
ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る「介護のリアル」。昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取ったオバ記者。介護中のストレスから解放されるためにやっていたのはどんなことだったのでしょうか?振り返ります。
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身内が亡くなる前に必ずハマったゲーム
夜中に目が覚めて、肌身離さず持っているiPadに触ると母ちゃんがニヤッ。ここに顔写真がいやというほど入っているから仕方がないんだけど、在りし日の母ちゃんの、「なんだ、眠れねえのが」という声が聞こえたような気がしてたまらなくなるんだわ。
それにしても母ちゃんを介護している間、もしこのiPadがなかったらかなり厳しかったと思う。夜中に思いついて原稿を書くこともあったけれど、たいがいは単純なゲームをしていたのよ。

ふと視線を感じて母ちゃんの寝ているベッドを見ると、「はあ(もう)、いつまでもしてねえで寝ろ」と親風を吹かせるの。
私が最初にスマホのゲームにハマったのは年子の弟の命があとわずかと知ったときだ。テトリスのように同じ模様を添えて消していくだけのゲームに、ビックリするような課金をしていたっけ。
弟が亡くなった8か月後に義父が亡くなる前は、農場経営のゲームで、この時の課金はさほどではなかったけれど、始めるとあっという間に4時間くらいたっていたっけ。

そして母ちゃんを介護している間は、試験管に同じ色のボールを重ねていくゲームがやめられなかった。不思議なことにそれぞれが亡くなるとゲームも終了。ごくたまに思い出してしてみても、ちっとも面白くないのにね。
鉄旅をしていると両親を身近に感じる
ゲームと同じくらい、いやそれ以上に介護していた私を慰めてくれたのが電車に乗ることだ。ゲームの方は私だけの逃避だから多少の罪悪感があるけれど、旅の方は母ちゃんと義父ちゃんと私の共通の趣味だったからかしら。介護を中断して出かけたからだけじゃない、清々しさがあったのよ。

亡くなったいまもそう。家にいるよりずっと新幹線に乗ってあちこち出かけているときの方が、ふたりを身近に感じるんだわ。「介護」というと母ちゃんしか思い浮かばないし、実際私は義父ちゃんの看病に関与していないけれど、「旅」というキーワードをはめてみると、あら不思議。親子3人が丸く収まるんだよね。
海外旅行に行くといつも父ちゃんにバレた
不思議なことがある。私が内緒で海外旅行に出かけようとすると、なぜか義父ちゃんにバレるのよ。晩年、私に電話をかけてくるのは耳の遠い母ちゃんではなくてもっぱら義父ちゃんだったの。今の季節なら、「どした? 今週の土日に泊まりがけで東京に米持って行ぐべが?」と必ずよ。
その時に断ったりすると面倒なことが起きるから、事前に「○日から仕事で出張だから東京にいねえからな」とさりげなく言ったつもりなのに、「外国か?」とすかさずよ。
本当に国内出張の時は「ああ、そうか」でスルーなのに、なんで年に一度くらいしか行かない海外旅行がわかるのか。本当に不思議だった。

で、私がなんで海外旅行を親に内緒にするかというと、「金もねえのに遊び歩いて」と小言を言われるからよ。
この小言がまた微妙でね。母ちゃんは私が海外から買ってきたスカーフを死ぬまで離さなかったし、それを褒められると「これが? おらじの道楽娘が外国で買ってくんだっぺな」と自慢していたの。
両親と「青春18きっぷ」で鉄旅の思い出
そんなこんなを思いながら、今また「大人の休日倶楽部パス」でJR東日本をうろついているんだけど、そういえば車でばかり移動していた両親と「青春18きっぷ」で鉄旅をしたことがある。熱海駅で初めて手の届きそうな近距離で新幹線が走り去るのを見た時の義父ちゃんの驚いた顔! あの時はまだ母ちゃんも駅の階段を上り下りできたんだっけ。

「しっかし、なんでこんな風来坊になったがよなぁ」
そう言って身の落ち着かない私を母ちゃんは最後まで嘆いていたけど、反面、羨ましそうでもあってね。
「おめが男だったら日本中を股にかげだっぺ(かけた)と、よくじい様に言われたっけな」と、これは晩年、何回も言っていたっけ。ああ、また旅に出たくなったわ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【314】母ちゃんのことを思い出してふさぎこむ気持ちを解消するために鉄旅へ出発!