
「三途の川を見た」これは死に瀕した人がよく使う言葉だが、仮に臨死体験というものがあるならば、特定のパターンのようなものがあるのだろうか。あるいは、そのパターンはさまざまなのだろうか──。
「まだ地上でやるべきことがある」と戻ってくるケース
これまで約20人の臨死体験者を取材したことがあるコラムニストの辛酸なめ子さんは、難病で死にかけた医師の例を挙げる。
「そのかたは臨死体験の際、体が浮いてムニュムニュと病室の壁をくぐり抜けて空を飛んだそうです。そのとき、勤めている病院の上空を通ったら、自分が知っている看護師と妻子ある医師が妙に仲よくしていたので、“不倫しているのか”と疑った。その後、リアルな世界に戻ってきたら、実際、その医師と看護師がその日一緒に出勤していたことがわかり、確信を強めたそうです。その医師は不思議な臨死体験をした後、患者の生身の肉体だけでなくマインドやスピリットも癒す医療を心がけるようになりました」(辛酸さん・以下同)

この医師のように、「まだ地上でやるべきことがある」と思って戻ってくるケースがあるという。
「臨死体験中、“死ぬのはいまじゃない”と感じて戻ってくるケースはよく聞きます。臨死体験をきっかけに使命に気づき、人生のステージが一段階上がってパワフルになる人もいます」
一方、こんな例もある。
「女子高生が交通事故に遭って魂が抜けたとき、事故現場で自分の制服のスカートがめくれあがっているのが見えて、“恥ずかしい!何とかしなくちゃ”と思って必死にもがいたら、肉体に戻ったという事例があります。とても現実的な臨死体験です」
お決まりのパターン
人それぞれといっても、いくつかの“お決まり”はある。
例えば、手術中の自分を上から見下ろす「俯瞰」は臨死体験あるあるだという。人間の自我は「何かを体験する自分」と「体験する自分を見ている自分」の二重構造になっており、臨死体験中は後者が優位になって俯瞰的に物事を見るケースが多いといわれる。
かくある臨死パターンのなかでも日本人に多いとされるのが、「お花畑」と「川」。これらはいずれも仏教におけるイメージが根底にあるという。日本大学経済学部特任教授で哲学者の伊佐敷隆弘さんが話す。

「仏教における極楽浄土の概念は、10世紀に書かれた『往生要集』に記され、数多くの極楽絵図が描かれてきました。極楽浄土の池にはさまざまな色のハスの花が咲き、そこに来た死者はまずハスの花のつぼみのなかに生まれ変わります。
一方、三途の川は元来、中国の仏教で生まれた概念とされていて、日本では9世紀に書かれた『日本霊異記』に初めて登場します。
ただしこのような“この世とあの世の境界線としての川”という考え自体は世界中にあり、ギリシア神話でも冥界に入る際に死者たちが『アケロン川』を渡るとされます」
もちろん、生死をさまよったからといって、必ず生と死の境界を見るわけではない。
「死の直前までいっても、実際に臨死体験にいたる人はそれほど多くないと思います。ただしそこにはグラデーションがあり、病気で死の淵をさまよった人が蘇生するまでの間に、真っ暗闇を体験するケースもあるそうです。真っ暗闇で何もない無の世界を体験する人がいる半面、お花畑や三途の川が見える人もいる。何も見えない人もいれば、ちょっとだけ見える人もいるんです」(辛酸さん・以下同)
「死に対する考えの変化」
臨死体験をした多くの人に共通するのは、「死に対する考えの変化」だと辛酸さんが続ける。
「皆さんが口を揃えるのは、死を恐れなくなったということです。思ったほどの痛みや苦しみもなく、むしろ心地いいケースもあるので、死に対する恐怖心から解放されて、毎日をのびのびと過ごす“臨死サバイバー”がたくさんいます」

そう語る辛酸さん自身も「プチ臨死体験」をしたことがあると明かす。
「10、20代の頃、寝ていて呼吸が止まって苦しくなることがよくあったんです。そのときに部屋の壁を見ると、仏様が臨終した信者を迎えに来る様子を描いた『来迎図』が浮かび上がってきました。雲に乗った仏様などが書かれている図ですが、脳内の潜在的な何かが浮かんできたのかなと思いました。つらさや苦しさを抑える脳内麻薬のようなものかもしれません」
その経験をもって、やはり死の恐怖がなくなったという。
「あれ以降、本当に死が近づくともっとスピリチュアルな体験ができるのではないかとの期待が高まり、死と向き合うことが少し楽しみになりました。死にそうになったらきちんとお迎えが来てくれる、そう思えたことが救いになりました」
臨死体験者が教えるのは、死への考え方とともに生への考え方も変わることだ。
「ほとんどの臨死体験者は、いま生きている世界をすごく大切にしようと思うようになります。人間、いつ死ぬかわからないと学んだからこそ、いまを大切にしたいと思うようになるんです」
臨死体験で最も大切なのはたんにお花畑や川を見ることではなく、そうした景色を通じて、生と死が裏表の関係にあると知ることではないだろうか。
「死ぬことは、ほかの人に代わってもらうことができません。生きることも同じで、自分の生と死は自分のものです。誰でもいつかは死ぬことに気づけば、いま生きていることがどれほど貴重なのかわかるはずです。だからこそ、自分の人生を自分で選んで、死ぬまでの道のりを一歩ずつ納得して歩んでいくことが尊いのです」(伊佐敷さん)
※女性セブン2025年2月20・27日号