
ステージ3の食道がんが見つかってから、闘病生活を「桃太郎の鬼退治」にたとえてポジティブに発信し、現在はがんサバイバーとして啓発活動もしている女優の秋野暢子さん(67歳)が、がんの治療を経て変化した心境などを明かした。
脱毛の副作用がない抗がん剤で「スキンヘッド」に
秋野さんの9つのがんは、一度の治療でなくなったわけではなかった。
「まず食道に5つのがんが見つかり、2022年7月12日から約4か月半かけて、抗がん剤と放射線照射でなくなりました。けれども、2023年1月に6つ目のがんが食道下部で見つかって、それを取ってから仕事に復帰。その後に、また見つかって、取ってをくりかえして、9つ目を内視鏡で取ったのは2023年11月でした。
サバイバーというのはそういうものだと覚悟しているので、がんが見つかったからといってショックを受けることはありません。また見つかったよ、じゃあ取りましょう、と淡々とね。これは再発じゃなくて、抗がん剤で見えなくなっていた部分が、薬が切れて見えてきただけだそうです」


「前よりも丈夫な毛が…」
秋野さんは、闘病中はお笑い番組を見るなどをして、笑顔を絶やさないよう努めていた。自分の失敗談も笑い話に変える強さもある。

「よく、抗がん剤の副作用で髪が抜けるっていうでしょ。だからスキンヘッドにしちゃおうと思って、病院内の美容室でバリカンで刈ってもらったんです。病室に戻ってから2、3mm髪が生えていることに気づいて、細かい毛が抜けるのは嫌だなと、自分でT字カミソリできれいに剃りました。これからの治療に向けて、気合を入れるためでもあります。
私の頭を見た先生は“今回の抗がん剤は、毛は抜けないよ”と驚いていました。先回りしすぎました。おっちょこちょいですね(笑い)。でも、そのせいなのわかりませんが、前よりも丈夫な毛が生えてきたんです。不思議なものですね」


がん治療中も「エンジョイ」
今から振り返っても後悔していることはないと、前向きにとらえているのも秋野流だ。

「喉の異変に気づいてから6か月間がんだとわからなかったので、もっと早い段階で内視鏡検査をしていれば、ステージ3に進行する前に治療ができたかもしれません。一方、違う見方をすると、もしステージ1で食道がんが見つかっていたら、声帯を取らなくてすむので手術をしていたかもしれません。
私の場合は進行していたため、手術をするなら声帯を失うので、5年生存率が下がると言われても化学放射線療法を選びました。この選択をしたおかげでがんを全て退治できて、首に傷があるわけでも、声質が変わったわけでもありませんから、どうしていたらベストだったのかはわかりません」

ブログでの交流は「大きな財産」
治療中は苦しいこともあったが、「エンジョイできた」と笑顔で語る。

「コロナ禍で面会者が院内に入れなかったので、とても静かだったんですよね。私が入院した病院は海のそばにあったので、窓辺のソファに座っていると海風が気持ちいいんです。私は10代にデビューしていますが、7か月も仕事を休んだのは初めてで、ゆったりした時間を楽しめました。
闘病生活を発信していたブログには、毎日たくさんのかたが集まってくださって、私の命のために情報をくださったり、祈ってくださったりしました。これは私にとって、とても大きな財産になっています」

限りある人生を、後悔なく生き抜きたい
秋野さんは50歳から絵を描き始めた。昨年の作品展では、その売り上げの一部をがん研究のために寄付している。

「医師や研究者のご努力があったからこそ、今の私があると思っています。例えば1930年代に食道がんの手術をすると、95%亡くなっていたんですって。当時は胸も背中も切るような大手術だったせいですが、今はダヴィンチという手術支援ロボットの発達などがあり、生存率が上がってきました。
膨大な医療の研究費から比べたら微々たるものですけど、少しでもお役に立ちたいと寄付をさせていただきました。それも、私が絵を販売し、皆さんに協力していただけたからできたことです」

絵画を始めたのは、加山雄三さん(87歳)の一言がきっかけだった。

「なにか趣味を持ちたいなと話していた時に、加山さんに“絵を描いたらどうか”とおっしゃったんです。絵に触れてこなかったので、どうやって描くの? と聞いたら、キャンパスと絵の具とイーゼルを買って……、みたいな初歩的なところから始まって(笑い)。
それで描き始めたら、なんとなくお芝居と似ていておもしろいんですよ。ある種の自己表現で、そして限りがないんです。絵ってやめ時が難しい。描き込みすぎてもいけないし、描かなすぎてもいけない。そのさじ加減もお芝居に似ています。今年の秋にまた作品展を開く予定なので、見に来てくださいね」

がんサバイバーに重要なのは希望をなくさないこと
秋野さんは9つのがんがなくなった翌月、2023年12月から1か月ほど、1人でハワイ旅行を楽しんだ。

「ハワイは好きなので何度も行っていますが、ここまで長期間なのは初めてです。人生には限りがあることは身に染みましたから、やりたいことはすぐ行動。死ぬ寸前に、あれをやっておけばよかった、という後悔はしたくないと思って」

がんの治療を経て、死生観も見つめ直したという。

「普通に生きていると、あまり“死”を意識しませんよね。人は必ず死ぬ。そんな当たり前のことを意識して生きるのと、何も考えないで漠然と生きるのとで、行動や考え方が変わることがよくわかりました。だから、今をどう生きるかが大切。やりたいことにはどんどん挑戦したいというのが、この病を経て私が感じたことです。
あまり偉そうなことは言えないのですが、がんサバイバーやがんファイターに重要なことは、自分を信じて、希望をなくさないことだと思います。お互い希望をもって生き抜きましょう!」


◆女優・秋野暢子さん
1957年1月18日生まれ。大阪府出身。1974年にテレビドラマデビューし、翌年NHK連続テレビ小説『おはようさん』で主演。1986年、映画『片翼だけの天使』でキネマ旬報主演女優賞受賞。2022年6月にステージ3の頸部食道がんが判明、主な治療は成功してがんサバイバーに。舞台、バラエティ、執筆、講演など、幅広く活動している。https://ameblo.jp/yokosmilerun/
取材・文/小山内麗香