自らを鼓舞する歌『Runner』はヒット後の葛藤も
このほかにも『愛がいそいでる』『友情≧愛』『大きな玉ねぎの下で』『月光』『神話』など、爆風スランプの楽曲には本当にお世話になった。浮かれた歌にも、もれなく寂しさがセットでついてくる不思議。胸が熱い!
しかし、思い出してみれば初めて彼らをTVで観たときの印象は決して良くなかった。1988年に『Runner』が大ヒットする数年前、「夜のヒットスタジオ」だったと思うが、コミックソングっぽいノリの曲を歌い、恐ろしいほどに大暴れしていたのだ。一生分かり合えない種族だとその時は思ったものだったが、その後、彼らの楽曲に救われたのは前述した通り。人生とはわからないものである。
そんな彼らに心を開く入り口として、やはり『Runner』があったのは事実。順番がかなり後回しになってしまったが、これを語らずして終われないだろう。滞っているエネルギーを流してくれるような歌だ。
カラオケで歌ったこともあるが、想像以上に持久力が必要。出だしから高めのテンションが続くので、サビの「走るー走るー!」を歌う頃にはすでにかなり体力を消耗し、最後の4回目のサビはもうヘロヘロ。「走る、はし……ごふっ、演奏中止でお願いします……」となった覚えがある。
歌うことは、マラソンと同じ。力の配分が重要だと痛感した。
この『Runner』は、1988年、メンバーの江川ほーじんさん(ベース)が脱退することが決まった際、彼がいるうちにヒットを出そうと作った楽曲なのだそうだ。サンプラザ中野くんのインタビュー記事を読んだことがあるが、自分たちを鼓舞するために作った曲が、一方的に「頑張れ」と応援する歌として世の中に広がったこと、そしてこの曲ばかりを求められることに悩んだ時期があったという。
なるほど、「走れ」じゃなくて「走る」だものなあ。この曲の目線は応援側ではなく、汗をかき、ひたすら一歩を踏みしめるランナー側。でも、だからこそ押しつけがましくなく、世の中で必死にもがく人たちに伝わったのではないだろうか。ダイレクトに共感できるのだ。迷いも苛立ちも焦りも、そして願いも!
直立不動で、片脚でリズムを取り歌う姿もまた印象的だった。この曲で、サンプラザ中野さんはあまり動かない印象がある。けれど、彼の横には流れていく景色が見え、不思議とスピードを感じたものだ。
サンプラザ中野くんの声は、英語っぽい発音やビブラートのクセがない。そもそも彼らの歌は英語があまり使われていないのではなかろうか。日本語がどーんと心にぶつかってくる。はっきり・くっきり!
その勢いで、ひどく暑い日や夕立ちや夜空や月の光を歌い、焦って走っていそいで、ああすればよかった、こうすればよかったという後悔や怒りも歌い——。それが本当にありがたい。『45歳の地図』(1989年のアルバム『I.B.W.』収録、のちシングルカット)なんて、全体的に青春を返せコノヤローな歌だけど、聴いているだけでボファッと爆風が吹きストレスが飛ばされ、心はクルクル何度も回転した挙句、前を向くのだ。
さあ、こちらの心もすっかり温まって準備OK、聴く体勢万端だ。「10年も20年も、君のことを思うだろう」と歌ってくれていた彼ら。まさに1999年の活動休止から25年目の本格的再始動。新曲の到着を待ちたい!
◆ライター・田中稲
1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka