ライフ

66歳オバ記者、お彼岸に思い出した母親介護の日々「なぜ母ちゃんは急にサラダが好きになったのか?」

オバ記者
お彼岸のせいもあって?母ちゃんと義父の好きな食べ物を思い出したオバ記者
写真7枚

ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)は一昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取った。今も思い出すつらかった自宅介護の日々。秋のお彼岸を迎え、頭に浮かんできたのは「母ちゃんとサラダ」「義父とスペアリブ」の思い出だった。

* * *

母ちゃんが入院生活でサラダがお気に入りに

昨年春に亡くなった母ちゃんは、私が帰省介護していたときにサラダを作ると「おお、サラダが」と喜んだの。母ちゃんは亡くなるまで全部自分の歯で、それが自慢だったのよね。面白そうにパリパリと音をたてて食べて、子供の頃にロクに歯の手入れをしてもらえなかった私はそれが憎らしくてたまらない。

オバ記者の母ちゃん
元気だったころの母ちゃん
写真7枚

だけど不思議なんだよね。母ちゃんの料理のレパートリーにポテトサラダはあっても生野菜サラダはなかったし、第一、私が子供のころレタスは八百屋さんの店先にも並んでいなかったの。母ちゃん、いつサラダに目覚めた?

聞いたら「どごの病院でもサラダは出っぺな」というんだわ。晩年は入退院を繰り返したからそれですっかり好きになったんだね。さらに「酢の物だっぺな」ともいう。

カレーライスにたぷたぷの酢醤油をかけるほど酢が好きな母ちゃんから見たら、サラダは酢の物の変形らしいんだわ。で、そのあと、母ちゃんの「酢の物を食ってたら病気になんねえんだ」という根拠のない講釈が続く。

オバ記者
オバ記者特製サラダ!
写真7枚

そういえば昔はドレッシングというものもなかったんだよね。最初にわが家でサラダを食べたのは私が上京してからで、レタスにサラダ油に酢、それからかつおぶしにしょうゆをかけてたの。近所の人から教わって食べたらうまかったとその時は言っていたけど、2回目はなかったから飽きたんだね。

私が作ったものを身を乗り出して食べた母ちゃん

料理といえば母ちゃんは私が作ったものは何でも身を乗り出して食べた。その中で忘れられないのがオレガノが入ったスペアリブのトマトソース煮込みよ。まだ義父ちゃんも元気でいるころで、実家に持っていくと母ちゃんは「どれ。ヒロコが作ってきたんじゃ食うかな」と口に放り込んだ。で、「んっ? こらどうやって作んだ。さっぱりしててうまいなや」と言う。一度もイタリア料理店なんか行ったことがないから、未知の味だったと思うよ。

オバ記者と母ちゃんと義父
元気だった時の母ちゃんと義父
写真7枚

やっかいだったのが義父ちゃんよ。子供の頃、私と母ちゃんが台所でおしゃべりしながら料理を作っていると、必ず怒鳴り声をあげたの。「テメェら、いつまでも何やってんだ!」って。私と母ちゃんが仲良くしているのが気に入らなかったんだね。中学生になってカレーなど簡単な料理を作ると見向きもしない。で、これみよがしに母ちゃんに「ラーメンでいいから作れ」ってこうよ。母ちゃんが「なんでヒロコが作ったの、くわねぇんだ」と言い返すと「きったねえ(汚い)」と吐き捨てたの。

まぁ、私だって黙っていじめられっぱなしになっている性格じゃないから、義父ちゃんにもそれなりの言い分はあると思うよ。

スペアリブに食らいついた義父ちゃん

お互い歳をとってそんな昔話はしたことがないし、義父ちゃんも覚えているかどうか。で、スペアリブだけど、肉を一切れ乗せた皿を差し出すと、「おら、煮たトマトはすかねぇんだ(好きじゃないんだ)」と顔をしかめるの。「まあ、せっかくヒロコが作ってきたんだが、ひと口だけでも食えな」と母ちゃんに言われて、いやいやながら口に入れた。それから黙々と口を動かして気がつくとスペアリブ一本、ペロリ。

で、何を言い出すかと思えばお皿を私の方に突き出しながら「はぁ、もう、オレはいいや。あと一本でいいや」だって。「うまいからお代わり」と言えばいいのに、それが言えない。

オバ記者
おいしいと言えばいいのに…素直になれない義父(写真は食事中の母ちゃん)
写真7枚

だけど私からすれば完全勝利よ。下を向いて気まずそうに2本目の骨付き肉にくらいついている義父ちゃんを見たらうれしくてたまらない。

なんてことも10年以上前の話でね。義父ちゃんは2018年に、母ちゃんはそれから3年後の一昨年、この世から旅立っている。

“墓標ウォッチング”で盛り上がったことも

先日のお彼岸の中日、弟夫婦と「そろそろ墓碑に母ちゃんも刻まないとな」と言いながら、お墓参りに行ってきた。血縁関係のない義父ちゃんと私の共通点といえば「旅好き」くらいだったけれど、母ちゃんとは親子だなと思うことが多かったな、とか思いながら手を合わせる。

そういえば何年か前のこと。墓参りの帰り道、なにげなくよその家の墓石の裏をのぞいたら、いつの間にか母ちゃんが横にいて「あれ〜よ。こら、◯◯さんのじんつぁま(ジイさん)だっぺな」と言いだしたんだわ。「母ちゃん、知ってる人げ?」と聞くと、「嫁にきたばかりのときに親切にしてくれたんだよ」と言うの。

オバ記者
母ちゃんと一緒にやった墓標ウォッチング楽しかったな~
写真7枚

それからふたりで嬉々としてよその家の墓石、墓標ウォッチングよ。「そうだ。ここの家の長男は早く亡くなったんだよな」といえば私は私で、「母ちゃん、△△さん家っちゃ古い家なんだな。この墓石、天保◯年だってよ」と言うと、「旧家だがんな〜」と母ちゃん。

そんなあれこれを墓石に水をかけながら思い出して「母ちゃん、そっちはどうだ?」と声をかけたら、頭上の大木から気持ちのいい風が吹き降りてきました。彼岸の向こうはいいところらしいわ。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
写真7枚

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【367】66歳オバ記者が振り返る在宅介護の日々 母親が「100万円がねぇ!」と大騒ぎ、その意外な顛末

【366】在宅介護を経験した65歳オバ記者、きょうだい間で起こりがちな「介護のお金問題」と無縁だったのはなぜか?

→オバ記者の過去の連載はコチラ

関連キーワード