「もう、離婚したほうがいいよね」
帰国して1年ほど過ぎた頃、今度は彼の海外赴任が決まりました。私は日本で働き始めていたので「私は行かないよ」「じゃあ単身赴任だね」ということになり、彼は単身で赴任しました。彼は現地に3年ほど住んだあとに米国へ転勤となり、娘と同居を始めました。
彼は米国から日本へ転勤するとき、また実家へ戻りました。そのときに私は「もう、ずっと別居だな」と感じましたが、私から離婚を切り出す勇気はありませんでした。
そんなとき、彼が「もう、離婚したほうがいいよね」と言ったので、私も「そうね。離婚したほうがいいよね」と答えました。お互いに冷静でした。私たちは、自然に別々の方向を向いていたのです。
「帰る家はない」。背中を押した娘の言葉
娘はよく私たちに「パパとママは、やっぱり合わなかったかもしれない。でも、私には2人とも最高の親だから、パパとママが幸せになればいい」と言っていました。
私は、離婚したら娘の帰る家がなくなることを一番心配していました。でも、幼い頃から転勤を繰り返してきた娘は「私の『家』の定義は、パパとママがいた自分が幼い頃の家だよ。でも子ども時代に戻れないから、そもそも帰る家はない。パパとママが頑張って維持しても意味がないよ」と言いました。
娘があっさり「帰る家はない」と言ったことで、自分が過去にしがみついて、過去を荷物にしていたことに気が付きました。家の定義を娘に教えられたのです。
離婚届は、私が漢字を書くのが苦手なので、元夫が記入しました。最後に直接会ってサインをし、彼が「〇〇に退職金を受け取るから、振り込むね」と言い、「うん、分かった」と答えて別れました。後日、元夫から「今日、振り込みました」とLINEのメッセージが届いたので、「税金で損をしたくないので、税金だけはきちんと調べてね」と返しました。これでおしまい。あまりにも自然でしょう?
これまでも元夫とは、合理的なルールを決めて暮らしてきました。例えば、私は家の中が散らかっていることが大嫌い。でも、それぞれの部屋がどれほど散らかっていようが、私には関係ありません。ただ「3人が共有するスペースはきれいにしましょう」と言いました。トイレも掃除をしているのは私だから「こういう風に使ってね」という私のルールに従ってもらいます。それは私に対する最低限のリスペクトです。
旅行は、彼は好きで、私は興味がない。だから「旅行に行きたいの? じゃあ、あなたが計画してね」と彼に任せました。元夫は仕事一筋なので、お金の使い方もお互いに衝突することはありませんでした。
◆薄井シンシアさん
1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ
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