外交官の妻として17年間の専業主婦生活をおくったあとにキャリアアップを重ね、現在は外資系企業で働く薄井シンシアさん(64歳)。どんなことでも合理化する彼女は、手土産選びにも無駄がありません。外交官の妻時代は、2種類のケーキと決め、運ぶ器も、包装も決めていたそう。華やかに見える世界ですが、選ぶポイントは意外にも「当たり障りのないもの」というシンシアさん。こだわりを聞くと、理にかなった社交術が見えてきました。
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手土産は「チーズケーキ」か「ガトーショコラ」
手土産は、手作りのベイクドチーズケーキかガトーショコラと決めていました。チーズケーキのレシピは若い頃に外交官夫人の先輩から教わった簡単に作れるもの。ずっと作っているので、私はチーズケーキだけは完璧に作れます。ガトーショコラはウィーン駐在時代に外交官夫人から作り方を学び、定番になりました。
この2種類のケーキに落ち着いた理由は、どの国でも簡単に材料がそろえられるから。日持ちもするし、持ち運んだときに崩れる心配もありません。
私は、ああでもない、こうでもないと迷うのが大嫌いなので、ケーキを持ち運ぶ器も、器を運ぶ風呂敷も決めていました。とにかく効率化したいので、自分で簡単に作れるものや、いくつでも作れるものを覚えて、そればかり作っていました。パターン化すれば効率もよくなるでしょう?
大切なのは迷うより、当たり障りのないもの
持ち寄りパーティーに誘われたときも、チーズケーキかガトーショコラ。私が食べ物を持って行くときは、この2種類しかありません。悩んでいるうちに、ほかの人と重なって選択肢が狭まるより、さっさと手を挙げた方が楽だから率先して「これを持って行きます!」と手を挙げました。
パーティーが持ち寄りでないときの手土産は、相手が日本人なら消費するもの、外国人なら形に残る日本のものを準備しました。外国人の場合は家が広いし、必ずしも日本の食べ物を喜ぶとは限らないからです。
昔、「Gen Collection」というブランドがあり、私はそこのコースターやランチョンマットを海外赴任のたびにストックしていました。かさ張らないし、誰でも使いやすいでしょう? 風呂敷もよくプレゼントしました。風呂敷は差し上げるときにちょっとした話題にもなるので、ちょうどよい贈り物になりました。
消費する手土産は、高品質な店の日持ちがするお菓子の詰め合わせ。どこの国へ行っても、「この店のものなら絶対に喜ばれる」というお店があるでしょう? 私はそういう店を見つけてリピートします。例えばバンコクなら、マンダリン・オリエンタルホテルのクッキーやチョコレート。このホテルの商品なら大抵の人が喜びます。「ああでもない、こうでもない」と迷うより、当たり障りがなければよいんです。
社交に「楽しむ」という感情は入れない
パーティーが楽しいかって? なぜ、そこに感情が入るの? 私には「楽しい」とか「楽しくない」ということは関係ありません。ただ、目の前のことをしなくてはいけないのか、やらなくてもよいのかだけを考えます。そこに「楽しもう」という感情を入れようとするから苦しくなる。世の中って、好きではなくてもやらなければいけないことが多いでしょう? そこに感情を入れたら、どれだけ苦痛になるのか考えてみてください。
世の中には、しなければならない人間関係と、しなくてもよい人間関係があります。立場によって求められることもあります。元夫や娘、私の立場を守るためにすべきことは家族として、しなければなりません。だから、たとえ私が他人を自宅へ招くことが得意でなかったとしても、私はそれを絶対に得意にします。
日の丸を背負うからには「仕事」
これって仕事なんですよ。特に外交官の場合は、海外に帯同する妻も手当てをもらいます。バザーを開いたり、人を自宅へ招いたりと、それなりに仕事があるから、その対価だと思っています。住む家にも手当をもらいます。もちろん個人の持ち出しもあるけれど、国が家賃の一部を払うおかげで、私たちは割と大きな家に住むことができる。でもそれは外交官の家族のためではなく、人を招く場所だからです。
外交官として日の丸を背負って外国へ行くからには、それだけの仕事がある。私は、それをしっかり自覚していました。だから2週間に一回は必ず真面目にホームパーティーを開きました。
招いたあとは「ベストを尽くせたかどうか」を考える
招いたあと、私が楽しかったかどうかなんて考えません。大切なのは、自分にとってベストのおもてなしができたかどうかだけ。夫や娘に感想を聞くこともしません。私がやった仕事なんだから彼らの評価は関係ないでしょう?
私は記憶力がよいので、客にどの料理を出したかや、客同士の組み合わせはすべて記憶しています。あのときに彼を招いたから今度は少し組み合わせを変えようというのもすべて頭の中で完結する。
パーティーの準備のたびにタスクリストは作っていたけれど、終わると全部捨てました。いま考えると、すべてのリストを手元に残していたら1冊の本が書けたかもしれませんね。
◆薄井シンシアさん
1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ