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薄井シンシアさんの「親友論」 1人でいることが平気な私が親友によって「救われた」経験

薄井シンシアさん
薄井シンシアさんの「親友論」とは?
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「親友の定義は『困った時に頼れる人』『久しぶりに連絡を取っても違和感が無い人』」。17年間の専業主婦を経て、外資系企業で働く薄井シンシアさん(64歳)には数人の親友がいるといいます。とはいえ、親友になるかどうかは相手の気持ちも、あってこそ。友人に頼る必要が無いと思っていたシンシアさんが考え方を改めたきっかけとは?

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1人の親友ではすべてが満たされない

私は週末に予定が無いと、「誰か友達に会わなくては」と考えるタイプではありません。他人から誘われれば出かけるけど、予定が無ければ、ずっと1人で過ごす。精神的に自立しているので、1人でいることがまったく平気なんです。でも、それって絶対によくないでしょう? 外に出ないと完全な引きこもりになるから、仕事に出たいし、意識的に自分から外へ出るようにしています。

だから私の親友の定義は、足をひねったり、新型コロナにかかって動けなくなったときに「食事を買ってきてほしい」と頼める相手です。私は他人に頼まれごとをされるのは嫌じゃないけれど、自分から頼むのが苦手です。だから困ったときに頼める相手は「親友」です。その意味では、遠くにいる親友より、近くにいる親友のほうが頼りになる。

親友は大勢持つ必要はありません。私は専業主婦からキャリアウーマンになったので、1人の親友ではすべてが満たされません。ずっと専業主婦をしてきたわけではないので、専業主婦とはがっちり話が合わない。かといって、ずっと働き続けてきた人とも価値観が違う。だから私は親友の幅が広いし、状況によって付き合う相手が変わります。友達のいいとこどりをしているのかもしれません。

コロナを機に親友の大切さを実感

近所に住む親友は、メキシコ人と日本人のカップルです。メキシコ人の夫のかたは、私が会員制クラブで電話受付をしていたときの元同僚で20歳下です。彼は私が正社員になりたかったときにさまざまなアドバイスをくれたり、上司へ掛け合ったりしてくれました。結果的にダメだったけれど、彼はお互いに外国人だから話しやすいし、いろんな意味で信頼できる人です。

薄井シンシアさん
コロナ禍に実感した親友の大切さ
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当時は私の娘も日本に住んでいたので、彼らの家に招かれて娘同士も遊んだりしていました。

私が新型コロナにかかったときは、彼らに買い物を頼みました。彼らは普段から「コストコに行くけど、何か買ってくるものはありますか?」と連絡をくれるので、買い物を頼むこともあります。

私も、ディズニーランドのチケットをもらったり、ふるさと納税の返礼品が多かったときなどに「よかったら使って」と彼らに差し上げたりします。彼らとはLINEで連絡を取り合っていて、しばらく会っていないと思ったら「ちょっとお茶しよう」と近所で会ったりします。

親友との付き合いには「ライフ・フェーズ」も大事

私が大手飲料メーカーで、東京五輪のホスピタリティ担当を務めていたとき、五輪が延期になりました。自宅待機が続き、私が心身に不調をきたしたときに、彼らが「家に来ない?」と誘ってくれたのです。このときは「救われた」という気持ちになりましたね。

無理やり外の世界へ引っ張り出そうと気遣ってくれる友人が身近にいる。このことに本当に救われた。私は普段から1人で時間を過ごすことが好きなので、それまでは友人に不義理をすることもありましたが、「こういう関係性は大事にしなくちゃ」と心から思いました。

ただ、親友との付き合いには、相手のライフ・フェーズを考えることも大切です。親友に幼い子どもがいれば簡単には誘えないし、困ったときに頼りにくいでしょう?

メキシコ人の夫婦は40代だからまだ忙しいけれど、2人の子どもは大学生になって家を離れているから、私が頼ってもそこまでの負担ではないと思っています。