました。

逆に、私がいると2人は挑戦できないだろうし、私の存在が2人にとって成長の妨げになるかもしれない。そして、バトンタッチするなら、4つめのホテル開業まで少し間がある今がいいと思ったんです。