映画俳優・橋本愛
橋本さんといえば、2010年のデビュー以来、絶えることなく活躍し続けている俳優のひとりではないでしょうか。『告白』(2010年)で大きな注目を集め、『桐島、部活やめるってよ』(2012年)や『渇き。』(2014年)など、日本のエンターテインメント史に残る作品の数々に出演してきました。
近年はテレビドラマ『35歳の少女』(2020年/日本テレビ系)で主要な役どころを演じ、『家庭教師のトラコ』(2022年/日本テレビ系)で主演を務めていたのが記憶に新しいところ。けれども先に挙げた映画作品で評価を獲得してきた彼女は、やはり“映画俳優”という印象が強い。このような印象を持っているのは筆者だけではないでしょう。
20代になってからは、『PARKS パークス』(2017年)や『ここは退屈迎えに来て』(2018年)、オムニバス映画『21世紀の女の子』(2019年)内の一編「愛はどこにも消えない」などの作家性の強い作品にアクティブに出演してきました。
そんな彼女の出演最新作である『熱のあとに』には、“映画俳優”としての橋本さんの新たな一面が刻まれているように思います。彼女の今後のキャリアにも大きく影響してくるような、まぎれもない新たな代表作のひとつになっていると思うのです。
静謐さの中にほとばしる激情
本作での橋本さんは終始、物静かです。というよりも沙苗は、“虚ろな人”というほうがしっくりくるキャラクター。彼女の心がどこにあるのか分からず、私たち観客は物語の展開に合わせてこれを探します。それはときに現在のパートナーである健太に向かっていることがあれば、やはり、刺し殺そうとまでした最愛の人・隼人に向かっていることもある。
これらのことを示すセリフはもちろん用意されていたりもしますが、そのほとんどは言外の彼女の仕草などによって私たちには伝わってきます。
沙苗は隼人と離れ離れになってしまってからというもの、どこか“抜け殻”のような印象を周囲に与える。けれどもいつだって彼女の心は震えている。むろん、彼女の心を震わせるのは愛です。絶えず消えることのない、隼人の影に対して。
本作は硬質な映像美をはじめ、どこか静謐さを感じさせる作品です。だから沙苗が感情的になるシーンはとても目立つ。でもそれ以前に彼女は、つねに激情をほとばしらせています。それはほんの些細なセリフのトーンの転調や、視線の動きに表れている。喜怒哀楽をあるていど分かりやすく示すことがテレビドラマなどでは求められるのかもしれません。ですが沙苗の心の機微の複雑さは、スクリーンを見つめ続けなければ分からない。
そこにはたしかに、“激情”がほとばしっているのです。これが、映画館にまで足を運ばなければ出会えない、俳優・橋本愛の凄みでもあるのです。
愛とは何か?
繰り返しになりますが、本作が描いているのは愛の物語。いえ、“愛そのもの”だといえるものかもしれません。
沙苗の言動は、私たちにどう映るでしょうか。
愛しているがゆえに誰かを刺し殺そうとするだなんて、常軌を逸していると思う人はいて当然。あるいはその事件だけを切り取った場合、彼女のこと“サイコパス”などと決めつける人がいるかもしれないし、ホストに溺れた“メンヘラ”だと笑う人がいるかもしれない。
私たちは何かしらの理由づけをしては、勝手に納得してばかりではないでしょうか。でもその理由なんて当人の中にしかないはずだし、そもそも当人自身でさえ、言語化できるか分からない。
それこそが“愛”なのかもしれないと、橋本さんが体現する沙苗を見ていて思うのです。
◆文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun