健康・医療

《髪が抜けて落ち武者みたい》女優・古村比呂(59)「4度のがん宣告」と闘って「この春に初孫が生まれるんです」【壮絶がんサバイバーの告白3】

子供たちの存在が支えになった(本人提供)
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黒柳徹子の実母をモデルにした1987年の連続テレビ小説『チョッちゃん』でヒロインを演じ、一躍人気女優の仲間入りをした女優・古村比呂(59才)は、これまで4度にわたって「がん宣告」を受けた経験がある。子宮頸がんに始まった13年にわたるがんとの闘いや、激しい抗がん剤の副作用、絶望の淵でも救いになった3人の息子たちへの思いを語った。【全3回の第3回】

――最初のがんがわかった2012年には、3人の息子たちは全員未成年でした。

「初めてがん宣告をされたとき、息子たちは19才、18才、14才。私自身ショックが大きくて受け入れられないのに、息子たちにはどう話せばいいのか、まったく想像もできませんでした。できる限り深刻にならないように、“風邪をひいた”くらい軽い感じで伝えたのを覚えています。“なんで?元気じゃん”という感じでびっくりはしていましたけど、“早く見つかったから大丈夫よ”と、自分にも言い聞かせるように話しました。

長男は性格的には私といちばん近くて、真面目で慎重。次男は素直で嘘のつけない子。好きなことには突っ走るようなところもあって、驚かされることもしばしばあります。三男は感受性が豊かでどこか大人びた子で、いまではドラマやお芝居のせりふの練習に付き合ってくれたりします。

息子たちとは、家の中では対等です。そう考えるようになったのは2009年の離婚がきっかけでした。“母さんは離婚しようと思うんだけど、あなたはどう思う?”と、一人ひとりと話しました。すると息子たち3人とも“わかっていたよ。話してくれて良かった”って。お見通しだったんですよね。“隠されているとやりにくいし、けっこう気を遣ったよ”とも言われて、それからは息子たちにはなんでも正直に話そうと決めたんです」

つらい闘病も笑顔で語った
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薬の副作用による母親の脱毛に、抵抗を覚える男の子は多い

――闘病中も、何度も助けられたと。

「抗がん剤の副作用で気持ちのアップダウンがあって、私はなぜかキッチンに立つと気持ちが沈むことが多かったんです。何もできない、したくない、そんな自分に嫌気がさして、お気に入りの鍋をドン!と叩きつけたんです。見事に変形していました。大切な鍋なのにどうしようって慌てていたら三男が来て、無言でその鍋を取り上げたんです。すぐに鍋を火であぶりながら、“金づち!”というから金づちを渡すと、凹んだところを叩いて“もう少しうまく叩けよ。直らないぜ”って。普通なら、“母さん、どうした?大丈夫か?”ですよ。なのに三男は、私の無様な行いを否定しなかったんです。すごく救われた気がしました。

副作用で脱毛した経験もある
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それから、抗がん剤の副作用で、髪の毛が抜けてしまったときも、助けられました。抗がん剤治療を始めると、2週間くらいで髪の根元がチクチクとかゆくなるんです。頭皮が熱を持った感じがしたら抜けるサイン。痛みはありませんが、手ぐしをするとごそっと抜けます。2、3日で9割方抜けてしまいます。でも全部は抜けないんですよね。残りたいと頑張ってくれる髪もあるみたいで、私の場合はフェイスラインやトップが残りました。でもそのままだと、なんだか落ち武者みたいで(苦笑)。最初のときはどんな風になっちゃうのか、家族や周りの人はどう思うかなと心配もあって、自分でなかなか鏡を見る勇気が出なかったんです。息子からは、“剃った方がいいんじゃない?”と言われて、バリカンで刈ってもらいました。悲壮感が出てしまっていたんでしょうね。

副作用で眉毛も抜けたという(本人提供)
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他のがん経験者の方とお話しすると、女の子はそこまで抵抗を示さないんですって。“ママはママじゃん”という感じになるらしんです。逆に男の子は“見たくないから帽子かぶって”“ウィッグつけて”と言うことが多いんだそうです。男の子の方が変わっちゃうママに抵抗があるのかもしれないですね。私の息子たちにとっても、母親の髪の毛がなくなるのはショックだったはずです。でも、そんな素振りはあまり見せませんでしたね。本人たちは私が落ち込んでいるのを見て、それをなんとかプラスに持っていこうと、よく3人で考えてくれていたみたいです」

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