【女性セブン連載『骨になるまで 日本火葬秘史』最終回】「弔い」の終着点である火葬の在り方の変遷を過去から現在に至るまで明らかにし、新時代の「送り方・送られ方」を考えてきた本連載は、今回が最終回になる。ラストは国内外のさまざまな事例から「未来の火葬文化」について推察する。あなたはどう送られたいですか。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。
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火葬場は建築物である。だが、火葬炉がついてそこで遺体を焼くという行為が忌避されて、火葬場建設には反対運動がつきものだし、建築学として研究する学者は少ない。東京電機大学名誉教授の八木澤壮一(87才)は、火葬場建築のみならず葬送に関する著作も多く、実際の火葬場の建築にも広く携わってきた火葬場の建築・社会学を確立したレジェンドである。
昭和58(1983)年、八木澤は浅香勝輔(当時、日大理工学部教授)と共に著書『火葬場』を上梓して話題を呼んだ。「はしがき」には〈社会的・心理的にも偏見が根ぶかいテーマである。しかし、火葬場の問題をタブーにしていては、歴史や建築の真実は見えてこないのではないか〉とあり、そのものズバリのタイトルと合わせ、タブーに挑んだ先達の覚悟が伝わってくる。
40年が経過し、環境はかなり変わってきた。火葬炉の前に設けられた炉前ホールや、併設の斎場には故人を悼む落ち着いた空間が確保され、建設計画に住民が参加して地域・公園などとの一体整備が進むこともあれば、景観と合わせて文化施設となるように設計された火葬場もある。
八木澤には、歴史に刻んだと自負する3つの火葬場がある。
1つ目は、初めて設計を担当した昭和43年竣工の新潟県巻町の「妙有院火葬場(現・新潟市立巻斎場)」だ。従来の火葬場イメージからの脱却を図った。
当時の火葬場は日常と切り離すために郊外や山間部に建てられ、デザインや構造に配慮しない無機質な行政的建物が一般的だった。その常識を覆すように、周辺から隠すのではなく、寺院を現代風にデザインするなど外観に気を配りつつ、煙突と建築を一体化させた。
次に八木澤の印象に残っているのが、昭和51年に竣工した山形県の「酒田市葬祭場」である。市街地から南に約10km。“日本一の大地主”とも呼ばれた豪商・本間家が整備した黒松林の中にある。設計を担当した八木澤は、酒田を代表する黒松林の風景を壊さないように、火葬場の象徴ともいえる高い煙突を避け、短い煙突で対処した。そのため、「主燃焼室」の上に臭いやガスを無害化する「再燃焼室」を設け、排気効率が改善された火葬炉を採用している。
最後は平成17(2005)年に完成した滋賀県近江八幡市の火葬場「さざなみ浄苑」だ。八木澤が言う。
「近江八幡の(川端五兵衞)市長さんが面白い人で、お会いすると『うちの街を“死にがいのある街”にしたい』とおっしゃる。そして『あなたにただ設計してもらうだけじゃなく、どんな火葬場にするかを市民と一緒に考えて欲しい』というんです」
市長のユニークな提案によって、会葬者がかち合わないお別れ室、近江八幡の昔の姿や年表が展示された「思い出コーナー」、快適な待合ロビー、それに木造瓦葺きの外観もあって、全国的にも例のない火葬場となり、市民参加型プロポーザル(企画提案型)方式のひな形にもなった。
いまの葬儀には「愛情」が欠けている
火葬場は着実に変化している。火葬炉メーカーでの設計・施工を経て平成11年、火葬場や葬祭についての情報発信や調査研究を行う「火葬研」を設立した会長の武田至(58才)が変化を語る。
「火葬炉設備の改善により排ガス問題はほとんどなくなり、住宅地での建設も見られるなど生活関連施設としての認識が高まっています。住民が計画立案に参加する建設も増え、火葬場が一般化してきたといえるでしょう」
武田はいま、火葬場と霊園の一体化に取り組んでいる。それを体現する場所の1つが、北海道・東神楽町にある東神楽町営「大雪霊園」だ。東神楽町が町民意識調査を経て策定し、一般墓、納骨堂、芝生墓所、ガーデニング合葬墓、合葬墓と、町民の好みと事情に合った墓を選択できる。
一般墓は有期限だが、期限が来たら合葬墓に移すなど「継承者がいない墓」となっても対応可能だ。さらに今年10月、霊園内に火葬炉を4基備えた大雪葬斎場(火葬場)が竣工する。
墓地に火葬場がある形態は欧米では一般的だ。有名なところでは1915年に建設が開始されたスウェーデンの首都ストックホルム市南部にある共同墓地「スコーグスシュルコゴーデン」だ。墓地面積は102ヘクタールで約10万基の墓の設置が可能。その美しい景観と芸術性、建物と植栽との調和に加え、宗教を超えすべての人を平等に扱うという理念もあって世界遺産に登録されている。
加えて武田は火葬場の多機能化を提案する。
「オランダやベルギーの火葬場は火葬機能のほか葬儀式場、会食室、カフェなどで構成されるのが一般的です。多機能化でサービス向上を図るとともに、一般にも開放することで利用率を高めて収益につなげる。ノルウェーには葬儀式場を結婚式やコンサート会場として貸し出す火葬場もあります」
世界各国で火葬が普及し、「ハコ」としての火葬場は「特殊な建物」という偏見が消えて一般化し始めた。しかし一方で、「ソフト面」である葬儀の中身は簡素簡略化が収まらず、崩壊寸前と言っていい。
そんな流れに抗して「別れを惜しむ弔い」を復活させる動きがある。2019年1月にオープンした「想送庵カノン」(東京都葛飾区)は、葬儀の前に故人と心ゆくまで別れを惜しむ空間と時間を提供する。「安置葬」とネーミングしたのは運営会社「あなたを忘れない」の三村麻子代表だ。開設のきっかけは三村代表の娘が2年以上のがん闘病の末、15才で亡くなり、その際、エンバーミング(血液を排出して防腐処理する遺体衛生保全)を施したうえで5日間を自宅で家族一緒に過ごしたことだった。
「彼女との別れに必要な、大切な時間でした。その体験を踏まえて、いまの葬儀に欠けているのは愛情だと痛感しました。愛情は時間に換算できます。偲び悼むためには時間をかけることが大切で、それが子や孫に故人を敬う気持ちを伝える教育の場にもなると思う。流れ作業のように斎場に集って、火葬までに約3時間の時短葬儀では、悲しみや愛情といった故人への想いを共有することができません」
カノンには14の個室があり、利用者がそれぞれの「付き添いの形」を選択できる。安置葬の期間中、家族親族、友人知人が共に故人と時間を過ごすことで故人の知らなかった一面を知り、気持ちを整理できるのだという。
それまでの葬儀は、遺族の気持ちや事情を考慮せず、僧侶や葬儀社や火葬場の都合を優先させ過ぎた。三村は言う。
「葬儀業界は景気がよかった頃、高くてまずいケーキを売り、いまは逆に安いけれど美味しくないケーキを提供し続けている。我々にとって大切なのは、喪家と誠実に向き合い、お値段以上のサービスを提供することです」
横浜の100年続く葬儀社の娘に生まれ、「死化粧師」として遺族と共に故人の顔をケアする宿原寿美子は、葬儀業界にいま、足りていないのは「提案力」だという。
「遺族には故人に対してこうしてあげたいとか、こんな葬儀をしたいとか色々な思いがあるのに、葬儀社のほうに汲み取る力やアイデアが足りず、決められたパッケージを提供することが増えているだけ。だから価格競争になって沈下する一方で顧客満足度が得られない。かつて葬儀社は、地域に密着して喪家を知り葬儀後のケアもしてきましたが、いまはそこまでの余裕が感じられません」
宿原は、米の9.11(同時多発テロ事件)を機に、「特殊メイクで亡くなった人を生きているように整える」というコンセプトを持つ、米在住だった日本人に死化粧を学び、実践し始めた。東日本大震災のときは現地に入り、ボランティアで手当てを行ってきた。
「最期の顔はやはり遺族の記憶に残ってしまう。充分な時間を取って会話をしながらお化粧をし、整えていく過程を通じて、遺族の方は悼むことに集中できます。また処置をし、メイクを施したお顔でのお別れは故人の尊厳を守り、遺族の方のグリーフ(悲嘆)ケアにもつながります」
エンディング産業展に見る弔いの未来
安置葬と死化粧―ネット上で安さを競う「葬儀パッケージ商品」の発想からは生まれない。
しかしもちろん葬儀業界にも危機感はある。約1兆6000億円の産業をどう発展させればいいか。8月28、29日、東京ビッグサイトで「第10回エンディング産業展」が開かれた。葬儀や供養、相続など「終活」に関する商品やサービスを集めた国内最大級の展示会は、伝統仏教9宗派による合同供養で幕を開けた。頻発する自然災害などの物故者への供養と再興への願いを込めて合同法要を行ったのだ。続いてステージでは、俳優・石田純一の「生前葬」が実施され、友人知人が笑いを取りながら石田との関係を明かし、弔事を東尾理子夫人が読んだ。
簡素化する葬儀に仏教界も葬儀業界も憂色は濃い。イベントが合同供養で始まったのは伝統宗派が存在意義を訴えたものだし、石田の生前葬は単なる客寄せではなく、それなりの地位にあった人や資産家の生前葬ブームにつなげられないかという期待もある。
過去最大、170を超える出展企業の動静を眺めると葬儀業界の方向性が掴めてくる。仏具、葬祭用品、墓、石材、生花、返礼品ギフトといった必須アイテムが並んでいるのはもちろんだが、そこに新しい視点を盛り込んだ事業と製品が加わり、効率化のために情報技術のITやデジタルでビジネスを変革させるDX(デジタルトランスフォーメーション)を活用・提供する支援企業が出展していた。
もはや家族といっていいペットは、「人並み」に弔われており、ペット用火葬炉を備えた業者が、訪問火葬を行い、ペット霊園に埋葬する形となっていた。現在、最も人気の高い墓である「樹木葬」では、旧皇族の竹田恒泰が「株式会社 前方後円墳」の代表として“樹木葬の新形態”と銘打ち「古墳墓」を販売。薄葬の代表的存在の散骨業者も数多く、ハワイなどへの海洋散骨、自社用地に撒く森林散骨、遺灰を納めたカプセルをロケットに搭載して宇宙空間に打ち上げる宇宙葬などが提案されていた。
葬儀業界にとって未開拓だった、葬儀後の遺産相続やそれにまつわる不動産、金融・保険サービスを展開する「アフターマーケット」も賑わいを見せていた。365日24時間体制で死亡の緊急連絡に備えねばならないという特殊性から、葬儀業界は地域密着型の中小零細企業が多い。それだけに葬儀後のフォローはできなかったのだが、そのノウハウを提案する弁護士、会計士、税理士、相続診断士などを抱えた企業・団体の出展が多く、今後は連携しながら葬儀の数倍といわれるアフターマーケットに進出することになる。
エンディング産業展の主催は東京博善である。日本で数少ない民営の火葬場運営会社として都内23区内のシェアは約7割で、ほぼ独占状態であることが高収益につながっていると批判されることがある。しかし、その収益性ゆえエンディング産業を主導する形で将来像を探ることもできる。
社長の和田翔雄(39才)はセミナー会場で「変革期におけるエンディング産業の課題と対策」と題して講演した。葬儀件数を増やすにはどうすべきか。WEB広告とテレビCMをどう組み合わせればいいか。ネットで葬儀の集客と仲介を行う「小さなお葬式」を展開するユニクエスト出身だけに説明はわかりやすく説得力があった。
気になったのは「葬儀の小規模化と単価の低下は避けられない」として「葬儀件数の増大と販売管理費の節減」を対策に挙げていたことだ。東京博善は葬儀業に進出した、いち火葬業者にとどまらない。展示会の主催者という立場も含め、葬儀とエンディング産業を再興させる役割も担う。そこへの目配りも必要ではなかったか。
本連載は「上皇ご夫妻の火葬」からスタートした。天皇家の弔いは、明治天皇以降「大喪の礼」としておごそかな儀式が「神式の土葬」で執り行われたが、上皇は生前退位同様、国民負担を軽減したいという意向を持ち、武蔵陵での「神式の火葬」を選択した。
一方、葬式仏教での弔いと墓石の家墓への納骨という一般国民の習俗の揺らぎは、これまで見てきた通りだ。つまり天皇家も国民も「葬儀の在り方」を見直した。
変化は常に起こるし、それは受け止めなくてはならない。ただ葬送は文化であり、民族の精神的豊かさの象徴であり、国家の形にも及ぶものだ。我々は縮小をただ受け止めるだけでなく、再興への道を探るにせよ、新たな葬儀の形を見つけるにせよ、「骨になるまで」はもちろん「骨になってから」も、故人と送り人が共に満足できるものでなければなるまい。
【プロフィール】
伊藤博敏(いとう・ひろとし)/ジャーナリスト 1955年、福岡県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、1984年よりフリーに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)など著書多数。
(文中敬称略)
※女性セブン2024年10月10日号