
人気連載「ネネノクラシ」のスペシャル企画として実現した、大塚寧々さん×ヤマザキマリさんとの対談。前編ではふたりの体験や人生観がリンクすることもあり、大いに盛り上がりました。後編ではさらなる共通点が明らかに――。
すべての動機は「外へ出たい、放浪したい」欲から
ヤマザキ:ところで大塚さんはデビュー何歳のときですか?
大塚:CMに出させて頂いてから事務所に入ったので…、仕事を始めたのが24歳くらいですかね。
ヤマザキ:ということは、ちょうどバブル期ですね。日本はこの先はもう良いことしかない、楽しいことしかない、というノリで皆が生きていた時代。しかし、当時イタリアのフィレンツェで貧乏画学生をしていた私にとっては、支払えるお金がないためにガス・水道・電気も断たれ、生きることとはこんなに辛いものかと痛感していた時代です。だから、あの頃フィレンツェを訪れる日本人の裕福さに驚いていました。しかも女性はみんな前髪を巻いたソバージュヘアで、似たような服装で、両手にいっぱいブランド店の紙袋をぶら下げている。貧困の極みに置かれていた自分が同じ人種だとは到底思えませんでした。
大塚:私は20歳くらいで家を出て、でも当時そんなに仕事があるわけじゃなかったからかつかつで、友達のお母さんが作ったものをいただいてりしていました。最後の方は夜中に実家に帰ってお米をもらったりも…(苦笑)。だからバブルを享受したっていう感じじゃないんです。そもそも(日本大学芸術学部)写真学科だったので、写真を撮りに地方ばかり行っていたので。

ヤマザキ:そうか、あの頃の日本にいても大塚さんは異種だったんですね(笑い)。そもそも大塚さんて芸術学部出身ですもんね。写真を専攻されたということは、カメラマンになろうと思っていたんですか?
大塚:いや、私はカメラマンになりたかったわけではなくて、せっかく地球に生まれてきたのだからあっちこっち行きたいっていう思いがあったんです。
ヤマザキ:兼高かおる的(編集部注、2019年に90歳で亡くなった、ジャーナリスト。150か国以上渡航し、一般女性初の南極点到達でも知られる)ですね!
大塚:学校の先輩なんです! 『兼高かおる世界の旅』とか『川口浩探険隊』のテレビ番組に夢中で、私もカメラマンになりたいというよりは写真を撮りながらあっちこっち放浪したくて。
ヤマザキ:素晴らしい。私と全く同じ嗜好ですね。『川口浩探検隊』はビデオも探検隊のジャケット持ってます(笑い)。写真を撮りながらの放浪、まだ成就できてないということですか?
大塚:う~ん、休みのときは結構行っちゃう方で…国内ですけど、車を運転しながらどこ行くか決めないまま高速に乗って、いつの間にか日本海が見えて本州突き抜けていたり、そのままフェリーに乗っちゃったり。20代のときはよくぴゅーっていなくなってマネジャーさんを心配させたこともありました(苦笑)。むしろ止まれと言われると窒息する感じがしちゃうんです。
ヤマザキ:とてもよくわかります。私は子供の頃、立ち入り禁止区域と言われれば余計行ってみたくなるタチで、「行ってはいけない=その向こう側からが私のテリトリー」と考えていました。小学校のころ、学区外で禁止とされている国立公園の道を自転車で36キロ往復したことがあります。疲れて死ぬかと思ったけど、自力でそれだけ移動できるという達成感がありました。
大塚:たしかにいつも言うことを聞くことって、言い換えると常に誰かの意見を尊重することになるんですよね。それが当たり前になると、もしかしたら時には自分の意見よりも誰かも意見を取っちゃうかもしれない。子供の頃にそういうのを経験するのって大事だと思います。

ヤマザキ:私はいまでも海外でどこ行きかわからないバスに乗ったりしますよ。
大塚:おーー(笑い)!
ヤマザキ:終点で降りて「さあて、ここから宿泊場所まで帰るまでが私の旅だ!」となる。「ここが出発点だ」という逆パターンもありますけどね。
振り返ると、私が14歳でフランスとドイツに一人旅したとき、リヨンからパリ経由でドイツに行くにも、鉄道の駅が4つもあるパリの街角で文字通り路頭に迷って立ち尽くした経験があって、そこで本気で「頼れるのは自分しかいない」というスイッチが入った気がします。母が単身北海道に行ったときの感覚に近いのかな。生きている間に感じられるかどうかが大きいかもしれないと思いますね。人生に予定調和なんてひとつもないし、「生きる」という先の見えない展開とどう向き合っていくか、そこが大事なことじゃないかと。
大塚:その強さが本当に尊敬できるし、私もその強さを持っていたいなと思います。どんな状況になっても、自分で判断をして自分で決めて責任を持つ。
ヤマザキ:大塚さんにもそういう経験がありそうですね。
大塚: 14歳ではさすがに…。私は20歳のときに一人でイギリスからアイルランドに渡って、またイギリス、最後アメリカのニューヨークに行くという旅をしたことがあって、基本は父のお友達のところを転々とさせてもらっていたんですけど、途中ホテルが取れていなかったことがあって。英語もそんなにしゃべれないなか、一生懸命予約したんだって主張して近くのホテルを教えてもらったりしましたね。なんとか宿を探そうって。
ヤマザキ:そうそう、そういう状況に置かれると自暴自棄にはなかなかなりませんよね。目の前の問題をクリアしていこうっていう沈着冷静のスイッチが入るんですよね。
価値観は人と違っていい
ヤマザキ:その後私は17歳からイタリアに留学しましたけど、イタリア語を短期間で習得できたのは本当に切羽詰まっていたからです。問題は山積み、だけど日本語で相談できる人もいない、学校の入学準備もある上、当時付き合っていた自称詩人の彼氏がやたらと言葉遣いにうるさかったのも理由でしょう(笑い)。
大塚:普通の人は無理だと思います。私なら1年経っても無理な気がします。
ヤマザキ:いやいや、あの状況に置かれれば誰でも話せるようになりますって。ただ、まだ17歳で、日本人としてのアイデンティティが確立化されてないときにイタリアに行ったことで日本からどんどん遠くなっていくという危機感はありました。自分は無国籍人ではなく日本人なんだという意識はずっと離れなかったですね。
大塚:そこでも客観的に現状を見られているところが、私は大好きです。
ヤマザキ:ネットも携帯もない時代ですから、うちの母がときどき送ってくる荷物の緩衝材がわりの新聞を熟読して、テレビ欄を見てよく出てくる出演者の名前なんかをチェックしていました。実は寧々さんの名前も当時から知っていました。お名前のインパクトもさることながら、そのときは日芸出身の、他の女優さんとはちょっと違うベクトルの人だという印象がありました。

大塚:お恥ずかしい。
ヤマザキ:友人がビデオを送ってくれていたので、実は『東京ラブストーリー』や『あすなろ白書』のようなトレンディドラマも見てました。社会と恋愛のつながり方というのか、とにかく男女の距離感などイタリアとは何もかもが違いすぎて、別世界の出来事のように見えていましたね。友人的には「日本に戻ってきても浦島太郎にならないように!」という計らいだったようですが(笑い)。
私は家族も外国人で家はイタリアにもあるからどこか帰国子女的扱われ方をしますが、寧々さんは日本にいるから、日本のできごとに距離をとるのってなかなか難しくないですか?
大塚:学生の頃、リチャード・バックの『イリュージョン』という小説を読んだことが大きかった気がします。それは、川の近くに小さい人たちが住んでいてみんなそこから離れないけれど、あるとき「世界はここだけなのか」とひとりが手を離した瞬間に新しい世界がいろいろ見えてくる物語。1か所にいるとわからないんだ、と強烈に感じて、自分のなかで見えなくならないようにしようっていう気持ちがものすごく強くなりました。のめり込むと逆に怖いというか、おっとっとっと、ひかなきゃ、冷静にならなきゃみたいになりますね。
ヤマザキ:「あなたの居場所はそこだけではない」というのを示唆してくれる文学作品は大事ですね。そういえば昔、私が絵描きになりたいと言い出した頃、母が『フランダースの犬』を買ってきたんです。「はい、絵描きになりたい男の子の話を読んでご覧」と差し出すので読んでみたら、ネロは非業の死を遂げる(苦笑)。母としては「経済生産性がない仕事を選ぶと苦しいことになるけど、ほんとに絵描きになりたいの?」という遠回しのメッセージだったんでしょうね。
ただ、そのとき同時に読んでいたのが『アラビアンナイト』と『ニルスのふしぎな旅』と『宝島』で、置かれた場所にい続けられない主人公たちの物語だったこともあって、ネロについてはただの要領の悪い消極的な子供にしか思えませんでした(笑い)。雪に埋もれたアントワープのあんな小さな村でしか生きられないという思いに囚われていたせいで、あんな顛末になってしまうわけですよ。そんな凍えるところで牛乳売りなんかしても売れないし、放火犯に間違えられるような場所なんか離れればいいし、それこそ近くに船があるんだから潜り込めるんだし、変な話!としか思わなかったんですよね。私のその感想を聞いて、母は諦めたようです。ああこの子は苦労の道を辿るんだなと(笑い)。
大塚:同じ本を読んでも、同じ絵を見ても、同じ風景をみても、それぞれ感じ方は違うんですよね。なんとなく大多数の感じ方があると思うけど、違っていても全然いいと思うんです。自分の中から湧き上がる感情には嘘がつけないですよね。
ヤマザキ:そうだ、寧々さんに『ノマドランド』という映画を観てほしいかも。リーマンショックで夫を失って一人きりでバンで暮らす、放浪の民となってしまった元教師の女性の物語なんだけど、自由という孤独さに向き合いながら、それこそが譲れない世界に入ってしまうんですよ。妹や彼女を慕う男性が同じ屋根の下での同居を提案するんだけど、彼女にはそれが自分の幸せだとは捉えられず、2人から離れてしまう。断崖絶壁に行って、雨に打たれて「これが私の自由!」と言わんばかりに両手を広げるシーンがあって、素晴らしいんです。家族に守られて家があるということが、幸せであるとは限らない。人の倫理的や価値観を無理やり矯正させることを考えさせられる内容でした。
大塚:それ、観ましたよ! 最高ですよね。家族みんなこの映画大好きです(笑い)。
ヤマザキ:幸せを共有できない主人公を理解できない人もいるみたいなので、実は私のなかであの映画が受け入れられたかどうかが人付き合いの上でのターニングポイントになっていました。しかしこれを家族全員で好きっていうのもすごいですね(笑い)。

大塚:ふふふ。夫と息子と私はバラバラというかそれぞれ自由ですよね。若い時とかずっと何日も人と話していないと誰かと話したいと思ったりする事はありましたけど、結局、人は、私は、母親という体は借りているけれど、ひとりで生まれてくるし、誰かと一緒に死ねないと思っているので。
ヤマザキ:寧々さんが私の本を理解してくださった意味が超絶わかりました。私が書くものの根底にあるのは“死生観”なんです。人はひとりで生まれてきて、ひとりで死ぬ。家族ができても、死ぬときはひとり。普段でも、二度と会えないかもしれない出会いというのがありますが、そもそも地球で人間を生きるというのは、そういう接触の繰り返しではないかと。そういうことを書きたくなってしまうんですよね。
大塚:だからですかね、ヤマザキさんの本にすっごく惹かれるんです。磁石にひゅーって引っ張られるみたいに(笑い)。
ニュースも色々な方向からみた方がいい
ヤマザキ:いまって、先ほど出た『兼高かおる世界の旅』にしても、『川口浩探検隊』にしても放送が難しいじゃないですか。
大塚:たしかに! いまはコンプライアンスとか厳しすぎますよね。
ヤマザキ:実は私、数年前に『川口浩探検隊』のやらせについて書かれた本の書評を書いたことがあるんですけど(笑い)、やらせでありながら、どこまで究極の演出ができるかの勝負があの番組だったわけですよ。それに視聴者だってあれがやらせなのはわかっている。ツチノコだ、原人だと探検隊が決死の表情でジャングルを潜っていくのを、子供達ですら「怪しいなあ」「嘘くさいなあ」と思いながらも楽しんでいた。メディアが決してありのままを伝えているわけではないこと、社会で必要になる猜疑心を養うには大事な番組だったかと思います。大仰に褒め過ぎてますが(笑い)。メディアとはそもそも、そうした猜疑心を持って付き合っていくもんだと思うんです。
大塚:日本はそのまま信じる人が多いかもしれないですね。例えば1つのニュースだけだと、その方向だけ真実になってしまうかもしれないという危機感はあります。
ヤマザキ:それは私が17歳でイタリアに渡った頃から、ずっと感じていていることです。イタリアで最初に学んだのは猜疑心でした。周りは新聞やテレビの報道を信じていない人だらけで、新聞だって各政党が出しているものを5紙くらい買って比べると、内容が全然違いますからね。ニュースも定時に始まることはありませんでしたし、内容も局によって差異が甚しかった。
信じていた人に裏切られ「酷い!」なんて絶望していると、「信じるなんて怠惰なことをしたお前がいけない」と言われる。信じるということは、相手に丸投げして、そのあとなにかあったら相手のせいにすればいいということ。地中海って古代から文明が発達しているだけあって、人間がいかにずる賢い生き物であるかを熟知してます。だから「ずる賢い」は褒め言葉に近い。もちろん信頼や信じる気持ちは大切だけど、同時に猜疑心もフル稼働させてなんぼというのが彼らの精神性には残っているんですよ。欧州だけではなく、アラブ社会やアジア圏でもそうですね。
大塚:なるほど。

ヤマザキ:それに比べて日本は信じる方だけを重んじて、疑うなんていうのは悪いことだと決めつける風潮がある。敗戦してからこうした倫理の傾向がより一層強くなったと思います。だけど、落語においては嘘つきとわかっていながらも騙されて、俺が馬鹿だった…みたいな話もあるじゃないですか。あえて騙されていることがわかっていてもこれが人間の生き方だよなっていうのが江戸時代までの日本にはあったんですよね。
大塚:そうですね。昔は人情味があって、もっとおおらかに大きく他人を理解していた気がします。いまの方がちょっと心配な世の中かもしれない。
ヤマザキ:みんな人間に高い理想をかかげ過ぎなんですよ。正直者で清廉潔白で折り目正しく親切な人だけになれば社会はうまく機能するなんていうのは、歴史を参考にしても、まずあり得ません。そもそも人間なんてのはこの地球上で最もエグい生物なのだということを、しっかり受け止めるべき。だから、人生を謳歌して生きていきたいと思うのであれば、常に俯瞰で自分たちを見る必要性は大きいと思うわけです。
大塚:話は尽きないんですが、そろそろ時間だとスタッフさんが…。まだまだ話したいことがあるのに…離れたくないです(笑い)!
ヤマザキ:私もここでは控えていた話がいろいろあります(笑い)。またプライベートで話しましょう!
◆大塚寧々
1968年6月14日生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒業。『HERO』、『Dr.コトー診療所』、『おっさんずラブ』ほか数々の話題作に出演。2002年、映画『笑う蛙』などで第24回ヨコハマ映画祭助演女優賞、第57回毎日映画コンクール主演女優賞受賞。写真、陶芸、書道にも造詣が深い。夫は俳優の田辺誠一。一児の母。現在放送中のドラマ『おっさんずラブ-リターンズ-』(テレビ朝日系)出演中のほか、1月19日公開の映画『僕らの世界が交わるまで』の日本版ナレーション担当、CM出演、雑誌連載など多方面で活躍中。
◆ヤマザキマリ
1967年東京都出身。漫画家・随筆家。東京造形大学客員教授。1984年に渡伊、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。1997年より漫画家として活動。『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。著書に『国境のない生き方』(小学館)、『ヴィオラ母さん』(文春新書)、『パスタ嫌い』(新潮社)、『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。現在はイタリアと日本に拠点を置き、精力的に執筆活動等を行っている。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成29年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。
撮影/chihiro. ヘア&メイク/福沢京子(大塚さん分)、田光一恵(ヤマザキさん分) スタイリスト/安竹一未(kili office・大塚さん分) 取材・文/辻本幸路
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