友人は家族とは違い、関係を続けるのも、遠ざけるのも自由で「個人の判断」で構築される存在だ。だからこそ何十年も続く関係はとても大切で、大事にしたい。川上麻衣子(58才)が“男女の友情は成立する”と確信できた志村けんとの友情について語った。
仲よくなって心を許した人とはとことん深い関係に
「第一印象はとにかくしゃべりにくいかたでした」
2020年3月、新型コロナウイルス感染症で他界した志村けんさん(享年70)についてそう語るのは川上麻衣子。初めて志村さんと出会ったのは1993年。共通の知人である可愛かずみさん(享年32)を介してだった。
「シャイで無口なかたでしたが、お芝居という共通の話題もあって次第に飲みに行くようになりました。本当は私、加藤茶さん(81才)派で志村さんはあまり好きじゃなかった。けれど、ザ・ドリフターズを見て描いていたイメージとは違ってすごく真面目に仕事に取り組むかたで、話せば話すほど志村さんに魅力を感じました」(川上・以下同)
お酒の席では打ち解ける一方、「踏み込ませない領域」を持つ人でもあった。
「飲んでいるときは気さくでも、自分の仕事を手がけるときはピリピリした感じになり、東京の三鷹にある志村さんの自宅には絶対に誰も入れない立ち入り禁止の仕事部屋がありました。寂しがり屋でひとりは嫌だ嫌だと言いながら、でもやっぱりひとりがいいみたいな感じでしたが、仲よくなって心を許した人とはとことん深い関係になっていました。かずみちゃんやダチョウ倶楽部の竜ちゃん(上島竜兵さん・享年61)、千鳥の大悟さん(44才)とはそんな“狭く深い”間柄だったと思います」
川上も志村さんの懐に入ったひとりだ。一時は志村さんと同じマンションに住んでいた。
「パジャマでお互いの家を行き来して、朝まで飲んでしょっちゅうかずみちゃん含め3人で雑魚寝していました。私の生まれ故郷のスウェーデンまで番組収録を兼ねて旅行したこともあるし、麻布十番で2人で飲んでいるとき、なぜか東京スポーツに『志村けん死亡説』が掲載されて、志村さんが“おれ、死んだらしいぞ”と言っていたこともありました(笑い)」
希代のコメディアンから、多くのことを学んだという。
「例えばコントで泥酔したサラリーマンを演じるなら、なぜ酔っ払ったのかという背景まで表現しないと人は笑わないと教わりました。私の舞台をよく見に来てくれて、よしあしの感想をストレートに言ってくれたのもうれしかったですね。深夜番組『志村X』(フジテレビ系)でコント共演をしたことで私の俳優としての幅も広がりました」
男女の友情は成立すると確信
当然、プライベートの話もした。
「私が新婚当時、志村さんが“ぼくは女性とつきあっても玄関の外に信号機をつけて、家に入らないでほしいときは赤信号にする”と言ったので、“そんなの意味わかんない!”と大げんか(笑い)。でもだんだん後になって、それもありかなって思いました。
逆に私が離婚するときに落ち込んでグダグダしていたら、“離婚するならする、しないならしないで愚痴を言うな”と活を入れられた。川上麻衣子という仕事を持つひとりの女性の芯が崩れたら絶対ダメで、恋愛でウダウダ悩んでも仕方がないとも言われました」
最も深く交遊したのは1990年代から2000年代にかけて。そのつきあいを通じて「男女の友情は成立する」と確信した。
「本当にこの人は親友だと思ったし、男でも女でも親友と呼べるんだなって強く感じました。すごく強い影響を受けた人なので、またいつか会ったら、みんなで笑いたいと思います」
いつかまた志村さんに会えると信じているが、「嫉妬」もしていると空を仰ぐ。
「まだ亡くなったことを実感できていないのですが、十八代目中村勘三郎さん(享年57)、立川談志さん(享年75)、竜ちゃん、かずみちゃんと、志村さんと仲がよかった人たちはみんな向こうにいっちゃった。
いまは向こうの方が賑やかで笑いが絶えず楽しそうで、ちょっと嫉妬していますよ。“まだあいつ、こっちに来られないだろう”と言われていそうで、ちょっと恨めしいですね」
◆俳優・ガラスデザイナー:川上麻衣子
1966年、スウェーデン生まれ。1980年、ドラマ『絆』(NHK)でデビュー。俳優業のほか、ガラスデザイナーや一般社団法人「ねこと今日」の代表理事を務めるなど、さまざまな分野で活躍。
文/池田道大 取材/小山内麗香、平田淳、伏見友里
※女性セブン2024年12月19日号