ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。お盆の直前、亡き弟のことを思い出す「不思議な」出来事があったという。オバ記者が綴る。
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お盆の数日前に不思議なことが
これまで「霊感、あるでしょ?」と言われたのは一度や二度じゃない。占いをすれば「大器晩成」と「お金を残します」とこれまた何度言われたか。さすがに66歳の今は晩成とは言われなくなったけど、それでもスッカラピンの私には力強いお言葉よ。明日への希望って、根拠より気の持ちようだもの。
霊感かどうかはわからないけれどヤマカンは当たる方と思い込んだのは確かね。結果、気がついたらギャンブル依存症で20年間、ずぶずぶ。すっかり憑き物が落ちた今は、霊感、ヤマカンは苦労の種だったと思っている。とはいえ、お盆の数日前に不思議なことが起きたんだわ。
この夏の暑さといったら、クーラーをつけてもじわっと汗ばむほど。それで7月から昼はWi-Fi完備の『カフェ・ベローチェ』でコーヒー一杯280円で粘って原稿を書いたりしていたわけ。それで充分しのげたのよ。
なのに何を思ったか、東京駅前のネットカフェ『丸善の三階』に迷い込んだの。こちらは1時間1100円。コーヒーほか飲み物とチョコレートなどのおやつがフリーだといってもけっこうな値段よね。ふだんの私なら「ムリ」で素通りしたはずよ。
それが「一度くらいなら」とふらりと入って受付を通り越し、正面の書棚を見たとたん動けなくなったの。何冊かの本に混じって飾ってあったのが『現代棟梁 田中文男』。驚き過ぎていったんその場を離れたもんね。
寺社仏閣の建築に魅せられた弟
古建築の棟梁の本になぜそんなに驚いたか。それはこの本の中に6年前に亡くなった年子の弟が作ったものが載っているからなの。
私が「田中の親方」を知ったのは古建築大工だった弟が会えば親方の話をしていたから。弟は中卒で住み込みの見習い大工になり、その時に寺社仏閣の建築に魅せられた。で、一人前になるのを待って田中の親方の押しかけ弟子になり、その後も外弟子のような関係が続いていたの。
で、この本の出版のすぐ後、弟は「オレが作った古建築の柱の組み立ての模型が載るんだ」と、酒を飲んでは自慢たらたら。さらに銀座一丁目のLIXILギャラリーで親方の展覧会が開かれたときは柱が展示されていて、一家で見に行ったっけ。1998年、私と弟も40歳になったばかりだったのね。
その数年前、弟に大きな仕事が舞い込んできたの。江戸中期のお堂の移築、修復で、その時にどうしてもわからないところが出てきて、親方に泣きついたら現場まで来て励ましてくれたとか。
お堂が完成してすぐに『サンデー毎日』のグラビアにも出ている。紹介したのは私。取材で会った写真家の長友健二さんから「連載で今をときめく人を紹介しているんだけど誰か面白い人、いないかな」と聞かれて、ふと弟の顔が浮かんだのよ。
修復の現場に見に来いというので行ったら、「姉ちゃん、見てみろ。300年前の大工は後々、修復することを見越して、こうして柱に印を刻んでたんだよ」と古い柱を見せられたことを思い出してね。その時のことを話したら「ぜひに!」ということになったのよ。